藤原辰史『稲の大東亜共栄圏』(2012.9、吉川弘文館)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b102877.html
本欄で藤原先生(京都大人文科学研究所准教授、農業技術史)の著書を紹介するのは、 No.136(2018.1/31)の『戦争と農業』に続いて2冊目です。
本書では、20世紀前半に日本が植民地支配を強めていく過程で、品種改良が植民地統治に重要な役割を果たしたことが明らかにされています。
現在、主要農作物種子法が廃止されることについて多国籍企業により種子が支配されるのでは等と懸念する声が上がっていますが、その「種子を通じた支配構造」のひな形が戦前の日本にみられるというのです。
その象徴として、寺尾博(農林省農事試験場長、当時)の「我が国においては、稲もまた大和民族なり」という言葉が引用されています。寺尾らによると、日本の稲は高品質だけではなく強靭で、植民地の品種や西欧の小麦に比べて「優越する種族の感じも否めない」とのこと。
中央集権的な「官営育種」によって生まれた品種である陸羽一三二号(宮沢賢治の詩にも出てきます。)や「農林一号」は、植民地の農村に提供する農業技術のパッケージの先発隊・司令塔としての役割を果たしました。育種学は、日韓併合や大東亜共栄圏の建設に貢献したのです。
また、これら品種は高い耐肥性(施肥量が多いほど収量が増加)という特性を有していました。このため、これら品種の普及を図るために、日窒コンツェルンは朝鮮半島に進出して化学肥料工場を建設しました。
ちなみに化学肥料の製造工程は火薬製造と共通しており、日窒コンツェルンの中核企業は後に水俣病の原因企業となったチッソです。
著者は、これらの状況を「エコロジカル・インペリアリズム(生態学的帝国主義)」と呼びます。
そして、その構造は今も変わっていないとし、「種子の一極集中に対して抵抗を続ける人びとに、本書の言葉が一つでも多く届くことを祈りたい」という言葉で本書を締めくくっています。
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【F.M.Letter No.140、2018.3/31[和暦 如月十五日]掲載】
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