【メルマガ】F.M.Letter No.150

◇フード・マイレージ資料室 通信 No.150◇
 2018年8月25日(土)[和暦 文月十五日]発行
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◆ F.M.豆知識 米収穫量の長期推移
◆ O.カレント 米穀通帳
◆ ほんのさわり 藤原 彰『餓死した英霊たち』
◆ 情報ひろば ブログ更新、イベント情報等
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 暦は二十四節気・処暑の初候、綿柎開(わたのはなしべひらく)。もっとも自宅近くの市民農園の福島・広野町由来のコットンボールは、まだ小さいままです。
 和暦の朔日(新月)と十五日(ほぼ満月の日)に配信している拙メルマガも 150号の節目を迎えました。これまで支えて下さった読者の皆さまにお礼申し上げます。
 今号は、鎮魂の月・8月の終わりに、前号に続いて戦争と食糧について考えてみました。

◆ F.M.豆知識
 食や農に関連して、特に私たち消費者にちょっと役に立つ、あるいは考えるヒントになるデータをコツコツと紹介していきます。

-米収穫量の長期推移-

今年は明治150年。150年前に近代国家としての歩みを始めた日本ですが、その半ば以上は食糧が十分に供給された時代ではありませんでした。

1918(大正7)年に富山県から始まった米騒動は、瞬く間に全国に広がり、社会に大きな影響を与えました。
 また、太平洋戦争の戦中・戦後は深刻な食糧不足に直面し、多数の銭死者を出すとともに、子どもの成長にも大きな悪影響を及ぼしました(このことについては前号で紹介)。
 国民に食糧を安定的に供給することが、国家の最重要課題だった時代が長く続いたのです。

食糧の中心には、一貫して米が位置づけられていました(異論もありますが)。
 その水稲の収穫量の長期的な推移を示したものが、リンク先の図104 です。

 http://food-mileage.jp/wp-content/uploads/2018/08/104_kome.pdf

統計が残っている最も古い 1883(明治16)年の水稲の収穫量は 457万トンで、作付面積は 257万ha、単収(10a当たり収量)は 178kgでした。
 この収穫量が、米騒動が発生した1918(大正7)年には 802万トンと 1.8倍(作付面積は 1.1倍、単収は 1.5倍)へと増加、さらに戦前において最も収穫量が多かった1933(昭和8)年には 1,044万トンと 2.3倍(同 1.2倍、1.9倍)へと増加し、初めて1千万トンの大台に乗りました。
 この間の収穫量の増加は、主に単収の増加によって実現していたことがグラフから読み取れます。

もっとも米は自給できていたわけではなく、朝鮮や台湾からの輸入(移入)米に依存していましたが、これも戦況の悪化に伴い、円滑な輸送ができなくなってきました。

ところが、右肩上がりで増加してきた水稲の収穫量は、1933(昭和8)年をピークに停滞するようになり、終戦の1945(昭和20)年には 582万トンにまで落ち込みます。これは、農業を担っていた男性の多くが軍に徴用されて戦地に送られ、肥料等の生産資材も不足を来 していたためです。
 このように、太平洋戦争は日本の米生産(生産力、生産基盤)にも大きな影響を及ぼしたのです。

ちなみに戦後に入ると米の収穫量は大幅に増大し、1967(昭和42)年には 1,426万トンを記録しました。
 しかし、次第に生産過剰基調が明らかとなってきたため、70年代からは生産調整(減反)が実施されるようになり、収穫量は減少していきます。

[参考]
 農林水産省「作物統計調査」(収穫量累年統計、水稲、全国)
  https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?tclass=000001024932&cycle=0&layout=datalist

◆ オーシャン・カレント -潮目を変える-
 食や農の分野について先進的かつユニークな活動に取り組んでおられる方や、食や農に関わるトピックスを紹介します。

-米穀通帳-

お米を買うのに「通帳」が必要な時代がありました。
 「豆知識」欄でも紹介したとおり、戦争が拡大するなか、国内の農業生産が次第に停滞・減少し、同時に朝鮮等からの輸入も困難となったことから、日本は深刻な食糧不足に直面することとなりました。

このようななか、太平洋戦争の最中の1942(昭和17)年に制定されたのが食糧管理法(食管法)です。
 これは、米、麦、イモ等の生産・流通・消費を国家一元的に管理することによって、食糧を国民が平等に入手できるようにすることを目的としたものでした。
 生産者には公定価格による政府への売渡(供出)義務が課され、販売には許可制度が設けられました。そして、全国の消費者は、米穀通帳がなければ米を購入する(配給を受ける)ことができなくなったのです。

しかし、このような強力な国家統制によっても、戦中・戦後の国民に十分な食糧を供給することはできませんでした。配給の量や質は次第に悪化し、配給日には長蛇の列ができたそうです。

戦後に入って米が生産過剰基調となるなか、食管法は(米穀通帳も)1995(平成7)年に廃止されました。
 食糧を安定供給するという役割は、民間主導の仕組みを導入した「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」(食糧法)に引き継がれています。

[参考]
 昭和館特別展示「戦後復興までの道のり-配給制度と人々の暮らし」
  http://www.showakan.go.jp/events/kikakuten/past/past20110723.html

◆ ほんのさわり
 食や農の分野を中心に、考えるヒントとなるような本の「さわり」を紹介します。

-藤原 彰『餓死(うえじに))した英霊たち』(ちくま学芸文庫、2018/07)-

 http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480098757/

1922年東京に生まれた著者は、陸軍士官学校を卒業して中国各地を転戦。復員後に東京大・文学部史学科に入学し、後に一橋大教授等を務められ、2003年に逝去されました。

太平洋戦争における日本軍人の戦没者は 230万人(民間人を含めると 310万人)とされていますが、本書は、その過半数は餓死だったことを明らかにしています。
 日本軍は兵站や補給を軽視したために、兵士の間に栄養失調症が常態化し、それによる体力の低下から抵抗力を失い、多くの兵士がマラリア、赤痢、脚気などの病気により死亡(戦病死)しました。
 著者はこれらも広い意味での餓死ととらえ、「靖国の英霊」の実態は「華々しい戦死」ではなく「飢餓地獄の中での野垂れ死に」だったとしているのです。

例えばガダルカナル島では、上陸した 3万1400人のうち 2万860人が戦没しましたが、うち 1万5000名(4分の3)は戦病死(広い意味での餓死)でした。支隊長の1人(歩兵学校教官)は、白兵第一主義(銃剣突撃)の信奉者だったそうです。

ポートモレスビー攻略戦などニューギニア戦線では 14万8千人が投入されましたが、戦後の生還者は 1万3千人にとどまりました。
 インパール作戦を含むビルマ方面では 30万4千人が投入され、うち18万5千人が戦没。実にその78%が戦病死でした。日本軍の退却路が「白骨街道」と呼ばれたのは有名な話です。

このように、多くの兵士が飢死したというのは一局面の特殊な状況ではなく、戦場の全体にわたって起こっていました。
 著者は、その要因を、指導部の精神主義むきだしの独善と専断、兵士の生命や人権の軽視(捕虜の否定と降伏の禁止)など、日本軍固有の性質や条件が作り出した人為的な災害であるとしています。

著者は本書を著した動機を次のように記しています。
「悲惨な死を強いられた若者たちの無念さを思い、大量餓死をもたらした日本軍の責任と体質を明らかにして、そのことを歴史に残したい。大量餓死は人為的なもので、その責任は明瞭。そのことを死者に代わって告発したい」。

何とも悲惨で、ずっしりと重い読後感が残る本ですが、これも語り継がれるべき歴史の一つです。

◆ 情報ひろば
 拙ウェブサイトやブログの更新情報、食や農に関わる各種イベントの開催情報等をお届します。

▼ 拙ブログ「新・伏臥慢録」更新情報
 ○ 【ブログ】群馬県のお城めぐり 第1章(2018年夏)[8/14]
 http://food-mileage.jp/2018/08/14/blog-124/

○ 2018年8月の新潟・大賀[8/16]
 http://food-mileage.jp/2018/08/16/blog-125/

○ 戦後73年目の対話(新橋・対話ラボ)[8/18]
 http://food-mileage.jp/2018/08/18/blog-126/

○ 第23回 森の読書会(@三鷹)[8/21]
 http://food-mileage.jp/2018/08/21/blog-127/

○ 『おだやかな革命』と渡辺監督トーク[8/23]
 http://food-mileage.jp/2018/08/23/blog-128/

▼ 筆者が参加予定または関心のあるイベント等を勝手に紹介します。
 既に満席の場合等がありますので、参加を希望される際には必ず事前に主催者等にお問い合せ下さい。

【筆者が登壇するイベント】
○ 小川町オーガニックフェス2018
 日時:9月8日(土)10:00~16:00
 場所:埼玉県立小川げんきプラザ(埼玉・小川町木呂子5)
 主催:Ogawa Organic Fes実行委員会
 (詳細、お問合せ先等↓)
 https://ogawaorganicfes.com/contents2018/

● 12:00~13:00 中田哲也
 「オーガニックとフード・マイレージ(地産地消)」

【その他】
○ 共奏キッチン@仙人の家#1
 日時:8月27日(月)18:00~21:30
 場所:仙人の家(東京・西東京市東伏見5)
 主催:共奏キッチン@仙人の家#1
 (詳細、お問合せ先等↓)
 https://www.facebook.com/events/855302047995465/

○ 小松理虔『新復興論』先行販売特別イベント
 日時:8月31日(金)19:00~21:30
 場所:ゲンロンカフェ(東京・品川区西五反田1)
 主催:ゲンロンカフェ
 (詳細、お問合せ先等↓)
 https://genron-cafe.jp/event/20180831/

○ 小川町オーガニックフェス2018
 日時:9月8日(土)10:00~16:00
 場所:埼玉県立小川げんきプラザ(埼玉・小川町木呂子5)
 主催:Ogawa Organic Fes実行委員会
 (詳細、お問合せ先等↓)
 https://ogawaorganicfes.com/contents2018/

【2~13時の間、オーガニックセミナーの一コマとして、フード・マイレージについてお話させて頂きます】

○ 大賀芸術祭 2018 棚田deアート「YAHHO」
 日時:9月16日(日)18:00~21:30
 場所:仙人の家(東京・西東京市東伏見5)
 主催:赤木美名子さん
 (詳細、お問合せ先等↓)
 https://www.facebook.com/events/865974636940890/

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*今号のコツコツ小咄
「優勝旗を受け取った時は、どんな気持ちでしたか」
「頭も心も空っぽでした。深紅(真空)だけに」

 なお、コツコツ小咄は拙ウェブサイトにも掲載してあります。
  http://food-mileage.jp/category/iki/

* 次号 No.151は9月10日(月)[和暦 葉月朔日]の配信予定です。
 より役立つ情報発信に努めていきますので、読者の皆さまのご意見、ご要望をお聞かせ頂ければ幸いです。

* 和暦については、高月美樹さん『和暦日々是好日』を参考にさせて頂いています。
 いつもありがとうございます。
  http://www.lunaworks.jp/

* 本メルマガは個人の立場で配信しているものであり、意見や考え方は筆者の個人的なもので、全ての文責は中田個人にあります。
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◆ F. M. Letter -フード・マイレージ資料室 通信-【ID;0001579997】 
 発行者:中田哲也
 ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
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 ブログ「新・伏臥慢録~フード・マイレージ資料室から~」
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 発行システム:『まぐまぐ!』
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出典:フード・マイレージ資料室通信 No.150
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