【ほんのさわり】藤原 彰『餓死した英霊たち』


-藤原 彰『餓死(うえじに)した英霊たち』(ちくま学芸文庫、2018/07)-
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1922年東京に生まれた著者は、陸軍士官学校を卒業して中国各地を転戦。復員後に東京大・文学部史学科に入学し、後に一橋大教授等を務められ、2003年に逝去されました。

太平洋戦争における日本軍人の戦没者は 230万人(民間人を含めると 310万人)とされていますが、本書は、その過半数は餓死だったことを明らかにしています。
 日本軍は兵站や補給を軽視したために、兵士の間に栄養失調症が常態化し、それによる体力の低下から抵抗力を失い、多くの兵士がマラリア、赤痢、脚気などの病気により死亡(戦病死)しました。
 著者はこれらも広い意味での餓死ととらえ、「靖国の英霊」の実態は「華々しい戦死」ではなく「飢餓地獄の中での野垂れ死に」だったとしているのです。

例えばガダルカナル島では、上陸した 3万1400人のうち 2万860人が戦没しましたが、うち 1万5000名(4分の3)は戦病死(広い意味での餓死)でした。支隊長の1人(歩兵学校教官)は、白兵第一主義(銃剣突撃)の信奉者だったそうです。

ポートモレスビー攻略戦などニューギニア戦線では 14万8千人が投入されましたが、戦後の生還者は 1万3千人にとどまりました。
 インパール作戦を含むビルマ方面では 30万4千人が投入され、うち18万5千人が戦没。実にその78%が戦病死でした。日本軍の退却路が「白骨街道」と呼ばれたのは有名な話です。

このように、多くの兵士が飢死したというのは一局面の特殊な状況ではなく、戦場の全体にわたって起こっていました。
 著者は、その要因を、指導部の精神主義むきだしの独善と専断、兵士の生命や人権の軽視(捕虜の否定と降伏の禁止)など、日本軍固有の性質や条件が作り出した人為的な災害であるとしています。

著者は本書を著した動機を次のように記しています。
「悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と体質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭。そのことを死者に代わって告発したい」。

何とも悲惨で、ずっしりと重い読後感が残る本ですが、これも語り継がれるべき歴史の一つです。
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出典:フード・マイレージ資料室通信 No.150
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