岩佐勢市「食育の祖 石塚左玄物語」(2010/3、正食出版)
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著者は1949年福井市の生まれ。JA厚生連に勤務されていた時、住民検診の結果(偏食、運動不足等)に愕然として食育の活動に取り組み始められました。その活動の中で地元出身の偉人・石塚左玄に巡り会い、以後、左玄の研究を続けておられます。
現在、NPO法人フードヘルス石塚左玄塾の代表も務められています。
本書で著者は「今や世の中は正に食育ブーム。しかし法律で『朝食を食べましょう』などと言わなければならないことは実に残念」と嘆く一方、食育基本法の内容は、今から100年も前の石塚左玄の食育実践論のなかにあるとしています。
石塚左玄は、幕末の嘉永四(1851)年、福井の町医者の家に生まれました。近所で家ぐるみで交流のあった橋本左内(橋本家は藩医)が安政の大獄で刑死したのは、その8年後です。
歴史の大きな転換期に、左玄は地元と東京で医学・薬学を学び、軍医として西南戦争や日清戦争に従軍した後、明治二九(1896)年、東京・市ヶ谷に石塚食療所を開設し、自ら食の実践指導に当たりました。
処方箋には食事内容や食事方法が記載されており、患者達は彼を「食医」と呼んだそうです。
また、左玄は最初の著書『化学的食養長寿論』(1896)のなかで「食育」という言葉を初めて用い、「食育こそすべての教育の根幹・基礎である」と記しています。左玄が「食育の祖」とされるのは、ここに由来しています。
左玄の食養思想は、その後のマクロビオティック運動にも引き継がれ、現在は世界に普及・発信されているのです。
左玄によると「そもそも食は文化そのもの。文化はその地域に根ざした地域固有のもの」とのこと。
現在、食育という言葉が広く知られるようになり、食育の取組みも拡がっていますが、これには、著者による正に地域に根ざした地道な研究が大きく貢献しているのです。
[参考]
NPO法人 フードヘルス石塚左玄塾
http://sagenjuku.com/