【ほんのさわり】野坂昭如『火垂るの墓』

-野坂昭如『火垂るの墓』(1972/1、新潮文庫)-
http://www.shinchosha.co.jp/book/111203/

1930年、鎌倉市に生まれた野坂昭如(2015没)は生後半年で神戸に養子に行き、1945年の神戸大空襲に遭遇。『火垂るの墓』(ほたるのはか)は、その原体験に基づく小説として1967年に発表され、姉妹作の『アメリカひじき』とともに翌年、直木賞を受賞しました。その後、映画化・ドラマ化も何度かされています。

主人公は、野坂自身がモデルとされる清太少年。
 父親は出征中で音信不通、6月5日の空襲で母親を亡くし、4歳の妹・節子とともに西宮の遠い親戚にいったん身を寄せるものの、酷い扱いを受け、親戚宅を出て防空壕で自活するなか、妹を栄養失調で失います。

作中では、当時の食糧事情が繰り返し描かれています。
 親戚宅に身を寄せた当初こそ罹災証明があれば「米鮭牛肉煮豆」の特配があったものの、やがて「二合三勺も半分は大豆麦唐きび」になったとのこと。ちなみに「二合三勺」は「豆知識」欄でも紹介しましたが、とても十分な内容ではなかったことが描かれています。
 自炊を始めてからは「タコ草南瓜の茎のおひたし、池のたにしのつくだ煮」など。ちなみに「タコ草」とは雑草のスベリヒユのことのようです。
 衰弱していく妹をながめる清太は「指切って血イ飲ましたらどないや」「指の肉食べさしたろか」とさえつぶやきます。

妹の亡骸を自ら火葬した清太は、水と便所はある三宮駅に移ります。
 駅前の闇市には多くの食べ物が並んでいました(「蒸し芋芋の粉団子握り飯大福焼飯ぜんざい饅頭うどん天どんライスカレーから、ケーキ米麦砂糖てんぷら牛肉ミルク缶詰魚焼酎ウイスキー梨夏みかん」)。
 もっとも清太が口にできたのは、「仏様に供えるようにややはなれた所にそっとおく食べ残しのパンおひねりのいり大豆」等だけです。
 そして(1ヶ月以上前に戦争は終わっていた)9月22日、三宮駅構内の浮浪児の一人として、清太もやはり栄養失調で「野垂れ死に」するのです。

執拗なまでの食べものの描写には、作者の「飢えに対する恐怖」「食べものへの恨み」が込められてるかのようです。

[参考]
 ウェブサイト「フード・マイレージ資料室-ほんのさわり」
  http://food-mileage.jp/category/br/

F.M.Letter No.124, 2017.8/6配信】掲載