「農」とのつながり

 11日(土)の穏やかな休日、紅葉シーズンも過ぎて車も人も少ない奥多摩を抜けて、山梨県上野原市西原(さいはら)に向かいました。奥多摩湖は冬の陽を反射して輝いていました。
 この日は、「さいはら秋そばプロジェクト」の今年最後のイベントです。
 これは、池袋にあるNPO法人「ECOM」の企画から始まった有志によるプロジェクトです(拙ウェブサイト「伏臥慢録」8月21日の記事をご覧下さい)。
 さいはらは、上野原市の中心部から北に30分ほど入った中山間地です。ここにある民家を改造したコミュニティセンターに、東京や神奈川から10人超の若者たちが集まりました。職業やキャリアもばらばら、単にさいはらに行きたいと思うだけでつながったグループです。ちなみに私のような中高年は極めて少数派です。
 まずは昼食。地元の方の心づくしの炊き込みご飯、なめこの味噌汁、大根の煮付け、冬菜(地元の在来種)のおひたし。温かい冬の陽の下、旧民家の庭で、地元の方も一緒に大勢で話をしながらの昼食の美味しさは、言葉に尽くせません。

 そして昼食後は、前回収穫して軒先に吊るして干しておいた蕎麦の脱穀作業。
 農家の方の指導の下、木槌やビール瓶で叩いて実を落とします。これがなかなか全部落とすのは難しく、せっかく種から育てた蕎麦と思うと愛着もあり、一粒でも無駄にしたくないと必死です。その分、相当に時間はかかりました。

 叩いて落とした蕎麦の実には、茎や葉、殻、それに小石も混ざっています。それを効率的に選別する道具が「とうみ」。民俗博物館等ではおなじみですが、実際に触れて使うのは初めてと、これだけでも参加者のみんなは大はしゃぎ。ハンドルを回す速さなど、微妙な加減が必要です。
 この道具には、昭和25年作成と墨で書かれていました。昔は、このような道具にも手に入れた年月を書き入れ、大事にしていたのでしょう。
 しかもこの道具、人力のみで化石燃料は一切必要としませんし、材料はほとんどは木でできています。半世紀以上前のこのような道具が、地球環境やオイルピークが問題とされる現代においては、逆に最も先端的と言えるかもしれません。
 この日は都合により私は早めに失礼しましたか、その後、一行は来春に向けての畑の耕うん、郷土料理教室、そしてこれも心づくしの夕食を楽しんだようです。これだけの若い人たちを招き寄せる魅力が、農山村には間違いなくあります。都会で暮らすみんなの心は、さいはらとつながっているのです。このつながりは、来年以降も続いていきます。しっかりとした絆ができつつあります。
  そして、私たちの活動を快く受け入れて下さる地元の「NPOさいはら」の皆様のご尽力が無ければ、このようなプロジェクトは実現しません。心から感謝したいと思います。
 ちなみにこの日の夕方は、湯島で開催された「市民科学活動研究室(市民研)」のクリスマスパーティーに参加してきました。こちらは心づくしの手料理のご馳走を頂きながら、旧暦と旬のお話、ダムと水利権、携帯電話と電磁波、医療被曝の問題提起など、一般的なパーティーの語感とは少し違う熱いプレゼンが続きました。
 声をかけて頂いた上田昌文先生に感謝です。今後、フード・マイレージを素材に、連携して新たな取組を進めていければ嬉しいことです。
 さて、翌12日の日曜も好天、久しぶりに借りている市民農園へ。
 さいはらで頂いてきて、同じように蒔いた蕎麦は、美しい花を咲かせ楽しませてくれましたが、残念ながら実は入りませんでした。蕎麦は他花受粉なので、たくさん植えないとだめだと、農業をやっておられる方から教えて頂きました。
 その代わり、これもさいはらで頂いてきたジャガイモを植えていたのですが、こちらはたくさん獲れました。早速夕食に、びりゅう館(さいはらの交流施設)で買ってきた食べるラー油を付けて頂きました。さいはらを思い起こし、美味しさも一層でした。
 余談ながら、この日のG1は福永の一番人気馬が「捕鯨」と「棚田」を意味する人気薄を連れてきて波乱、ここでも一次産業つながりが・・・。