「ふくしま再生の会」報告会 @ 東京大学

 2014年5月25日(日)は、前日に比べると曇りがちで蒸し暑い一日に。
 午前中は自宅近くに借りている市民農園で作業。乾燥続きで土はパサパサ、「焼け土に水」状態です。
 綿は追加して種を播いたのですが、今一つ勢いがありません。ゴマ (ゼロワンプロジェク ト) は、檜原村産の黒ゴマは順調ですが自宅で採種した金ゴマは今イチ。
 加賀太キュウリは順調。ゴールデンウィークに播いたポンデローサトマトの芽が、ようやく出てきました。
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 昨年、種採りをした「福島ひまわり里親プロジェクト」のヒマワリも芽を出しています。
 種採り用に一株ずつ残してある雲仙こぶ高菜と大蔵大根は、サヤが膨らんできました。
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 青首大根はまだ小ぶりながら、花芽がつき始めたものを収穫(というか間引き)。
 ジャガイモの葉の上には、ナミテントウとニジュウヤホシテントウ (テントウムシダマシ)。 人間の勝手な都合では、前者は益虫ですが 後者は害虫に分類されており、食害が酷くなるようだと駆除しなければなりません。
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 さて、午後から文京区本郷の東京大学農学部キャンパスへ。
 この日、開催されたのは、特定非営利活動法人ふく しま再生の会主催による 「福島・飯舘村の再生の意味-飯舘村からの参加者とともに考える」。
 活動開始から3周年を記念する6回目の報告会とのこと。
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 14時半過ぎに到着。
 別館で受付。ここには、パネルや測定器等が展示され、写真展も開催されています。
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 メイン会場の農学部1号館の大教室は、満員の参加者で熱気に満ちています。
 溝口勝先生(ふくしま再生の会理事、東京大教授)の総合司会の下、ふくしま再生の会・田尾陽一理事長からの挨拶。
 2011年6月、東京在住の研究者等の有志が全村避難となった飯舘村を訪ね、菅野(すげの)宗夫さん(現・再生の会理事・福島代表) と出会い、それ以来、菅野さんの自宅と農地を活動拠点として、村の再生のために「共感と協働」を基本に、「飯舘村の再生なくして日本の再生はない」との思いで様々な活動を続けられているそうです。
 続いて、東京大学農学部長の古谷研先生から、東日本大震災と原発事故は取りわけ第一次産業に大きな被害をもたらしており、東京大学の研究者もそれぞれの専門分野を活かした支援活動を行っている状況等について紹介がありました。
 最初のプログラムは、「福島・飯舘の参加者がそれぞれ『再生の意味』について語る」。
 まず登壇されたのは、前福島県知事の佐藤栄佐久氏。
 全国的に市町村合併が進められるなか、福島県では多くの村が残っており、なかでも飯舘村はユニークな村づくりに取り組む村だったこと等を持参された写真を示しながら紹介して下さいました。
 「災害は過疎という時計の針を大きく進めてしまう。早く住める場所にしないと村は消滅してしまう」と訴えられました。
 ただ、10分間では何とも時間が足りません。
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 続いて12名の飯舘村民の方からのスピーチ。若い方も壮年の方も、3分間という短い時間に、それぞれ思いを込めて語られます。
 トップバッターは佐藤健太さん。
 「家業は製造業で、商工会の青年部長を務めている。特に商業は人が戻らないと成り立たない。現在は福島市に居住しているが、離れていても村の資源や財産を活用できるような取組を続けていきたい。」
 菅野義樹さん。
 「農家の6代目。小さいころから牧畜業で生きていくと決めていた。今は北海道で研修しながら再開の準備をしている。若い自分達の世代が前を向いて心の復興につなげていきたい。」
 山田豊さん。
 「葉タバコと和牛の繁殖、野菜、稲作を営んでいた。京都に避難した当初は諦めていたが、心のよりどころ、根っこの部分は飯舘にある。」
 佐藤聡太さん。
 「宇都宮大農学部に在学中。震災前から郷土に貢献できる人材になりたいと思っていた。飯舘村には特別養護老人ホームも残っている。“老人天国”(高齢者に優しいる村)を復興のイメージとして考えている。」
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 菅野宗雄さん(ふくしま再生の会理事・福島代表)。
 「ようやく本格除染が始まったがその後の姿が見えない。除染は再生の入り口にすぎない。村民の声を反映し、意欲を引き出すような方向で再生に取り組んでいくことが必要。まずは普段の生活ができるように。」
 
 菅野義人さん。
 「もともと気象条件が厳しく、自分達で何とかしようという意識が強い土地。村民を主人公として、与えられる復興ではなく創り出す復興を進めたい。牧畜業を営んでいた。苦労して受け継いできた土地を守っていきたい。」
 佐藤公一さん。
 「地区長として、震災直後は沿岸部からの避難者を受け入れていたが、その後、原発事故で全村避難に。除染が終わり安心して住めるようになったら、都会の人にもたくさん来てもらいたい。」
 菅野永徳さん
 「75歳になり、これも運かと思うと感慨深い。歴史ある山津見神社の総代として、住民の地域的な支柱である神社を再建したい。神社は文化を運ぶところでもある。」
 三瓶政美さん
 「特別養護老人ホーム『いいたてホーム』施設長。標高500メートル、避難勧告されている地区内に特養施設が残っており、80名の職員は30~40kmの距離を通勤している。」
 酒井政秋さん。
 「婦人服製造の工場長をしていた。避難して自分も苦しい思いをしたが、2012年頃からみんなで対話する場づくりに取り組んでいる。本音で話すことによって心が救われた。」
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 スピーチが終了、 後半はグループに分かれての対話です。参加される村民の方と会場の紹介がありました。
 どこにするか迷いましたが、菅野宗夫さんのグループに参加することに。先ほどのパネル等の展示会場に移動します。
 菅野さんと進行役の小川唯史さん (再生の会 理事・事務局長) を、25名ほどの参加者が囲むように座ります。菅野さんの話は会の発足の経緯から始まりました。
 「2011年6月6日、18名の様々な分野の専門家の方たちが、自分たちの知識が何かしら現地の役に立てないかと訪ねて来られた。つい昨日のよう。自分の自宅と農地をフィールドとして提供し、様々な取組にチャレンジしてきた。会には現在、ボランティア精神で270名が参加。学生もいる。自分にできることを無理のない範囲で取り組んでいる。」
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 菅野さんは、展示されている測定器等を手に取られ、 あるいはパネルを指さしながら、会の取組内容を詳しく紹介して下さいます。
 「放射能については、まずは正確な把握と共有が必要。そのためには、行政が設けているモニタリングポストだけではなく、正確な数値を住民自らが測定できるようにしていくことが必要。」
 お手元のタブレットには、ご自宅の放射線量がり アルタイムで表示されています。車載型の測定機も開発し、GPSと連動させて村全体の放射線量マップを作成されているそうです。
 稲の試験作付の結果、農家自身でできる「までい工法」(表土の埋設、浅代かき等)の効果が確認されたこと、イノシシや山野草についても計測を続けていること等の紹介もありました。
 ボランティアの研究者や市民と連携して膨大なデータが蓄積されていることを知り、驚きました。
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 菅野さんは訴えられます。
 「村に帰りたいという人はどんどん減っているのが現実。住民サイドに立ち、住民が意欲を持てるような取組が不可欠。除染は入り口に過ぎない。その後につながるものを企画立案していかなければならない。」
 「皆さんには、ぜひ、現地に来て下さい。ボランティア活動に参加してもらってもいいし、見にくるだけでもいい。学生など若い人たちを含め、一人でも多くの国民に足を運んでもらいたい。そして、再生のためのアイディアを出して頂きたい。」
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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