【ほんのさわり】テツオ・ナジタ「相互扶助の経済」

テツオ・ナジタ『相互扶助の経済-無尽講・報徳の民衆思想史』(五十嵐暁郎監訳、福井昌子訳)

著者は1936年ハワイ生まれの日系アメリカ人で、シカゴ大学教授を長く務められた方(専攻は近代日本政治史・政治思想史)。

大阪の町人学問所・懐徳堂における教えや、山片蟠桃、三浦梅園、石田梅岩、弘世助三郎、和田耕斎など、必ずしも有名ではない在野の実践者を含む様々な人の思想や事績を丹念に辿り、近世から江戸時代の日本社会には、相互扶助的な経済や思想の伝統が存在していたことを明らかにしています。なお、巻末には11ページに及ぶ膨大な参考文献リストが収録されています

相互扶助的な経済や思想の背景には、「経済は道徳と無関係であってはならない」「自然はあらゆる知の第一原理であらねばならない」等の確固とした認識があったとし、その具体例として「講」と「報徳運動」が取り上げられています。

鎌倉時代や平安時代には宗教的活動を目的としていた講(伊勢講、念仏講等)は、江戸時代には飢饉等に対する経済的な相互扶助を目的とする頼母子講、無尽講等に深化しました。信頼・契約に基づくセーフティ・ネットの仕組みが実践されていたのです。
「報徳」とは、二宮尊徳の思想に基づく相互扶助の組織・運動。尊徳は「自然から命を与えられている人は、命を助け育てる義務がある」とし、この義務を果たすことこそ「報徳」であるとします。そして命を守るために勤勉に働くことが道徳にかなう「善」であるとしているとのこと。
ちなみに報徳本社(静岡・掛川市)の入り口には「道徳門」「経済門」と刻まれた2本の門柱があり、これは道徳と経済は分離できないという報徳思想を象徴しているものだそうです。

明治以降の国家主導の近代化政策の中で、このような相互扶助の伝統は次第に失われました。若き農商務省官僚・柳田國男と岡田良一郎(報徳運動の指導者)との間で戦わされた興味深い(思想的に相容れない)論争のエピソードも紹介されています。
しかし、相互扶助の伝統は全く失われてしまった訳ではなく、近代経済の底には理想的な倫理(自然を前提とした共存・共生)の力が生き続けているそうで、それは例えば震災時のボランティア活動等にも現れているとしています。

F.M.Letter No.113, 2017.2/26掲載】