【ブログ】「Present Tree in ひろの」交流イベント

2018年4月8日(日)。気温はやや低いものの好天に恵まれました。

朝7時過ぎの新宿から、福島・広野町に向けて1台の大型バスが出発しました。
 2016年1月にスタートした「Present Tree in ひろの」交流イベント(日帰りバスツアー)です。

首都高、常磐道とも順調。
 友部SAでの休憩後、事務局の平沢真実子さんからの行程等の説明に続き、主催者であるNPO法人環境リレーションズ研究所の鈴木敦子理事長から挨拶がありました。

「プレゼントツリーとは、人生の記念日に樹を植えて、10年間通って地元の方とともに育てていくという取組み。広野町の植栽地の里親は3年目には満員になり、苗木は順調に育っている。
 賑わいを取り戻し彩りのある町にしたいと活動されている方々の気持ちに応えるためにも、くり返し訪れ、末永く応援していきたい」

続いてマイクが回され、参加者一人ひとりから自己紹介。40名ほどのうち半数はリピーターのようです。
 広野町におけるプレゼントツリーの取組みのきっかけ作りをされた大和田順子さん((一社)ロハス・ビジネス・アライアンス共同代表)の姿も。

10時20分頃、予定より早くニツ沼総合公園に到着。
 震災後は復興作業の拠点となり閉鎖されていた公園は、今は多くの子ども達の歓声で賑わっていました。散り残っている桜の下を合宿所の建物へ。

広野町の復興企画課長さん、受け入れて下さった広野わいわいプロジェクトの磯辺吉彦事務局長からの挨拶に続き、昨年秋に収穫したオーガニックコットンの綿繰り作業スタート。
 この日の最初のプログラムです。

今回も、吉田恵美子さん(いわきおてんとSUN企業組合)が指導して下さいました。

細かなゴミを手で取り除き、ローラー式の綿繰り機で種を分離した後、綿弓で弾くようにしてふわふわの綿毛にします(綿打ち)。
 そしてチャルカという新兵器(?)を使って糸を紡いでいくのですが、途中でブツブツと切れてなかなかうまくいきません。

1時間ほどの作業の後は昼食に。
 この日も地元の女性の方達が準備して下さいました。ばら寿司にサラダ、味噌汁。美味、満腹!
 銘菓・白鷺の里もデザートについています(地元の方が由来を説明して下さいました)。

会場では、ふくしまオーガニックコットンの製品の販売もありました。

13時過ぎにバスに乗って、鹿島神社近くの防災緑地(プレゼントツリー植栽地)へ。

ここに遠藤町長さんが見えられ、挨拶を頂きました。
 「一時、原発事故で全町避難を強いられた広野町も、人口の84%が帰町している。祭りなど伝統も守り未来の子ども達に残していきたい。再生から創生へと新しいまちづくりに向け邁進していくので、引き続き皆さんの支援をお願いしたい」

鈴木理事長からは「広野町の取組は浜通り全体の手本になる」等のお礼の挨拶。
 その間も、風に乗って遠くから太鼓の音が近づいてきます。

やがて、猿田彦と太鼓に先導された神輿の行列が見えてきました。
 鹿島神社の氏子総代・根本賢仁さん(広野わいわいプロジェクト代表)の姿もみえます。

五穀豊穣を願って130年ほど前から続けられていた浜下り神事「たんたんぺろぺろ」(ユニークな呼び名は太鼓と笛の音色に由来)は、東日本大震災により中断していました。
 津波の直撃を受けた鹿島神社は、今も鳥居は再建されていません。氏子も半数以下に減少しているそうです。

その「たんたんべろべろ」が、この日、8年ぶりに復活したのです。

神輿は地区内を練り歩き、あちらこちらで勇壮な掛け声とともに回されます。
 そして神事が行われた後、新たに整備された防災緑地と防潮堤とを越えて浜に下っていきました。

青空ながら、この日は強風注意報が発令されていたほどで波は荒く、水も冷たかったのですが、神輿はずんずんと海に入って行きます。

担ぎ手の方達は腰近くまで波をかぶっています。そして勇壮な掛け声とともに、神輿は何度も回されました。すごい迫力です。

なお、本来は浅見川上流にある大滝神社(女神様)と下流の鹿嶋神社(男神様)の神輿が一緒になって潮垢離(しおごり)をとるそうですが、山間部にある大滝神社では担ぎ手の確保がさらに困難な状況にあるそうです。

8年ぶりの祭りの復活に立ち会えた興奮を胸に、一行はバスに戻り、最後の目的地・富岡町に向かいます。
 磯部さんが同乗してガイドして下さいました。

原発事故収束の拠点となっていた Jヴィレッジ(サッカーのナショナルトレーニングセンター)のピッチには、緑色の天然芝が蘇っていました。

通過した楢葉町には今も多くの除染廃棄物がみえますが、それでも数はだいぶ減りました。かなりの量が中間貯蔵施設に移送されたとのことで、仮置き場であった農地の復旧作業が始まっています。
 コンパクトシティの建設も進み、景色はだいぶ変わっています。

富岡町の夜の森地区に到着。
 震災前は東北地方でも有数の花見の名所だった場所です。

生憎と桜は盛りを過ぎていましたが、それでも名残を惜しむように多くの方達がそぞろ歩いていました。
 この地区を訪ねたのは4回目位ですが、以前来た時は人の姿はほとんどありませんでした。桜の季節ということもあるのでしょうが、ここも賑わいを取り戻しつつある様子が伺えました。

しかし、現在も地区の一部は帰還困難区域のままで、ゲートが設けられ立ち入りが禁止されています。設置された線量計の表示は、0.55マイクロシーベルト・毎時でした。

復興については、進んでいる面と、まだまだの面と、両方あるというのが現実です。

さくらモール(1年前に開業した公設民営の商業施設)で磯部さんとお別れ。

地元の伝説と名所にちなんだ日本酒「奥州日之出の松」とともに、「浜通りはまだまだ人が少ないのが現実。皆さんが来てくれることが力になる。ぜひまた来て下さい」との言葉を頂きました。
(バスの中でみんなで頂いたお酒の残りは、わが家まで連れて帰ってしまいました。ご馳走様でした)

バスは広野インターから常磐道へ。一路、東京に向かいます。

再びマイクが回され、それぞれ感想などが述べられました。
 「綿繰りや糸紡ぎが楽しかった」「8年振りの祭りの復活に立ち会えて感無量」 
 「頑張っている地元の方達の姿が印象的だった」「食事の準備など大変だったと思うが、遠くから来てくれて有り難うと言って下さり目頭が熱くなった」
 「美しい海を見た時、かつてここから津波が来たと思うと心が痛んだ」

「現地に足を運び、自分の目で確かめることの大切さを痛感した」
 「帰還困難区域のゲートを見た時はショックを受けた。東京の人たちは知らないのではないか」
 「見に行くことの責任があるし、見たことの責任もある。1人でも多くの人に現実を伝えていきたい」等々。

参加者の皆さんの話を聞きながら車窓の外に目を向けると、何ともきらびやかな東京の夜景。
 広野火力発電所の巨大な排気塔の姿が思い出されます。原発が停止している今も、福島は東京圏への電力供給基地であることに変わりはありません。

今回のツアーでも多くの学びを得ることができました。
 地元の皆さま、主催者・事務局の皆さま、有難うございました。

なお、次回の交流イベント(あえてボランティアとはうたっていないそうです。)は、9月までの間に開催される予定とのことです。

(今回のイベントの主催者による開催報告はこちら