【ブログ】高遠菜穂子さん「モスル緊急報告会」

2017年2月20日(月)。
 先週は春一番も吹いて気温が上昇した日もあったのですが、この日はその反動のように冷たい雨になりました。

東京・神田神保町へ。
 19時から専修大学・神田キャンパスで開催されたのは「エイドワーカー高遠菜穂子・イラクモスル緊急支援報告会-エイドワーカーがモスル解放地区で見た『対IS戦争』」
 主催は国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウ(HRN)です。

HRNイラクチームの石崎弁護士の進行により開会、高遠菜穂子さんの紹介がありました。

高遠さんは北海道生まれ。大学卒業後、会社員や実家の飲食店経営に携わった後、2000 年からはインド、タイ、カンボジアでボランティア活動に専念。
 2003年5月からはイラクでの活動を開始、2004年4月にはファルージャで現地武装勢力に人質として拘束されたこともありましたが、現在もイラク人道・医療支援活動を継続中とのこと。

高遠さんの話を伺うのは初めてです。
 「自分は人道支援でイラクに入っているので、最も悲惨な地域しか知らない。私のイラク観は偏っていることに注意して話を聞いて欲しい」と断られた上で話し始められました。
 その内容は、予想以上に凄絶なものでした(文責・中田)。

「1月20日過ぎに帰国したが、モスル(イラク北部の大都市)周辺では本格的な対IS掃討作戦が継続中。先日、ISは病院が空爆され女性・子どもを含む多数の死傷者が出たと発表したが、米軍など有志連合側は「元」病院と反論。いつものことながら言い分が食い違う」
 「有志連合のある兵士が自慢げにスマホの写真や動画を見せてくれたことがある。ISの少年兵を蔑称で呼び、すぐに殺害したと言っていた。国際法では、医療機関を攻撃したり捕虜を処刑したりしてはいけないはず。戦争とは、こんなにもモラルがなくてもいいのかと思う」

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のレポートによると、世界の113人に1人が難民、国内避難民又は庇護申請者で、その半分は子ども。経済的に恵まれていないため国外に脱出できない人が国内避難民(IDP)となっている。
 イラクの国内避難民は2007年の240万人をピークに減少していたが、現在、第2次ピークを迎えつつある」

「2014年6月、ISがモスルで『建国』を宣言。最初のうちは周到に人心掌握を図っていたが、やがて少数宗派等の弾圧が始まり、多くの避難民が出るようになった。
 そして2016年10月17日、イラク戦争後で最大規模の戦闘・モスル奪回戦が開始された。クルド人など様々な勢力が参加している」

2014年頃、高遠さんはモスルの自閉症児等を支援するセンターで働いていたそうで、その時の写真や動画を見せて下さいました。卓球をするなど楽しい日々が映し出されます。

その時の子ども達を心配しつつ、2016年11月8日、緊急支援物資(ペットボトルの水とドライフード)を届けに避難民キャンプを訪ねた時の様子。子ども達は物資をトラックから下ろすのを喜んで手伝い、カメラに向かって笑顔で手を振っています。
 「自分のような外国人の姿を見て、解放を実感した様子だった」とのこと。

一方、病院はてんてこ舞い。多くの負傷者が運び込まれるもののガーゼや包帯も無く不衛生な状況だったとのこと。
 しかし2ヶ月後に再訪するとクリニックが整備され、暗い顔をしていた看護師さんの表情も明るくなっていたそうです。

モスルの東半分は解放されましたが、旧市街のある西半分では戦闘が継続中とのこと。
 そのモスルで高遠さんは、再建プロジェクトに取り組んでおられます。

モスルで世話になった家の19歳の息子が市内を案内してくれたそうです。
 まさに住宅街が戦場になり、しかもIS戦闘員の多くは12歳から16歳の子どもだったとのこと。脅されたり、家族を殺された恨みがあったり、あるいは一番いい給料をもらえる仕事は戦闘員なので武装勢力に加わっているそうです。

そこで高遠さんは、現地の仲間達と「再建プロジェクト」を開始しました。
 「このような状況を放置したままでは戦闘はエンドレス。テロも撲滅できない。ポジティブに活動する機会を作れば、雇用創出にもなるしモチベーションも上がる。
 泥沼になってしまったら武力行使しかないのは事実かも知れない。だから武力行使に反対するには、社会を泥沼にしないことしかない。皆さんの応援、支援をお願いしたい」と話を締めくくられました。

続いて会場との質疑応答。
 イラク及びシリアにおけるISの実情については、
 高遠さん「イラクとシリアとでは背景も全然違う。アメリカの立場もイラクとシリアでは逆。現地でISの戦闘員になっているのは脅されたりお金のためで、大義や米軍の思惑とは無関係。
 ISの公開処刑など時代錯誤的で残虐だが、先日、ある地方で昔の一向一揆の絵をみると日本も同じだった。時と場合によっては自分も同じようなことをしないとは限らないと、あえて自戒を込めて思うようにしている。ISはモンスターだと切り捨ててしまうと、もっと恐ろしい事態を招きかねない」

高遠さんの安全を気遣う質問も。
 高遠さん「自分は行けるところにしか行かないし、近くまで行って実情を見極めて入るようにしている。それでも、よく行っていたカフェで自爆テロがあったりする。これは避けようもない」

若い女性からの「イラクには行けない私にできることはあるか」との質問には、
 高遠さん「まずは私のFBを見て実態を知って下さい。カンパが一番簡単な支援。
 10数年イラク支援に関わってきて色んな出会いがあり、現地のNGO等とも繋がりができている。フリーランスのインターンに現地の医療ミッションに参加してもらったり、マンガセラピーで役立てないかと申し出てくれている人もいる。
 支援のやり方は色々ある。何でも言ってくれれば考えますので」との回答。

閉会に当たり、HRN事務局長の伊藤和子さんから
 「高遠さんの話は何度も伺っているが、今日の話が一番こたえた。目を背けたくなるような現実。しかしそれは、私たちが作り出し、支持し、あるいは無関心でいた結果生じていること。イラクのことを心配しつつ、結局、私たち日本自身が問われている。
 絶望的ともいえるイラクの状況の中で希望を見出そうと活動されている高遠さんには、強いリスペクトを覚える。HRNのイラクプロジェクトも頑張っていきたい」等の挨拶がありました。

イラクのことを自分自身は何も分かっていないことが分かり、重い気持ちになる報告会でした。
 一方、高遠さんの凛とした姿には強く励まされました。早速、高遠さんのFBをフォローすることにしました。

帰り際、HRNの小さなカレンダーを求めました。世界各地の子ども達の笑顔の写真。
 今日の報告会で感じたことを忘れないように、手近に置いておくことにします。