ミシュカの森2014-世田谷事件から14年

 2014年もいよいよ押し詰まってきた12月27日(土)。
 前日に御用納めは済んでいますか、いつもと同じメトロ・霞ヶ関駅へ。いつもと違い閑散としています(もっとも越年予算等の関係で出勤している同僚も多いようですが)。
 日比谷公園も、いつもの平日昼間とは趣が異なります。青空に向かって水を吹きる鶴を見つつ、日比谷図書文化館へ。
 地下1階に降りると、開演まで20分以上あるにもかかわらず、多くの人でホールは埋まっています。
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 この日14時から開催されたのは、ミシュカの森2014「涙も笑いも力になる-自助・共助・公助の場創りに向けて」。
141227_0_convert_20141229174327.png 200名以上入れる大ホールは満席、立ち見の方もおられます。
 司会のフリーアナウンサー・近藤麻智子さん(絵本セラピストをされている方とのこと)に紹介され、登壇されたのは入江杏(いりえ・あん)さん。
 スクリーンには、まず、今年8月に2日連続で放映されたニュース番組(TBS)の抜粋が映し出されました。
 2000年の大晦日に起こった世田谷一家殺害事件から14年、入江さんが初めて事件現場を訪ねる様子が描かれています。入江さんは、犠牲になった宮沢泰子さんの姉。当時は隣の家に住み、合わせて8人が一家族のように暮らしていたそうです。
 慌ただしく引っ越した当時のままの元・自宅の様子を見つめる入江さんのつらそうな姿。
 「ミシュカの森」は、世田谷事件で逝った4人の追悼と法要のため、毎年12月、入江さんが主催しているイベントですが、ご自身が出会った素晴らしい人を、毎年、先に逝った家族に紹介する意味もあるそうです。
 そして、今回のゲストとして、入江さん姉妹が生まれ育った品川・旗の台にある昭和大学病院の院内学級の副島賢和(そえじま・まさかず)先生が紹介され、基調講演に移りました。
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 副島賢和先生は昭和大学大学院 保健医旅学研究科の准教授で、公立小学校の教諭をされていた頃から、昭和大学病院の院内学級「さいかち学級」の担任を務められてきました。
 院内学級とは、入院中で学校に行けない子どもたちのための教室で、マメ科の高木・サイカチ(皁莢)のようにすくすくと育つようにと命名されたうです。
 最初に話されたのが「当事者意識」の大切さ。
 子ども達には常々「相手の気持ちになって考えなさい」等と教えているにもかかわらず、どうすれば当事者意識を持つことができるかは誰も教えていない。
 必要なのは「ちょっと視点を変えてみよう」「ちょっと想像してみよう」。
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 入院している子ども達は様々な不安を抱えている。病気になったことを親に申し訳ないと思っている子どももいる。
 大事なことは、どんな感情も大切に扱うこと。特に不快な感情は適切に扱うよう気をつけること。
 怒りには、相手に変わって欲しいという願いが込められている。悲しみとは、助けて欲しいという訴え。
141227_4_convert_20141229174356.png 感情には蓋をしてはいけない。どんな感情を持ってもいいんだよ、と子どもには伝える。
 ただし、受容することと許容することは別。あらゆる感情を受け止めるけれども、不適切な行動は認めないという姿勢が必要。
 子ども達には多くのことを教えられてきた。
 「この病気があったから今しかできないことをする」という子ども。入退院を繰り返す子どもから「病気は悪いことばかりでない。さいかち学級で生きるバネをもらったから」と言われた時は、言葉が出なかった。
 一方、不幸にも病気で亡くなる子どももいた。1日早く面会に行かなかったことを今でも悔やんでいる。
 “Doing”の前に“Being”がある。人は存在していることそのものに価値がある。
 ところで副島先生は、赤いスポンジを鼻に着けて道化の真似をする「あかはなそえじ」先生として有名で、テレビドラマのモチーフにもなったとのこと。
 この日も話の合間に赤鼻をつけて、手品を披露してくれました。さいかち学級にも通えない子どもには、赤鼻をつけてベッドサイドで授業をしているそうです。
 
 ここで休憩。受付のテーブルには、入江さんの著作等も並べられていました。
 受付ほかスタッフは、ベグライテングリーフサポートせたがやの皆さんがボランティアで務めておられたようです。
 後半は、まず、金本麻理子さんが登壇。 
 うつ状態で心身共にバランスを崩していた頃、精神科医・パッチ・アダムス氏を描いたドキュメンタリ映画を観て感動。本人を海外まで訪ね、以来、「ユーモアと愛に満ち溢れたコミュニケーションを取り入れる」ケアリングクラウンの普及に取り組んでおられるとのこと。
 ちなみに 「クラウン」とはピエロのことだそうです。
 入江さん、副島先生も登壇し、3人揃って赤鼻をつけてお辞儀をされていました。
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 プログラムの最後は、入江さんから改めて「ミシュカの森」のこれまでの活動等について。
 ミシュカとは、犠牲になった姪(当時8歳)と甥(6歳)が可愛がっていた子熊のぬいぐるみだそうです。
 遺族として、事件を風化させてはならないという強い思いから始まった「ミシュカの森」は今回で9回目。活動を続けられるうちに、当事者だけに悲しみを背負わせてはならない、と感じるようになったそうです。
 入江さんが紹介されたのは「環状島モデル」(宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』より)。
 悲嘆にくれた人は、言わば環状島の内側にいて、その姿は穏やかな外海からは見えない。ようやく内側から崖を這い上がれた人だけが、強い風の中で声を出せるようになる。外海からも、援助者が崖を登っていく必要がある。
 昨年のゲスト・若松英輔さん(三田分学編集長)の言葉、
 「大人が子ども達と一緒に考えなければならないのは、大事なことをいかに大声で語るかではなく、どんな小さな声でも大切なことが語られているのを聞いたなら、それを聞かなかったふりをしてはならないということだ」
を紹介して下さいました。
 そして、当時者以外の人が「自分には関係ない」と無視するのではなく、自分の立ち位置を踏まえ、他者の様々な苦しみや悲しみに向き合い、お互いに共感しあえる自助・共助・公助の場創りに向けて、できるだけの貢献をしていきたいと決意を述べられました。
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 最後に、自作の絵本『ずっとつながってるよ-こぐまのミシュカのおはなし』の朗読。
 会場は水を打ったように静まり、入江さんの一つひとつの言葉が参加者の心に沁み込んでくるようでした。
141227_7_convert_20141229101356.png ステージの脇には、1枚の絵と作文が立てかけられていました。
 童話『スーホの白い馬』をテーマに、にいなちゃんが描いた絵と作文です。死んだ白い馬は、スーホによって楽器となりモンゴル中に広まったという喪失と再生の物語です。
 絵には、原作にはない死んだ白馬を抱くスーホを見つめる少女の姿が描かれています。
 2014年も多くの方との新しい出会いがありましたが、入江さんも、そのお一人です。
 初めて親しく話をさせて頂いたのは、3月24日(月)の「共奏キッチン♪」の場でした(シェア奥沢)。
 この時に紹介された3月29日(土)の「哀しみに寄りそい、ともに生きる~コミュニティでグリーフをサポートするために~」と題したセミナー(上智大学)に参加、続く4月19日(土)の「ブックチェンジ&カフェ&JAZZライブ」(芝の家)では、絵本の朗読を聞かせて頂きました。
 犯罪の被害者、遺族の方とお会いするのは初めての経験で最初、入江さんの自己紹介を聞いた時は一瞬耳を疑い、続いて強い衝撃を受けたことを覚えています。
 入江さんは、いつも淡々と語られます。
 しかし、ご著書を何冊か拝読して、非常に深い悲しみを経験されていることが分かりました(もっとも想像するには限度があります)。
 しかし、入江さんは、ご自身の深い悲しみと向き合われているだけではなく、東日本大震災の被災地支援にも積極的に活動されるなど、悲嘆の中にある多くの他の人たちにまなざしを向け、励ましと繋がりを糧に、共感と共生に満ちた社会の実現に向けて努力されているのです。
 入江さんの活動と姿勢に、心から敬意を表したいと思います。
 今年も間もなく大晦日。世田谷事件は、このままでは発生から15年目に入ります。
 この時期、風化に抗うようにマスコミ等で報道されること自体はいいことなのでしょうが、中には視聴率を優先するかのような、違和感を覚えるものもあります(ご遺族の心中、察するに余りあります)。
 なお、情報は成城署捜査本部で受け付けています。
 心から解決を祈ります。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
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