67年目の8月15日

 今年も8月15日がめぐってきました。
 オリンピックもあり、何となく浮ついた気分の夏でしたが、15日は、心をリセットして、平和の有り難みを噛みしめる日です。
 職場でも正午に庁内放送があり、1分間の黙祷。
 その後、昼休みに日比谷公園に出てみました。
 まだまだ蒸し暑い中、お母さん達に連れられた小さな子どもが数人、遊具で遊んでいました。
+815-2_convert_20120815224657.png
 夏の日を惜しむかのように、向日葵(ひまわり)や百日紅(さるすべり)の花が青空に映えています。藪茗荷(やぶみょうが)は紫色の実をつけていました。
 季節はめぐります。
+815-3_convert_20120815224736.png
 偶然、聞いていたラジオ(TBS『大沢悠里のゆうゆうワイド』)から、美空ひばりの「1本の鉛筆」が流れてきました。
 普段はリクエスト曲を流すコーナーですが、毎年8月15日だけはこの曲をかけているそうです。
  「一本の鉛筆があれば 戦争はいやだと 私は書く
   一枚のザラ紙があれば あなたを返してと 私は書く」
 終戦記念日も67回目。
 この歌詞にあるような、痛切な悲しみを実際に体験された世代は、どんどん少なくなっていきます。
 時あたかも、近隣国との間で外交上の懸案が持ち上がっています。
 体験と歴史に学び、しっかりと伝えていけるかどうかが、今、私たちの国と社会には問われています。
 東京大学教授・加藤陽子さんの『それでも日本人は「戦争」を選んだ』は、中高生の歴史研究会のメンバーを対象にした特別講義の記録です。
+815-4_convert_20120815230156.png
 なぜ、普通のよき日本人が「もう戦争しかない」と思って戦争に突入していったのか。
 他国が日本を経済的にも例示的にも圧迫したから日本は戦争に追い込まれた、日本は戦争に巻き込まれたのだ、という見方がありますが、それは違う、あくまで日本の政治の選択の結果であると加藤先生は言われます。
 太平洋戦争の開戦直後、「実にこの戦争はいい。明るい」と記した文学者、「いよいよ始まる。キリリと身がしまる」と半日農作業を休んで新聞を見てしまった農家等の様子も紹介されています。
 また、満州開拓団の引き揚げに関連して歴史の必然に対しても個人の資質が大きな影響を持つこと、戦時中の日本は食糧を最も軽視した国の一つであったこと等も指摘されています。
 そして、当時の指導者の責任を問いたいと思う姿勢と、自分が当時生きていたとしたらと想像する姿勢を、ともに持ち続けることが大切と、特別講義は締めくくられています。
 過去のことを想像することは難しいですか、映画は、そのよすがにもなるかも知れません。
+817_convert_20120818093734.png
 終戦の日ウィークの締めくくりに、17日(金)夕方、文京区民センターで開催された、「映画人九条の会」主催の上映会で、映画「あゝ声なき友」を鑑賞してきましたです。
 今井正監督、1972年公開の映画です。
 病気のため出撃できず部隊で一人生き残り、戦後の日本に戻った西山(渥美)が、託された戦友12人の遺書を渡すため、待っているはずの家族を捜して全国を旅するという物語。西山自身も、広島の原爆で身寄りを無くしています。
 映画では、鹿児島、長崎、萩、小樽、気仙沼、輪島等をめぐる西山の目線で、戦友の妻や弟がたどった悲惨なてん末や、逆に現在は幸せに暮らしている家族を引き裂いてしまう様子が、淡々と描かれていきます。
 周りの友人達からやめろと言われながら、自らの無私の行為を支えてきたものが何であったかを西山自身が思い当たり、それでも疲れ果ててしまうところでエンドロール。
 何とも重たいテーマの映画ですが、終戦直後の焼け跡から、闇市、旅回りの芸人、俄か成金の土建屋と芸者など、復興していく様子が活き活きと描かれています。しかも演じているのは寅さんシリーズでもお馴染みで豪華なキャスト陣。
 必見の映画です。
 1年の折り返しである「夏越の祓」(なごしのはらえ)も過ぎました。今日も残暑の蝉がかまびすしい。