食べることを楽しむには訓練が必要

 読書の醍醐味とは、思いがけず(予想以上に)、刺激的な本に巡り会うことです。
 國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』(2011/10、朝日出版社)も、そのような本でした。
 奇抜なタイトルにひかれて半ば興味本位で読み始めたのですが、ぐいぐいと引き込まれました。
 ここで、400ページ近くに及ぶ本書のポイントを紹介する能力はないのですが(著者自身、思考の過程が大事と述べています。)、大まかに言えば、以下のような内容です。
130408_41_convert_20130411063752.png 人間は部屋でじっとしていられない。そのために、熱中できる気晴らしを求める。それが全ての不幸の源泉となっている(ファシズムやテロリズムにさえ通じる)。
 現代の消費社会はそこにつけ込んで、現代人は「終わりなき消費のゲーム」を強要されている。その結果、私たちは「非人間的状況」(疎外)に陥ってしまっている。
 この状況を脱するには、人間らしく「退屈」を楽しむしかない。
 そのためには、「記号」ではなく「物」を受け取ることを楽しめるようにならなければならない、といった結論が導かれています。
 そして、著者は「楽しむためには訓練が必要」とし、その身近な例として「食」があげられています。
 その部分を引用すると(p.344)、
 「たしかに私たちは毎日食べている。しかし、実は食べてはいない(注:原文は傍点)かも知れない。単なる栄養として物を口から摂取しているかも知れない。あるいは、おいしいものをおいしいと感じているのではなくて、おいしいと言われているものをおいしいと言うために口を動かしているのかも知れない。
 もしそうならば、私たちは食べることができるようにならねばならない。」
 グルメブームについては、消費者が受け取っているのは食事という「物」ではなく、あの店に行った等と人に話す「記号」として消費しているだけとしています。
 このような、「物」ではない「記号」の消費には際限が無く、従って決して満足することはない、というのです。
130408_44_convert_20130411063920.png また、ファストフードとスローフードの違いについても説明されています。
 ファストフードは、含まれている情報が少ないから早く食べられる(インフォ・プア・フード)。
 一方、味わうに値する食事には大量の情報が含まれているため、身体で処理するのに大変な時間がかかり、そ結果としてスローになる(インフォ・リッチ・フード)。
 情報量が少ない料理を、いくらゆっくり食べても何の意味もない、と断じています。
 著者は、食に含まれる「情報」の内容までは言及していませんが、それは見た目や価格、味や香り、栄養分等だけではなく、その食品がどこで、誰によって、どのように作られたかという素性や履歴も含まれるものでしょう。
 表面上の豊かさや便利さ、きらびやかさを極めているとも言える現代日本の食。
 ブームやCMに踊らされることなく、本当に美味しいものを見分けられる頭脳と舌を鍛えていかなければなりません。
 ところで、「暇と退屈」について論じること自体、豊かさと平和に狎れた日本人だからこその自己満足ではないかというモヤモヤ感があったのですが、それは、本書の最後の最後で、どんでんがえしのように払しょくされたことも、紹介しておきます。
 一般に難解とされる哲学や倫理学について、平易で分かりやすく記述しようとする著者の姿勢には大いに好感が持てます。時には偉大な先人の論説を舌鋒鋭く切り捨てるなど、多くの刺激にも富んでいます。
 多くの方にお勧めしたい本です。
【ご参考】
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