「日常」の大晦日

 間違いなく歴史に大きく刻まれるであろう2011年が、穏やかに暮れようとしています。
 東京は30日も冬晴れ、眩しい陽射しの下、西の方を望むと、輝く雪をまとった富士山がそびえています。優美で、どっしりとした、昔から変わらない姿です。
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 賀状を出すついでに自転車で市内を一回り。
 駅近くの裏道に入ると、ここが中世の鎌倉街道であったことを示す碑が立てられています。沿道には古くからある神社や農家の長屋門。軒先の八朔や南天の鮮やかな色が青空に映えています。
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 外見は古くて小さなうどん屋さん。いつも元気なおばあさん達が、名物の美味しい漬け汁うどんを出してくれます。江戸時代から続く造り酒屋さん。地元出身の有名人もご贔屓と評判の団子屋さん
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 畑を囲う灌木を、趣味で動物の形に刈り込んでいる農家。
 通勤途中にある神社。3月11日の金曜日も、ここに立ち寄って手を合わせたことを、後になって思い出しました。ご祭神はスサノオノミコト、防災・厄除けの神様とのことですが、朝お参りした時には、何の兆候も予感もありませんでした。境内の片隅には、夏の台風で吹き倒された木の枝が残されています。
 老舗のソース屋さんの見事な欅も、すっかり葉を落としています。
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 帰宅して年末の掃除。
 玄関には、毎年徳島の知人が届けて下さる薔薇の花。玄関脇には、今年も収穫し残して黄色くなった酢橘(スダチ)。こうなるとジューシーですが香りは今ひとつです。
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 自宅から道路一つを挟んだ向かい側は幼稚園です。
 道を跨ぐほどの立派な桜の木があり、毎年、春には目を楽しませてくれます(もっとも今年の桜がどうだったか、実はよく覚えていません)。その代わり冬には夥しい量の落ち葉を降らせ、職員さん達が毎日のように自宅の前まで掃いてくれるのですが、幼稚園が休みになってからの分が残されています。
 その落ち葉を掃きながら、ふと気付きました。
 これらの落ち葉にも、レベルはともかく、フクシマ由来の放射性物質が付着しているだろう、ということです。
 事故のあった原発から200km以上離れ、目立った地震の被害もなかったこの町では、震災直後の交通の乱れや節電の混乱からも、間もなく日常を取り戻しました。そして、表面上は何も変わっていないように2011年が暮れようとしています。
 しかし、3月11日以降、明らかに世の中は変わっているのだという証拠を、足元の落ち葉が突きつけているような気がしたのです。
 目に見えないのは放射性物質だけではありません。人の気持ち、不安や恐れの感情、家族や地域のこと、それに、この社会を支えてきた何か大事なものも、変わってしまったのかもしれません。
 富士山が今の優美な形になったのは、たかだか300年前の宝永噴火以降のこと。鎌倉時代を大昔と感じるのも、人間の時間感覚のスケールの上での話です。人類の歴史や、まして目の前の社会の日常など、地球の震えによってたちまちに失われてしまうことを、私たちは今年3月に思い知らされました。
 東京も、他の多くの地域も、近いうちに大きな地震が起こることが予想されています。
 また、人間が作り出す文明や技術が、いかに大自然の前では無力なことも、思い知らされたはずです。数万に及ぶ方たちが、故郷を離れた避難先で新年を迎えられます。
 昨日夕方には、近所にある生協の店舗で原発住民投票の署名をしてきました。
 その足で借りている市民農園に寄り、今年最後の収穫。
 マルチを押し上げるように伸びていた大根を引き抜くと、形はいびつなものの、白い肌が冬の陽を反射して輝きます。
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 30日の夜は、これを輪切りにし、鶏肉と豆腐とともに鍋で煮ながら頂きました。大根葉も軟らかくで美味でした。
 当面のわが家に限れば、お陰さまで家族も息災、穏やかな新年を迎えることができそうです。ただ、後ろめたい感覚を禁じえない正月になりそうです。