2018年1月22日(月)、東京地方は午後から雪に。
2時間ほど早めに退庁したのですが、同じよう帰宅を急ぐ人で西武新宿駅は大混雑。自宅近くの駅を降りると、まるで雪国の光景。
その後も寒い日が続き、ベランダに置いたプランターの雪はいつまでも消えません。
ちなみに個人的にはとうとうインフルエンザ(B級)に感染し、熱はすぐに下がったのですが、しばし蟄居・閉門生活。多くの方にご迷惑をかけすみませんでした。
1週間ぶりに出勤した1月29日(月)の終業後は、東京・竹橋の毎日新聞社へ。
この日18時30分から開催されたのは「原発事故がもたらした福島差別と分断を乗り越えるために」と題するシンポジウム。
本年1月、かもがわ出版から出された『しあわせになるための「福島差別」論』の出版記念企画で、14人の執筆陣から8名の方が登壇されました。
(主催者による報告はこちら)
会場に到着した18時40分頃には、すでにシンポジウムは始まっていました。
進行役の開沼博先生(立命館大・衣笠総合研究機構准教授)が、代表執筆者である清水修二先生(福島大学名誉教授、地方財政論・地域論)に対して「差別とは何か」と問いかけられているところでした(以下、文責は全て中田にあります)。
清水先生
「差別とは、特定の人に対するいわれのない人権侵害。差別する側に自覚のないケースも多く、善意や正義感が差別につながることもある。書名をカギ括弧つきの『福島差別』論としたのは、何が差別になるのかを一緒に考えていきたいという思いから」
続いて一ノ瀬正樹先生(東京大学大学院教授、哲学・因果論等)が発言。一巡目は、おおむね執筆順に発言していくようです。
「福島県では震災関連死が2000人以上と津波等による犠牲者数を超え、突出して多い。避難することで50名が死亡した病院もあった。その原因を考えると、関連死は決して不可避ではなかったと思う。その時点でプライオリティが高かったのは命の保全で、被ばくを避けることは二の次だったはず。後世の教訓とすべき」
続いて大森真さん(飯舘村教育委員会)がマイクを取られました。
「地元テレビ局で報道局長をしていたが、マスコミというのは最大公約数的に報道するもの。空中戦の時代は終わったと思い、テレビ局を辞めて飯舘村に転職した。
漫才師の方を呼んでイベントを行った時、地元のリーダー的な女性が『私たちも笑っていいんだね』と話された。まずは傾聴のようなことから始め、一人ひとりの心を柔らかくするような新しいリスコミが必要な段階」
翻訳家の池田香代子さんは、清水先生とは高校の同級生だそうです。
「震災後は福島にも意識して通い、様々な活動に関わってきた。放射能の問題を、現政権への賛否などイデオロギーと紐付けて論じる人が多い。事故直後、生活者として心配していたようなことにならなくて良かった。科学者が積み上げてきたデータを共有することが必要」
松本春野さんは絵本作家・イラストレーターで、『ふくしまからきた子』『ふくしまからきた子 そつぎょう』等の絵本も出版されています。
「正義感が人を苦しめていることを体験した」として、大阪での「葬列予報デモ」、国道6号線清掃活動への誹謗中傷、九州の生協の東北応援フェアからの「福島外し」等についてスライドとともに紹介されました。
シンポジウムは、次第に専門的な内容に移っていきます。
野口邦和先生(日本大学准教授、放射線防護学等)から
「差別が生じる原因の一つは放射能(線)に対する根強い誤解。広辞苑の説明も間違っている。これらを払拭していく必要がある。2011年10月、横浜市のマンション屋上でストロンチウムが検出されたとの大きな報道があったが、結局は間違いだった。測定には経験や熟練も重要。福島県産の食品の安全性も十分に担保されているが、それでも食べたくないという人がいるのは仕方がない。いずれにしても冷静にデータを判断し、周知していくことが必要」との発言。
続いて児玉一八先生(核・エネルギー問題情報センター理事、生物化学)からは
「甲状腺ガンの問題はイデオロギーとは無関係。まっとうな科学者が弾圧され旧ソ連崩壊の遠因ともなったルイセンコ事件のようなことを起こしてはならない。
病状が出たり亡くなったりする訳ではない人を病気と診断するのが『過剰診断』。韓国やアメリカでは検査を充実させたために罹患率は上昇しているが死亡率は変化ない。一方で、がんと診断されることで様々な経済的・社会的不利益、精神的ストレスが生じる。一般的な悪性のがんとは異なることをしっかりと説明していくことが必要」とのこと。
最後に開沼先生から
「廃炉の現場をみると、進捗状況はゼロでも100%でもない。東電が公表しているパラメータを丹念にチェックするなど、事実を見る目を養っていくことが必要」等とコメントされました。
後半も甲状腺ガンの問題が主なテーマとなりました。
福島県の「県民健康調査」検討委員会の委員もされていた清水先生からは、
「地元の小児科医は検査の縮小を要望している。原発事故のせいで、しなくてもよい検査をし、しなくてもよい手術をしている可能性が高い。星座長の『簡単にはやめられない罪深さ』との発言に共感する」との発言。
「がんいう呼び方が問題では」との一ノ瀬先生からの質問に対しては、児玉先生からは
「顕微鏡で見ればがんの病理学的定義に当てはまるが、進行せず、心配しなくていいがん。米国予防医学専門委員会は、昨年、症状がない人への甲状腺検診は有害無益で行うべきではないと勧告している」との回答。
関連して大森さんからは「過剰診断の話は、福島の人には十分届いていないのではないか」とのコメント。
さらに児玉先生は
「国連科学委員会の報告書によると、放出された放射性ヨウ素の量はチェルノブイリの約10分の1で、しかも7~8割は海洋へ。チェルノブイリとは異なり、福島では外部被ばく線量と甲状腺ガン有病率との間には関連は見られない。被ばくの影響が全くないと断言することはできないが、いずれによ、甲状腺がんの検査は過剰診断という重大な問題を伴っている」と発言されました。
会場から出された「幸せになるためには、福島を差別すべきと誤解されるようなタイトルではないか」との質間に対しては、清水先生から、
「そのような質問が出るとは思ってもなかった。執筆者の間で話し合い、どういうことが差別に結びつくのかということをみんなで考えようという意図からこのようなタイトルにした」との説明。
最後に池田さんから、
「昨日のシンポジウムには批判的な人もいたが、来てくれたことに感謝した。いつまでも対立しているのはどうか。この7年間は貴重な学びの機会だったはず。何とか大多数が納得できるようにならないかと思っているが、私は甘いのかな」等の発言がありました。
引き続き、同じ会場を設営し直して立食の懇親会に。
清水先生からの乾杯の挨拶。登壇されなかった執筆者の方からも挨拶がありました。
この日のシンポジウムでも本でも明らかにされている通り、今も福島をめぐる差別と分断は根深く、しかも、善意や正義感がその原因の一つとなっていることが明らかとなりました。
清水先生は本書のなかで、
「差別と分断を乗り越えるためには、それぞれの判断と選択をお互いに尊重しつつ、科学的な議論の土俵を共有することが必要」
「科学論争に価値判断(政治的判断、イデオロギー)を持ち込むべきではない。『あなたはどっちの味方なのか』という問い自体を是としない」等と述べておられます。
本書は、原発被災からの復興を考えていく上で一つの拠り所となるものと思われます。
座右に置いておきたいと思います。