仰臥慢録

明治16(1883)年に上京、俳句・短歌の革新運動に身を捧げていた正岡子規は結核に冒され何度か喀血、ついには寝たきりの生活を強いられます。

その病床で子規は多くの優れた随筆や日記文学を残しました。その一つ「仰臥漫録」は、他人に見せることを想定していない私的な日誌であり、子規の心情が赤裸々に吐露され、また、写実派らしく日々の出来事が詳細に記録されています。

例えば明治34(1901)年9 月24 日には、子規は次のようなものを食べています。大変な健啖家です。

 

[朝]ご飯3椀、佃煮、奈良漬、牛乳ココア入り、餅菓子、塩せんべい

[昼]粥3椀、かじきの刺身、芋、奈良漬

[間食]餅菓子、牛乳ココア入り、ぼたもち、菓子パン、塩せんべい

[夕]粥3椀、生鮭照焼、ふし豆、奈良漬、ぶどう

 

この頃の子規は、既に自分では寝返りも打てず、背中や腰の穴から膿が流れ出し、激痛に耐えられない時はひたすら「絶叫、号泣」するしかなく、苦痛の余り小刀を手に取ったことさえあったそうです。そのような生活の中で、子規に残された唯一の楽しみは「うまい物を食ふ」ことでした。日々の献立の詳細な記録には、残りわずかな生への、子規の強い執着が込められています。

子規は弟子に対して「富も名誉も一国の元気も、みな御馳走の中から湧き出る」と語ってもいます。病苦の中、34 歳で永眠するまでしっかりと仰向けになって(仰臥して)上を見続けていた子規は、食べることの大切さと喜びを、後世の私たちにも伝えてくれていねのです。

さて、子規と比べるべくもありませんが、せめてあやかりつつ、うつ伏せになって(伏臥して)雑念をめぐらしているのが、この雑記帳(伏臥慢録)です。