福島県沿岸の有機農業生産者を訪ねる旅(後編)

 2016年11月6日(日)。
 CSまちデザイン主催「福島県沿岸の有機農業生産者を訪ねる旅」の2日目です。
 朝6時過ぎに誰かがカーテンを開けてくれてようやく目が覚めました。快晴です。展望風呂からは松川浦の眺望も最高。
 7時過ぎからの朝食のご飯(お米)は、今日伺う根本洸一さん(南相馬市・小高区)が提供して下さったとのこと。
 8時30分にバスは出発。
 すぐ近くの海鮮直売所に立ち寄り、地元で水揚げされたメヒカリやコウナゴを購入。福島の海の再生も着実に進んでいます。
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 国道6号線を北上し、2日目の最初の訪問地・新地町(宮城との県境近く)に向かいます。
 国道を左折した先の斜面はりんご団地になっていて、その一つである畠利男さん(福島県有機農業ネットワーク副理事長)のりんご園に到着したのは9時半頃。
 福島市内(飯坂町)で桃を生産されていた畠さんは1984年にこの地に入植。 福島市とは全く気候が違い、海からの風で真夏でも汗をかかないことに驚いたとのこと。
 土作りから始め、直販など消費者と交流しつつ、リンゴの有機栽培に取り組んでおられます。
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 農薬を使わないため病虫害で見栄えが悪くなることもあるそうですが、以前、通りがかって「汚いリンゴだ」と言った人には別のリンゴ園を紹介したとのこと。有機栽培の価値を認めてくれる人に買ってもらいたいという思いがあるようです。
 様々なニーズのある消費者と直接結びついていることもあり、25~6種類という多くの品種を栽培されているとのこと。
 りんご園を見学させて頂きましたが、紅玉、ジョナゴールド、 緋のあづま、こうこう(幻と言われる)、北紅(きたくれない)など、様々な色と大きさのりんごが実っている様子は圧巻です。
 割って見せて下さると、すごく「蜜」が入っているものも。
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 もともと名水が有名な地域で、原発事故前は仙台やいわきからも水を汲みに来る人が多く、その機会にりんごを買ってくれる客も多かったそうです。しかし事故後は客は大きく減少。昨年辺りから戻りつつあるそうですが、生憎と今年は作柄が悪いそうです。
 畑の脇で試食させて頂き、お土産に1個ずつもぎ取らせて下さいました。
 南相馬市の中心部まで戻り、仮設店舗の一画にある報徳庵で昼食。
 NPO法人相馬はらがま朝市クラブの方達により運営されている復興食堂。木製のトレーには二宮尊徳つながりの神奈川・小田原市から提供された旨の印が押されていました。
 地場産のカレイの煮付けや刺身の定食は美味。昨夜からちょっと食べ過ぎです
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 バスは次の目的地、南相馬・小高区に向かいます。
 常磐道・南相馬ICから浪江ICを経由して移動中、石井秀樹先生(福島大うつくしまふくしま未来支援センター特任准助教)から「補講」を頂きました。石井先生は昨夕の講演だけではなく、この日も最後まで付き合って色々と説明して下さったのです。
 車窓からは、農地の間に置かれた多数の白いフレコンバッグがみえます。草を詰めたものですが、これらも飼料としては使えない除染廃棄物とのこと。
 その「中身をトウモロコシに変えたい」と石井先生は語っておられました。
 浪江ICで降りて町の中心部へ。
 浪江町の中でもこの辺りは帰還困難区域からは外れているのですが(避難指示解除準備区域)、国道沿いのガソリンスタンド等も廃業したままで人の姿は見えません。
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 やがて南相馬市小高区に入りました。こちらは本年7月に避難指示が解除されていますが、やはり人の姿は見えません。
 そのようななか、除染作業が行われている区域に隣接する畑で、根本洸一さん(福島県有機農業ネットワーク 元代表)と奥様が待っていて下さいました。
 ネギなど何種類かの野菜が栽培されていました。福島大学の学生達が大根等を栽培している一画もあります。学園祭等で販売するのだそうです。収穫作業中だった奥様がネギを分けて下さいました。
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 バスに戻って水田に向かいます。
 大区画 (1ha)に整備された田んぼ1枚に、今年はコシヒカリと雄町米(酒米)を作付けされたそうです。酒米は仁井田本家(郡山市)との契約栽培とのこと。丁寧に自然な酒造りをされている様子を今年1月に見学させて頂いたのを思い出しました。
 根本さんは、2012年から大学研究者等と連携して警戒区域内(当時)にあった小高区内の水田で米の「試験栽培」に取り組んできました。しかし、実った米は自分で食べることさえ認められず廃棄させられたそうです。2014年からは流通も可能な「実証田」としての米作りを続けられています。
 そして今年7 月、避難指示が解除されましたが、小高区に戻って米や野菜作りを再開した農家はわずかな数に留まっているそうです。
 風が冷たくなってきました。
 ただ一人田んぼを作り続けてきた根本さんの取組は、行政や国、東電との「闘い」の歴史でもあったと思います。
 しかし、田んぼを見ながら説明される根本さんの言葉は、淡々として穏やかで、永く農に携わってこられた方らしく、大地に根ざした懐の深さのようなものが感じられました。杉内さんや畠さんの話しぶ りとも共通するものでした。
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 お礼を申し上げて16時過ぎにバスは出発。
 途中、お手洗いを借りた浪江町役場の脇には復興商店街があり、数店が営業されていましたが、ここでもコンビニは閉店中。まだまだ原発事故による被災は継続中です。
 車窓から落ちる夕日を眺めながら、再び参加者にマイクが回されて2日間の振り返り。
 風のがっこうに通い、ご自身が務める保育園でも学童農園を始められたという保育士さん(若い女性)は、
 「明日の月曜は、毎週、休みの間に何があったかを子ども達と報告し合うことになっている。2日間の経験を、どのように子ども達に伝えていくか、さっきからそればかり考えている」との感想。
 他にも「今の便利な生活のあり方に向き合う必要があると思った」「生産あっての消費、ということを実感できた」など、それぞれに強い印象を受けられたようです。
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 CSまちデザイン主催行事への参加を含め、何度か福島を訪問していますが、行くたびに改めて多くのことに気付かされます。
 晴天ながら冷たい風の中で見学させて頂いた根本さんの水田の光景は、永く忘れられないものになると思います。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
 (プロバイダ側の都合で本年1月以降更新できなくなっていることから、現在、移行作業中です。)
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