【ブログ】午前四時のブルー(小林康夫先生×國分功一郎先生)

2018年6月8日(金)の終業後は、東京・神楽坂へ。
 メトロの駅を出たすぐのところに小さな看板が出ています。

ここが「本のにほひのしない本屋-神楽坂モノガタリ」。
 新刊書店とカフェを兼ねたスペースで、バルコニーにも椅子とテーブルが並べられています。

この日19時から開催されたのは『「謎、それは自分」をめぐって~」と題するトークイベント。

文学、芸術、哲学など様々なフィールドの方々による寄稿で構成する新しい雑誌『午前四時のブルー』(水声社)の刊行を記念したものです。

登壇されたのは、この雑誌の責任編集(“庭師”)をつとめられた小林康夫先生と、國分功一郎先生の2人の哲学者。

小林先生は1950年生まれの東京大学名誉教授、青山学院大学特任教授。
 『知の技法』『不可能なものへの権利』『君自身の哲学へ』など多数の編著書や訳書がある方。

國分先生は1974年生まれの東京工業大学教授。スローフードにも触れた『暇と退屈の倫理学』や都道建設問題を扱った『来るべき民主主義』には、私も大きな示唆を頂きました。

定刻の19時を少し回ってトークがスタート。
 お2人とも、この場の心地よい雰囲気が気に入られたようです。

國分先生からは、「小林先生は厳しい面もあったが、それを含めて心の師と思っている」との話。

これに対して小林先生からは「國分君は教え子の中でもナンバーワン。バトンを渡せたという気持ちも持っている。このような素敵な場で対談できることに感激」とのエールの交換。
 さらに「今日はゲーム感覚でお互いに言いたいことを言いましょう」という言葉から、トークが始まりました。
(なお、文責は中田にあります(よく理解できなかった部分も多数あります))。

まず、國分先生から、
 「駒場の学生時代、小林先生の授業はよく受けた。キーワードをあたかも風船のように空中に投げ、やがてそれが渦を巻いて、次第にイメージが見えてくるような授業。よく理解できず、帰って風呂に入ってもずっと考えていた。
 先生は詩人ではないかと思う」等の発言。

これを受けて小林先生からは、
 「自分は高校時代は物理学者を目指していて、その一方で同人誌に詩を書いたり、新聞の詩の懸賞に応募したりしていた。
 しかし、自分にはとてもオーセンティックな詩は書けないことが分かり、詩人になることを断念した。物理学者も断念した。断念してばかり」との発言。

続けて、
 「思えば、私は定年までただの一度も学者ではなかった。学問に興味がないし、研究したいとも思わなかった。誰か歴史上の哲学者の専門家だとは、口が裂けても言いたくない。
 全てのことに少しずつ興味がある。意味のある言葉、エッセンスを掴めればいいと思っている」

「その意味で、長く抑圧してきた詩人的な生き方にこれからもう一度チャレンジしてみたいとも思っている。
 ところで、國分さんは詩を書いたことはないの(笑)」

國分先生
 「高校時代はランボーが好きで、文体を真似て詩を書いたりしたことはある。
 今も散文詩的な本を書いてみたいという気持ちはある。単数でも複数でもない『双数系(dual)』の世界にも関心がある」

「私は最近、東京工業大学に移籍したのだが、理学と工学は違うという議論がある。工学とは社会をよくするための学問で、自分はこれまで工学的な哲学者としての仕事が多かった。
 哲学者は、言葉を用いて論理を導いていくというという意味で、技術者の面もあると思う」

これに対して小林先生は、
 「哲学を論理として展開して伝えていくためには、確かに言葉も技術も必要。しかし、スピリチュアルな面までは技術では伝えられない。哲学が詩に近づいていく場面もあるのではないか」との発言。

テーマである「謎」についてもやり取りがありました。

國分先生
 「謎とは、簡単に解けないまま、つきまとっているもので、(意識と無意識の間にある)『前意識』と似ているものではないか」

「私は最近ハンナ・アーレントのことばかり考えているのだが、アーレントの『心というのは闇があって初めて正常に作動する』という言葉を思い出す。謎は、人間を突き動かす動機にもなるものでは」

小林先生
 「午前4時の空が実際に青いわけではない。1日が始まる前の隙間の時間をブルーと例えたもの。このわずかなズレの時間に全ての謎が織り込まれている」

「論理的には説明も解決もできない、オチがない物語という意味で、哲学とは対極にあるもの。私自身も謎。謎である自分自身との関わりに期待したい」

ここで、会場後方におられた高木由利子さん(写真家)が小林先生に手招きされ、登壇されま した。
 今回の雑誌には、写真とともに小林先生との対談も収録されています。

國分先生
 「スピノザは44歳で亡くなった。私もその年齢を迎えることになり、死について少し考えるようになった。
 しかし、人間は死を忘れている。死を思うこと(メメント・モリ)は難しい」

高木さん
 「私は60歳を過ぎる頃から、死というか、これまで生きてきたことを意識するようになった。
 私たちは何かの理由で存在させられている。高山や砂漠でやっと生息しているような植物をみると、生きていることの意味を感じる。官能的でさえある」

後半は、会場からいくつかの質問が出されました。

小林先生はどんな教師だったかという問に、國分先生が「全ての院生を羽ばたかせてくれた、本当に素晴らしい先生」と答えられたのに対し、小林先生は、

「自分が知っていることは教えたくはない。自分の目にはこういう風に見えると言うだけ。
 そもそもフィロソフィーは「・・・学(・・・ロジー)」ではなく、哲「学」と呼ぶべきではない。知を愛する者がフィロソファー。つまり、愛イコール知。そして世界を愛するのが詩」との発言。

また、シュールレアリズム(超実存主義)については、
國分先生
 「ギリシアの哲学は超越的なものを遠ざけるところから始まった。あの世ではなくこの世を信じるのが本来の哲学」

小林先生
 「今、ここに厳として存在しているという実存の感覚を取り戻すことも必要。存在していること自体が侵食されつつあるのが現代。その上で、実存とそれを超えたものとを結びつけていくことが必要ではないか。
 それは神秘主義にもつながる。それが宇宙であり、謎でもある」

議論は尽きませんが、定刻の21時にイベントは終了。
 その後、列に並んで國分先生に挨拶させて頂き、『暇と退屈の倫理学』を読んで感じ入ったことなどを伝えさせて頂きました。

難しい部分も多かったのですが、分からないなりにも、楽しくて刺激的なイベントでした。
 本に囲まれたスペースで飲みものを頂きながらという雰囲気も、素敵なものでした。また、伺いたいと思います。