2011年12月4日(日)は特別な日でした。
この日、埼玉県横瀬町宇根地区を舞台に20年間続いてきた「野の文化学習会 in 横瀬」が、最後の日を迎えたのです。
前日の土曜日は朝から強い雨で、翌日は果たして無事に開催できるかとやきもきさせられましたが、幸いに当日は、師走とは思えない暖かな快晴に恵まれました。
飯能駅から西武秩父線4000系に乗り換え。
この車両は、旧ライオンズカラーのラインが入った2扉セミクロスシートで、窓も大きく広々とした車内は快適です。車窓からは、紅や黄色に色づいた広葉樹と、緑の針葉樹の鮮やかなコントラストに彩られた奥武蔵の山々。
11時過ぎに横瀬駅で降りると、目の前に秩父のシンボル・武甲山の勇姿。眩しい位の日射しに霞んでいます。会場に向かう途中、房状の赤い実をどっさりとつけた木が。後で調べると飯桐(イイギリ)と言うそうです。
ゆっくり歩いて20分ほどで会場へ。親子連れなど50人ほどで餅つきの真っ最中です。
集会施設の脇に据えられた3基のカマドには、蒸籠(せいろ)が2~3段重ねにされ、薪の強火で餅米が蒸されています。餅米は、この一年をかけて、春には田植え、夏には草刈りをし、去る10月16日(日)、鎌と稲刈り機を使ってみんなで収穫して、はざ掛けにしたもの。それを地元の農家の方達が取り入れ、脱穀・精米して準備しておいてくれました。
子ども達にはカマドの薪の火が珍しく面白いようで、数人は火のそばから離れようとしません。
蒸し上がった餅米は、順次、集会所の前庭に据えた2基の臼へ。これを2人位で杵でこねて馴染ませ、後は餅つき。子ども達も大人も夢中です。小さな子どもは大人に手を添えて貰って杵を振り下ろします。
つき上がった餅は、すぐ食べる分は手で一口大にちぎってタッパーへ。のし餅にする分は、粉をまぶした板の上で四角く伸ばし、水分が飛ぶのを待ちます。
子ども達は(そして大人も)、自分たちの手で植えた小さな苗が育ち、手入れをし、収穫したお米が餅になる過程を、1年をかけて体験したのです。そして体験の締めくくりは、楽しい食事会。
前庭に並べられたテーブル上のタッパーには、小豆餡、きな粉、大根おろし、納豆。つきたての餅をこれらにまぶして頂きます。大鍋には、鹿肉と豚肉、地元野菜がふんだんに入った汁物。
明るい日射しの下、みるみるうちに餅はみんなの胃袋へ。
満腹になった後は集会所の広間へ。
壁には、これまでの20回の活動の様子が書かれた紙が、ぐるりと貼られています。テーブルの上には、これまでの懐かしい写真や機関誌、それに子ども達の感想文集。とても全て並べ切れる量ではありません。20年間の蓄積が実感されます。
この「野の文化学習会」を主催してきたのは、さいたま市にあるNPO法人「生活文化・地域協同研究会(協同研)」。
1992年(平成4年)、学校5日制の施行をきっかけに、「親子が共に自然とふれあい、農の文化から学ぶ」ことを目的に、横瀬町宇根地区の農家の方たちと連携・交流してスタートした学習会が、この日、20回目を節目に終止符を打つことになりました。
代表の菊池陽子さんの司会で、20年の活動を振り返る意見交換会。
最初に橋渡しをして下さった横瀬町の町長さん始め役場の皆さんの挨拶に始まり、八木原章雄さん始め地元の農家の皆さん、何年にもわたり参加された方達等から、思い思いの言葉が述べられました。終了を惜しむ声もありました。
今でこそ、農業体験活動は多くの地域で取り組まれるようになっていますが、この学習会は20年も前に始められ、単なるイベントではなく、農村の文化に触れる「学習会」として開催されてきたことは、他に例を見ないユニークな活動でした。
「野の文化学習会 in 横瀬」はこれで終了しますが、20年という長い期間にわたり、しっかりと結ばれた固い絆は、決して消えることはありません。
多くの参加者、特に子ども達の胸の中には、この横瀬町宇根地区で体験したことが、しっかりと、永遠に刻まれていることでしょう。事務局には、今後、別のスタイルの学習会を続けていく構想もあるようですし、さいたま市近郊を舞台にした「野の文化学習会 in 見沼」は、引き続き開催されるとのことです。
受け入れて下さった地元の皆様はもとより、何代にも渡ってお手伝いをしてくれた東京農工大学「耕地の会」の学生さん達、そして献身的な努力を惜しまれなかった主催者・事務局の皆様、お疲れ様でした。
本当に有り難うございました。
帰途、横瀬駅に向かって下りる途中、向こう側の山並みが西日に輝いていました。