日本にとっての「命綱」とは

 今年は寒い日が続き、梅の開花も遅れていますが、今日(21日)の東京は陽射しもあって暖かな一日でした。
 昼休みの日比谷公園、植えられた菜の花を見ていると春が近いことが実感されます。見上げると鈴懸の木(プラタナス)の梢にはピンポン玉のような実が鈴なり。
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 ところで先週15日付けの日本経済新聞「大機小機」欄に、「恵海」さんという署名入りの「輸出は日本の命綱」と題する小さな囲み記事が掲載されていました。
 ちなみに私は、大学時代から現在まで継続して日経を購読しています(最近は電子版も)。
 日経は、経済はもとより文芸欄や連載小説も含めて読み応えがあり、なかでも中程の「大機小機」欄は、2面の社説や1面のコラムほど目立たないものの、筆者の考えがストレートに表現されていることが多く楽しみにしています。
 さて、記事の内容ですが、高成長を遂げつつあるインドの新産業区域での日本の存在感が極めて希薄であることを嘆きつつ、「アジアの『人口ボーナス』国の需要を輸出や現地生産で取り込み、エネルギー・資源国への輸出を徹底的に伸ばさねばならない」と主張しています。
 そして、「1970年代前半まで日本は、食べていくために輸出が命綱」であったとし、「今後のエネルギーや食料の輸入急増を勘案すれば、輸出が命綱となる時代が再び遠からず来る。国全体として危機感を持って輸出を奨励する時代に入ったといえよう」と結論付けられています。
 さすが世界経済の実情に詳しい日経コラム氏、流れるような文章で、アジアの成長を取り込むことの重要性がよく理解できたのですが、喉に引っかかるような違和感が残りました。読み返してみると、それは「今後のエネルギーや食料の輸入急増を勘案すれば」のくだりです。
 エネルギーについてはあまり詳しくありませんが、確かに石油や天然ガスが高騰しても当面はエネルギーの大部分は輸入に依存せざるを得ないのかも知れません。将来的には、バイオマスや再生可能エネルギーの利用拡大が期待されるとしても、です。
 しかし、食料はどうでしょうか。
 食料は化石燃料とは異なり、国内で生産拡大する余地は十分にあります。それどころか、国内では耕作放棄地が大きく増加するなど、農業のための資源が効率的に利用されているとは言い難い状況にあります。
 今後、世界の農産物市場がひっ迫基調で推移し、食料価格が高騰し輸入額が急増する恐れがあることは「恵海」氏と危機感を共有するものです。
 しかし現在、世界には10億人近い飢餓人口が存在し、砂漠化が進行していると言われています。その世界の貴重な土地・水資源が。金持ち日本が輸入する膨大な量の食料を生産するため、大量に使用されているのです。また、輸入食料の大量・長距離輸送は、相当量の二酸化炭素を排出し地球環境にも負荷を与えています。
 一方、新興国の発展等により、工業製品は輸出一辺倒、農産物や鉱物資源は輸入一辺倒というような、これまで日本が行ってきたような単純な国際分業モデルは、もはや成り立たないことも明らかです。「より高度な経済連携」のためには、他の先進国と同様、それぞれの産業内部での「水平的分業」が重要です。
 このようなことを考えると、食料はこれまでのように輸入にばかり依存するのではなく、国内生産の拡大も含めた供給の確保を図っていくことが重要なのではないでしょうか。
 食べものは命そのものです。 国内資源も活用しつつ食料の安定的供給を図ることこそ、日本にとっての命綱だと思うのですが、いかがでしょうか。
 さらに経済大国・日本が、国内資源も有効活用しつつ食料の自給を高めていくことは、途上国を含めた世界全体の食料安全保障にも貢献するのではないでしょうか。
 さて21日夜は、同僚のO氏に頂いたこんにゃくを頂きました。職場で席を隣にするO氏は群馬県出身の40代男性。郷土の伝統食を現在も時々手作りするそうです。
 尊敬する佐賀の農家の方に送って頂いたレモンを添えてみました。
 市販の商品には無い深い味わいを楽しませて頂きました。
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