子規の思い

 年が明けて早や10日。新年を迎える敬虔な感謝の気持も、年齢を重ねるに連れ薄れつつあるようです。
 1月3日は日本橋へ。沿道にはすごい人垣。
 箱根駅伝は復路のゴール近く、最後の頑張りです。それにしても早稲田は何でも強くなりましたね。でも最後に通過する大学まで、ランナーも応援も頑張っていました。
 観戦後の遅い昼食は、老舗洋食「たいめいけん」の紙カツカレー。以前から一度行きたいと思っていたのですが、並んでも食べた値打ちがありました。
 今年の正月休みはこれで終わり。
 そしてすぐに3連休。それにしても金杯から続いて4日開催とは、好きでなければしんどいかも、とラジオNIKKEI解説の能勢さんも言っていました。
 それはともかく、9日(日)は陽気に誘われ、久しぶりに根岸の子規庵を訪ねてきました。
 日暮里でタクシーを拾ったのですが、運転手さんは子規庵を知りませんでした。まあ車で行くほどの距離ではないし、道も狭いし。
 いったん鴬谷駅前まで行って引き返し、脇道に入り、ホテル街を過ぎたところに子規庵はありました。正岡子規の終焉の地です。関係者の方のご尽力で、当時の座敷や庭が当時のままに残されています。テレビ番組の効果か、若い方も訪ねておられました。
 温かい冬の日射しが、ガラス窓を通して子規最期の座敷に降り注いでいます。ガラス窓の向こう側の庭にはへちま、縁側には鶉の籠。
 簡単な資料コーナーには、子規の日記「仰臥慢録」を基にしたある日の子規の食事のミニチュア模型が展示されていました。カリエスという不治の病と絶望的な戦いを挑んでいた子規の健啖ぶりには、改めて驚かされます。人に見せることを想定していなかった日記からは、食べることの喜び、生きていることの喜びが溢れ出しています。死を意識する子規が、どのような思いで毎日の献立を克明に記録していたか、飽食ニッポンの私たちは、想像すべきかも知れません。
 昼食は、子規ゆかりの豆腐料理「笹乃雪」さん。それから、ここも子規ゆかりの羽二重団子を買って、田端の大龍寺へ。子規と母の八重、妹の律のお墓があります。墓碑も新しくなっていて、昔訪ねた時とは少し雰囲気は変わっていましたが、静かで暖かな日差しの下に、新しい花が活けられていました。

 

 さて、翌10日は東村山駅東口広場での出初式を見学。昨日とは打って変わって風が冷たい中、消防団の皆様、お疲れ様でした。消防団もコミュニティを支える大事な役割を担っています。式典の最後の一斉放水の際は、風下にいなくてよかったと思いました。
 帰途、売り出し中の新しい郷土食「黒焼きそば」を食べました。地元のこだわりのソースメーカーさんが開発した新しいソウルフード。これも美味でした。
 ああ食べてばかり。明日からも新年会の日々。