2015年の相馬野馬追 観覧記(下)

 翌2015年7月26日(日)。
 5時過ぎに起床。昨夜は行かなかった大浴場で一風呂の後、ホテル周辺を散歩。
 いわき駅のすぐ裏は平城址。坂下門外で襲われた安藤老中の居城です。早朝のためか、あいにく門は閉まっていて中には入れませんでした。今日は暑くなる予感です。
 バイキングの朝食を頂いて7時に出発。快適ないいホテルでした。
150726_23_convert_20150802221239.jpg
 昨日と同じ常磐自動車道を、逆方向に南相馬に向かいます。
 帰還困難区域は昨日と同じ光景が広がります。双葉では、やはり5.1マイクロシーベルト/時の表示。
150726_10_convert_20150802005249.jpg
 南相馬ICを出る頃からすごい渋滞に。交通規制もされており、迂回して市中心部へ。道中、馬が優先です。
 ようやく市役所近くの駐車場に車を入れることができました。
150726_11_convert_20150802005311.jpg
 武者行列は新田川原付近周辺からスタートし、市内のメインストリート(旧街道)を練り歩きます。
 法螺貝や太鼓が鳴り響く中、太田神社の神興に従う中ノ郷勢を先頭に、小高神社に従う小高郷勢と標葉(しねは)郷勢、その後に中村神社に従う北郷勢と宇多郷勢と続きます。色とりどりの幟旗や槍衆も。
150726_12_convert_20150802005332.jpg
 甲胃に身を包み、カラフルでユニークなデザインの旗指物を背負った騎馬武者が、延々と続きます。
 炎天下をものともせず、精悍な顔つきの馬上の武者たち。女性や子どもの姿もあります。
150726_13_convert_20150802005359.jpg
 武者達は祭場地の雲雀ケ原に向かいます。その行列を見送ったのちは南相馬市役所へ。
150726_14_convert_20150802005421.jpg
 観覧客は、市役所からピストン輸送されるバスに乗って祭場地に向かいます。
 最も高い場所にテントが張られ、観覧席が設けられていました。広々とした芝生では、相馬流れ山踊りが披露されています。
 眺めは最高ですが、やや臨場感に欠けます。 急いでお弁当を頂いてから馬場の方へ降りていきました。
150726_15_convert_20150802005444.jpg
 振り返って観覧席を見上げると、すごい人です。
 正午すぎ、甲胃競馬が始まりました。
150726_16_convert_20150802005508.jpg
 重い鎧と兜を付けた武者を背負い、旗指物は風に煽られつつ、馬は全速力で疾走します。すごい迫力です。
150726_18_convert_20150802005559.jpg
 競争が終わるたびに、着順に坂道を駆け上って最上部に設けられた本陣の総大将にお目見えして褒美を頂きます。拍手が沸き起こります。
 全部で10 レースが行われましたが、うち何レースかは女武者 (女性騎手)が優勝したようです。
150726_17_convert_20150802005532.jpg
 それにしても暑い。
 熱中症で倒れた人がいたのか、何度も救急車が行来します。飲み物を販売するテントには長い列。
 「太刀の落とし物が届いています」との放送には、場内爆笑。
 そして、神旗争奪戦。相馬野馬追のクライマックスと言える行事です。
 打ち上げ花火の要領で、色分けされた中村、太田、小高各神社の神旗が打ち上げられます(各2流×20発)。
150726_19_convert_20150802005621.jpg
 風に流されながら舞い落ちてくる神旗を、地面に着く前に騎馬武者が競い、奪い合います。
 この日はあまり風が無かったので神旗はほぼまっすぐ降りてきましたが、場外や観覧席まで風で流されることもあるそうです。
150726_20_convert_20150802005645.jpg
 なお、翌日(野馬追最終日)には、小高神社境内で野馬懸(上げ馬の神事)が行われるとのこと。その地は、現在も避難指示区域内にあります。
 再びピストン輸送されるバスに乗って市役所へ。ここでNさん、Sさん達とは解散。
 川内村に帰るOさんの車でいわきまで送って頂きました。途中、新しくできたならはPAで休憩。こにもモニタリングポストが設置されていました(0.1マイクロシーベルト/時程度)。
 皆さん、お世話になりました。
 一緒に東京に戻る H さん(映像プロダクションの会社を経営されている方です)と、駅前のビルのラーメン屋で生ビールセット(何と名物の貝焼き付き)と餃子など。
 さらにハイボールなど買い込んで17時21分発のひたち24号に乗車。Hさんから色々と面白い話をお聞きしつつ、列車は一路、東京へ。日立、水戸辺りから混んできました。
 「エネルギー、食料、製造品、人材 (集団就職、出稼ぎ等)等の旺盛な供給力で東京と 日本を支え続けてきた、寡黙で優秀な東京の『下半身』」。(「常磐線中心主義-ジョーバンセントリズム」より)。
 最後も常磐線で締めくくり。
150726_21_convert_20150802005708.jpg
 ところで南相馬で頂いた封筒の中に、観光パンフレット等とともに、黄色いA4版のペーパーと黄色いリボンが入っていました。
150726_22_convert_20150802221313.jpg 「相馬1000年 未来への想い」と題され、NPO法人相馬救援隊の相馬行胤代表(相馬家第34代当主で、今回の野馬追の総大将)のメッセージが記されていました。
 その大意は、以下のようなものです。
 「今まで支えてきて下さった皆様にできる唯一の恩返し、それはこの地の『ふるさと再生』であると私は考えています。
  避難指示区域の解除に向け、今も日々努力している方々がおられるということを知っていただき、復興への祈りを込めて、小高神社の色・黄色の『胸章』をお配りしています。
  今後とも相双地域を温かく見守って下さると共に、この地域の日々の活動に何卒ご注目いただきますようお願い申し上げます。」
 ちょっと目立ちますが、明日から通勤用バッグにこの黄色いリボンをつけていこうと思います。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
(↓ランキング参加中)

人気ブログランキングへ