「あの日から5年8ヶ月を迎える月命日に~二人は何を語る?~」(@東京駒場・番來社)

2016年11月11日(金)。
朝からの強い雨は夕方には上がりました。京王井の頭線・駒場東大前駅近くのママ応援サロン&学び舎・番來舎(ばんらいしゃ)へ。
この日19時から開催されたのは「あの日から5年8ヶ月を迎える月命日に~二人は何を語る?~」と題するトークイベント。
ゲストは福島・南相馬市の上野敬幸さん(福興浜団、鎮魂花火大会実行委員長)と東京電力・福島復興本社代表の石崎芳行さんという組み合わせです。
161111_1_convert_20161120053430.jpg 冒頭、番來舎代表・番場さち子さんから開会挨拶と、開催に至った経緯等について説明がありました(以下、文責は全て中田にあります)。
「石崎代表とは昨年7月、誘われてJヴィレッジの見学に参加した時に偶然会ったのが最初。東電とはそれまでも散々やり合ってきたが、石崎代表に罵声を浴びる覚悟で復興本社について話をしてくれますかと声をかけたら参加して下さると。
「自分の親戚も津波の犠牲になった。上野さんのことは震災直後から知っていたが、会うと津波の話になってつらくなるのが分かっていたので昨年までずっと避けていた。昨年、初めて会って石崎代表とのトークショーについて持ちかけると、東電は憎いがこれからの復興のためになるならと、賛同頂いた」
「そこで昨年11月29日、お2人をお招きして「東京電力福島復興本社って何してるんですか」と題するイベント(注:共同通信の配信記事はこちら。)を福島・南相馬市で開催した。今回はその『駒場番外編』に当たる」
番場さんの説明に続き、震災直後の写真が映写されて上野さんの話が始まりました。
「今日は大震災から5年8ヶ月目ということで地元ラジオでも特集していたが、地震と原発の話ばかりで津波被害には触れられなかった。津波のことが地元の人の意識の上でも置いてけぼりになっている。警察や自衛隊が来るまでの1月ほどの間は、消防団の仲間など自分たちだけで行方不明者を捜索していた。自分も両親と2人の子どもが犠牲となっており、捜索に懸命だった」
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19時30分頃に石崎代表が到着。青い作業服に「復興本社代表」の腕章を巻いています。
冒頭、JR常磐線の事故により遅れてきたことに加え、まずは原発事故について迷惑・心配をかけていることについて詫びられた後、廃炉作業の現状について説明がありました。
構内の90%以上ではマスクも不要となり作業環境は改善していること、高線量の場所にはロボットを投入して調査中であること、汚染水や作業員の被曝の現状(月平均0.23mSV)等について説明があり、「まだまだ長い時間がかかる。これ以上の迷惑・心配をかけないよう全力をあげていきたい」と述べられました。
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その後は、番場さんが進行役になり2人の対話が進んでいきます。
上野さん
「行方不明者を捜索するグループ『福興浜団』を立ち上げたのは2011年7月頃。田んぼ1枚の水を抜くのに1週間かかった。自分たち10名ほどで40人以上の不明者を発見したと思うが、当時3歳だった長男は今も見つかっていない。親として息子に謝りたい思いで一杯。身重だった妻は避難していたため長女の葬儀にも立ち会えなかった」
「4月末には20km圏にゲートが設けられた。捜索できただけ自分たちは恵まれていたと思う。2013年に初めて大熊町に入ったがガレキはそのまま。探すこともできなかった人はどれほどつらかったかと思い、初めて原発や東電への激しい怒りを覚えた。この時に石崎代表に電話して怒りをぶつけたが、何を言ったかはよく覚えていない」
「先日、娘の同級生が6人位で訪ねてきてくれた。みんな成長している。しかし自分の子どもは8歳と3歳のまま。5年8ケ月が経過し世の中は変わってしまった。2万人もの犠牲者を出したのにも拘わらず災害に備えるという教訓が活かされていないのではないか」
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番場さん「お2人が初めて会ったのは?」
石崎代表
「2013年の春、まだ寒かった頃にお訪ねした。最初の挨拶なのでスーツにネクタイ姿で名刺を出すと、地面に放り投げられた。その時、上野さんは太陽を背にしていたので、眩しくてつい眼を細めると『何笑ってんだ』と言われた。その時の上野さんの眼は狼のようで手は震えていた。殴られると思った」
上野さん
「最初に土下座でもするかと思ったら名刺を出されたので、何だこれはと思った。その後は家に上がってもらい、仏壇の前で2~3時間、淡々と起こったことを話したと思う」
石崎代表はその間、ずっと正座して聞き入っておられたそうです。
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そして上野さんから、「昨年、福島第一原発を視察する機会があったが、その時、石崎さんからびっくりするような発言があった」と紹介がありました。
番場さんから「どんな発言だったか」と問われた上野さんは「本人に聞いて下さい」と。
石崎代表
「視察を終えた15人ほどと話をした。大熊町で今も行方不明の子どもを捜索されている方から原発をどう思っているのかと問われ、私は、資源のない日本としてはあらゆる方策を採る必要があり、原発という選択肢も排除すべきではないと答えた」
この回答に、質問された方は怒りに震えていたそうです。
上野さん
「その場は、敢えて原発が必要などと発言しなくても乗り切れたはず。しかし石崎さんは正直に自分の意見を言った。この人は嘘はつかないだろうと信頼できるようになった」
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石崎代表の発言に対しては、この日の会場の複数の参加者からも「原発が無くても電気は足りている。原発とは共存できない」等の意見が出されました。
これらに対して石崎代表からは
「自分自身、アトム世代として科学の力を信じて育ってきた。かつてのようなオイルショックが起こる可能性もある。想像力を働かせる必要がある。原発の停止によって3兆円以上の燃料代が余計にかかっているのも事実」等と回答。
原発の是非についてのやりとりは、この日は交わることはありませんでした。

終了時間となり、番場さんから「最後にこれだけはというメッセージを」と促され、まず石崎代表からは、
「世界中の叡智を集めて廃炉作業に取り組んでいる。賠償や除染はもちろん、まちづくりなど住民の方たちのためにできることは何でもやる覚悟。お叱りは受けるのは当然だが、 お叱りだけではなく、一緒になって前に進んでいきたい」との発言。
上野さんからは
「今後の災害と事故を教訓として欲しい。家族の命をどう守っていくか、家族や友達で話し合って欲しい。それだけ」との発言がありました。
なお、会場からは「福興浜団」の活動についての紹介と支援の協力依頼もありました。
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その後、上野さんは所用があって退席されましたが、石崎代表はじめ東電の関係者の方も含めての交流会に。今回もスタッフの方たち(肉親を津波で亡くされた方もおられます。)の手作りの料理が並びました。
廃炉作業や原発被災地の復興には一定の進捗はみられるものの、まだまだ多くの課題があります。利害関係は複雑に絡み合い、地域社会や世論には分断もみられます。番場さん自身、この日も「東電は絶対に許せない」と公言されていました。
そのような中、多様な意見を交わす機会を積極的かつ献身的に設けられている番場さんの奮闘には、心から敬意を表したいと思います。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
(プロバイダ側の都合で本年1月以降更新できなくなっていることから、現在、移行作業中です。)
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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