68年目の「終戦の日」

2013年8月15日(木)も暑い一日でした。
正午には庁内放送があり、1分間の黙とう。68年前のこの日も、暑かったと伝えられています。
130815_1_convert_20130815223845.png 昼休み、職場近くの日比谷公園に足を運んでみました。
雲形池の水は、毎日、続く猛暑に倦んだように、緑色によどんでいます。
その真ん中で、鶴の噴水は、今日も中空に向けて勢いよく水を撒き散らしていました。
太い枝いっぱいに、緑色の葉を茂らせている「首掛け銀杏」。
この大木も、終戦の日を目撃した証人の一人のはずです。
130815_2_convert_20130815223914.png 昼下がりの公園は、セミの鳴き声で満ちています。あたかも雨が降っているかのようです。
さすがのセミにとっても続く暑さは格別なのか、ふらふらと力なく、地面近くをさ迷うように飛ぶものもいます。
気が付くと、いかにも軽やかなセミの死がいが、路上のあちらこちらに転がっています。
地面には、幼虫がはい出してきた沢山の穴。木の幹には、忘れられたようなセミの抜け殻たち。
130815_3_convert_20130815223936.png 広場では、家族連れが遊具で遊んでいました。
ターザンロープにぶら下がった子どもの歓声が、熱い空気をこじ開けるように聞こえてきます。
それでもこの暑さ、夏休みでも人出は多くありません。
遊んでいた家族連れの姿も、いつの間にか消えていました。
夜のラジオでは、68年前の、いわゆる玉音放送(終戦の詔書)が再現されて放送されていました。
「堪たえ難がたきを堪え、忍び難きを忍び」のフレーズばかり有名ですが、全文を聞いたのは初めてです。
漢語を多用した表現は文章でみても難しく、当時の受信状態の下では、聞き取れなかった人たちが多かったというのも無理もないと思いました。
68年とは、一人ひとりの人間にとっては気が遠くなるような長い時間です。
しかし歴史とは、社会として忘れてはならない事実の蓄積に他なりません。