西原(さいはら)で考えた「地域」のこと

 7月28日(土)、実り多かった土木学会のフォーラムは午前中で失礼、炎暑の四ツ谷から中央快速線に乗って山梨県の上野原へ。
 駅前からのバスの乗客は10名ほど。しかし、中心部の市街地から離れる頃には、ほぼ貸し切り状態。
 山道を小一時間、西原(さいはら)の学校前バス停に到着。かなり標高も高く、周りは山に囲まれ、清流もあるさいはらの里。午後4時でしたが、この日の暑さは都心と変わりません。
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 翌日にかけての2日間、「しごと塾さいはら」のイベントが行われています。
 暑い中、東京等から来た参加者は、地元の方の指導を受けつつ、じゃがいも堀りと畑の手入れの作業を行っていました。私も土木学会がなければ朝から来ていたはずなのですが、汗もかいていない身の置き所がないような。
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 途中、地元の方から、冷たいお茶とともに手作りのきゅうりの1本漬けの差し入れ。作業をしていなくても美味しいものは美味しいです。
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 畑の回りには、様々な野の花が咲いています。蒟蒻もありました。
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 活動拠点になっている古民家(コミュニティハウス)に移動、交代でシャワーを浴びたりしながら、掘ってきたばかりの小芋で「せいだのたまじ」を作りました。
 小ぶりのじゃがいもを、甘辛く煮詰める郷土料理です。雑誌に掲載されていた「簡単レシピ」通りにはできませんでしたが、手許にあった調味料だけで、びっくりするほど美味しくできました。隠し味は、・・・秘密です。
 前回、仕込んでおいたくれていた柚子酒も、美味しくできていました。
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+saihara6_convert_20120802002350.png 夜は、交流施設「びりゅう館」前の広場でビアガーデン。何とイルミネーションまで。
 曇っていて残念ながら星空は望めませんでしたが、美味しいビールと地元の料理を堪能。
 帰りのバスは既に終了、地元の方に車で駅まで送って頂きました。街灯も乏しい帰り道は、ひたすら暗く、改めて山深さが実感され、ふと、数年前に流行語になった「限界集落」という嫌な言葉を思い出しまた。
 しかし、山下祐介『限界集落の真実:過疎の村は消えるか?』(ちくま新書、2012)によると、現実には少子高齢化が原因で消えた集落など探し出すのが難しい位とのこと。たとえ住人は高齢者ばかりであっても、他出した家族や親族とのネットワークは厳然とあり、長い歴史の中では、むしろ効率的で合理的であり、安定している場所だそうです。そして、本当に地域再生が難しいのは、コミュニティが消えた大都市圏であると指摘しています。
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 また、小田切徳美『農山村再生「限界集落」問題を超えて』(岩波ブックレット、2009)によると、大都市の郊外団地等の高齢化こそ問題であり、現在、多くの農山村において試みられている地域再生の挑戦や教訓を、ともに学びあい励まし合うことが必要とされています。
 ところで8月1日(水)の夕方、日弁連主催のシンポジウム「生活保護バッシングの陰で頻発する餓死・孤立死事件」を傍聴しました。
 世界から大量の食料を輸入し、かつ、大量の食べ残しを出している「飽食」日本において、今年に入ってからも「餓死」「孤立死」事件が相次いでいるという事実には、改めて慄然とさせられます。
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 この日のシンポジウムは、大きな示唆に富むものでした。
 都市部の集合住宅等では、隣人の顔さえ知らないのが当たり前というのが現状であり、残念ながら孤独死、餓死の事件が続発しているのです。「一体改革」が議論されている現在、福祉の分野において「家族の絆」や「地域コミュ二ティ」の重要性を強調することには慎重であるべきなのでしょうが、一方で、今も農山村に残るコミュニティ機能が都市部にもあれば(回復することができれば)、これ以上の犠牲者を防ぐことに有効であることは間違いありません。
 びりゅう館のビアガーデンに来ていた人たちの多くは、互いに顔見知りのようでした。都心でシンポジウムの議論を聞きながら、ふと、その様子が思い起こされました。
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