【ブログ】太田道灌ゆかりの地・越生をめぐる。

世の中は「応仁の乱」ブームのようです。
 2017年10月9日(月・祝)、東京・代々木で開催されたシンポジウム「戦国近江の幕開け」(滋賀県教育委員会主催)も、応仁の乱に焦点が当てられたものでした。

末柄豊准教授(東京大・史料編纂所)と松下浩氏(滋賀県教育委員会事務局)による講演と対談。
 「六角氏は最後まで室町幕府の守護としての立場を貫いた」との説明など、興味深い内容でした。

応仁の乱は、応仁元(1467)年から11年続き、全国を戦乱の渦に巻き込んだというのが定説ですが、実は関東においては、その10年以上も前から既に大乱の時代を迎えていました。
 それが中央に波及して応仁の乱が起こったとする学説もあります。

2人の公方(古河、堀越)、関東管領の両上杉家、両家の家宰・長尾氏と太田氏、それに各地に蟠踞する有力国人達が、広大な関東平野を縦横無尽に争った中世関東の歴史は、畿内以上に複雑で興味深いものです。

最近、そのような思いを強くしていたところ、10月15日(日)には、エコ・コミュニーシュン(ECOM)主催の比企ツーリズム(歴史)「太田道灌ゆかりの地・越生をめぐる」が開催されました。

午前10時、越生駅前にECOM代表の森良さん、ナビゲータの山本正史さん(まつやま書房)はじめ6名の参加者が集合。生憎の雨です。
 森さんのワゴン車に乗せていただき、まずは「山吹の里歴史公園」へ。

水車小屋回りの山吹には、まだ花が残っています。
 説明板の前で、山本さんが解説して下さいました。

「七重八重 花は咲けども山吹の 実の(箕)一つだになきぞ悲しき」

にわか雨に遭って雨具を借りに民家に立ち寄った若き日の太田道灌は、少女から差し出された一枝の山吹の意味を理解できなかったことを恥じて大いに歌道を学び、後に文武両道の名将になったという逸話の故地とされています。
 ちなみに「山吹の里」の地とされるのは、新宿区など他にもあるとのこと。

駅の方に戻り、反対側の法恩寺へ。
 天平年間(8世紀)に行基が開山、鎌倉時代に越生氏により再興され、江戸期には真言宗の学問所だったそうです。国が重要文化財に指定した仏像も安置されているとのこと。

続いて、山道を少し上ったところにある正法寺へ。
 駐車場から石段を登ると、境内には大きなイチョウの木。「ぎんなん拾ってください、たくさん」との張り紙とレジ袋。

石段の途中にある子育て観音には、人形や乳房をかたどった縫いぐるみが奉納されていました。

正法寺裏手の山をさらに登り、世界無名戦士の墓へ。海外から帰国した200余柱の遺骨がまつられています。

石段を登り詰めたところにある納骨堂の上は、展望台になっています。雨が強くなってきました。

越生市の町並みと周囲の山並みが一望できます。
 案内板によると、天気が良ければ東京スカイツリーや筑波山も望めるとのこと。

12時近くとなり、昼食のために岩井屋さんへ。落ち着いた座敷もある日本料理店です。

頂いたのは、名物という梅味噌カツ丼。さくさくと香ばしく、ボリュームも十分。

雨は、やや小降りになってきました。
 越辺(おっぺ)川を遡るように県道61号線を西南に向かいます。両側の梅林は、水戸、熱海とともに関東三大梅林に数えられているそうです。

県道を右折して山道に入り、10分ほど登ったところにあるのが、龍穏寺
 曹洞宗の寺院で山号は長昌山。江戸時代には、全国の曹洞宗寺院を統括する関三刹(関東三大寺)とされていたそうです。

立派な山門。見事な彫刻が施され、4体の仏像が安置されています。
 境内にある熊野神社や経蔵も趣きがあります。経蔵の外壁も彫刻で飾られています。
 これら見事な彫刻は、上野国山之神村(現太田市)の岸亦八という人の手によるそうです。

境内から一段高いところに、太田道真・道灌父子の墓所がありました。
 この地域は、主君である扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の勢力範囲の境界に当たり、道真が砦を設けて守備し、息子の道灌もしばしば訪れていたそうです。

その道灌は文明十八(1486)年、主君の上杉定正に疎まれ謀殺されてしまいます。わが子の死を知った道真も、その6年後、越生で81歳で生を終えたとのこと。

二基の五輪塔や石仏が、降り続く雨に濡れそぼっています。

県道に戻り、さらに少し越辺川を遡ったところにあるのが全洞院
 保存樹に指定されているという見事なサルスベリの脇を抜け、墓地に登ると、そこに渋沢平九郎の墓がありました。

平九郎は渋沢栄一の義弟。
 幕末、旧徳川方の振武軍の副将として官軍と闘い敗れ(飯能戦争)、この地の近くで空腹のまま自刃したのを、村人達が墓前にしゃもじを添えて葬ったそうです。

清流・越辺川の対岸にあるのが黒山熊野神社。
 小ぶりながら深山の趣きがあります。石灯篭に生えた苔が、雨水を含んで鮮やかです。

道の駅に立ち寄り(暖かいお饅頭を求めました)、15時前に越生駅前で解散。
 最後まで雨は上がりませんでしたが、雨に煙る山や寺院の光景は美しく、強く印象に残りました。

また、山本さんから、その地その地で詳細な説明を頂いたことで、いっそう興味深く充実したツアーとなりました(渋沢平九郎のことは、名前も知りませんでした)。
 主催者の森さんにもお世話になりました。有難うございました。

この比企ツーリズム(歴史)、次回は12月10日(日)に「鎌倉御家人ゆかりの地」を回る予定とのことです。