福島集会「農から復興の光が」①

poster_convert_20120331131302.png 先週の3月24日(土)、25日(日)は1泊2日で福島へ。
 福島県有機農業ネットワーク主催「福島視察・全国集会-農から復興の光が見える!」に参加してきました。
 1日目は郡山市・磐梯熱海温泉のホテル大広間でのシンポジウム。
 300人以上が参加、立ち見も出る盛況です。
 最初に主催者代表として、福島県有機農業ネットワークの菅野正寿理事長から、「この集会を『がんばろう日本』から『変えよう!日本』への転換点にしていこう」との挨拶。
 来賓として、福島県農林水産部長とNPO「全国有機農業推進協議会」の金子美登理事長から挨拶。
 金子理事長からは「命を大事にする有機農業の原点に立ち返り、生産者、消費者、事業者が手を携えていきたい」等の言葉。
 新潟大学農学部・野中昌法教授からのメッセージもありました。
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 最初の講演は、福島大学経済経営学類の小山良太准教授「福島県における放射能汚染の実態と今後の対策」。
 昨年秋にチェルノブイリを調査、地形は平坦で砂質土壌、降水量や人口密度等も福島とは大きく異なるとのこと。
 また、生産者等の地域住民、大学、行政が連携し、伊達市小国地区において100mメッシュの綿密な放射性物質分布マップを作成した取組の紹介。40人が1週間かけて作成されたとのこと。このように可視化して全て情報公開しつつ安全対策を取ることの重要性を強調されました。
 さらに、「風評被害」(加害者は消費者)という言葉は、生産者と消費者との対立という問題に矮小化するようなもので使うべきではないこと、放射能教育は全国で行うべしとの発言もありました。
 続いて、福島県有機農業ネットワークの長谷川浩氏から「2012年稲作における放射能対策の課題」について。
 2011年稲作を振り返ると、放射性セシウム汚染は不安よりずっと低かったこと、一部で基準値を超えたのは予備検査が不十分であり、そもそも田畑ごとの詳細な土壌汚染実態が把握されていたかったためであること。
 2012年稲作については、田畑ごとの土壌汚染実態の把握、全面積に作付けて科学的データを収集、里山からの水の動きに留意すべき等の課題が明らかにされました。
 さらに、秋田大学の滝澤行雄名誉教授から「食品の安全性に影響を及ぼす放射能や化学物質」について。
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 後半は、菅野代表を座長にパネルディスカッションです。
 須賀川の農業集団ジェイラップの伊藤俊彦代表からは、米のセシウム濃度は土壌の汚染度とはリンクせず、水に注意する必要があることが報告されました。
 また、この状況を乗り越えられれば福島は日本一優秀な農家が集まった地域になる。本音と建て前を外し、生産者と消費者の双方が学び合い、結び合うことが安心のためには大事、とのご発言。
 大地を守る会の戎谷徹也氏からは、除染ではなく移行を抑制することで食べる人の内部被曝を少なくするという考え方が必要との意見。
 さらに、風評被害という言葉はやめるべし。放射能が降ってしまったのは事実であり、少しでも汚染が少ないものをという母親たちの防護本能は当然。生産者の人達の国土回復のための努力をネットワークで伝えていくことが重要とし、目先のことではなく未来につなげる戦いとの流通業者としての覚悟を述べられました。
 生活クラブふくしまの大津山ひろみ理事長からは、大震災後に53名(うち38名は避難者)の会員が脱退され、微量でも検出したら気持ちが悪くて食べられないという消費者がいるのも事実とのこと。
 生産者がこれだけ頑張っているという様子を消費者に伝え、食べられる人は食べていこう、という呼びかけをしていきたいとのお話。
 
 会場からも、座長の指名等により積極的な発言が続きます。
 海老沢誠氏からは、NPO「ゆうきの里東和ふるさとづくり協議会」の活動報告。構成員264名の内160名が農家で、平均年齢は65歳以上。隣接した農地でも汚染度は異なり、有機農業に取り組んできた農地は有機質が豊富でゼオライト以上にセシウムをキャッチしているのかも知れない、との話も。
 二本松で有機農業を40年続けて来られた大内信一さんからは、提携先の消費者が怯えて60%も減ったとの厳しい現実の報告。
 「子ども達を放射能から守る福島ネットワーク」の佐藤幸子代表は、事故後、川俣町で営んでいた農業ができなくなり、それでも、できることをやるしかないと、未来を創る子ども達の命を守るための活動に取り組んでおられ、食べものを汚染してしまったことは許せない。一番いいのは地産地消だか、それができなくなった等のご発言。
 NPO「有機農業技術会議」の明峯哲夫代表からは、汚染から逃げることはできない、程度の差はあるがゼロは幻想であり、放射能と共存するしかないという日本全体の覚悟が必要。それができていないことが問題。
 有機農業は、ついに都市住民の解放には結びつかなかったことを、今、痛切に感じている。都市住民も土と触れ、感性と肉体で受け止めるようにすべき、等のご発言。
 山形県高畠町の農家、詩人の星寛治さんも見えられていました。
 希望の光、有機農業の底力を見せて貰って感動。これしきの事故で、これまでの有機農業の取組をご破算にされてはたまったものではない。しかし、この教訓が活かし切れているか。原発再稼働の動きもある。しっかりと目を開いて全て廃炉にすべし、とのご発言がありました。
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 シンポジウムの最後は、茨城大学教授の中島紀一先生が締められました。
 事故後1年が経過し全体の状況は変わらないが、農地だけは汚染状況は低いのが事実。このことはしっかりと主張していくべき。多くの農業者は自主的に検査している。
 また、農林水産省は加害者である政府の一員であり、第一に福島県の農業の再興に責任を持つべしとの厳しいご意見もありました。
 シンポジウム終了後は部屋にいったん部屋に入り、改めて交流会。
 同室の方の中には、飯舘村の畜産農家で、現在は北海道に避難して就農されている方も。
 交流会では、地元JA、首都圏や大阪の生協、大学、マスコミ関係等の方など、多くの方々と話ができました。大野和興さんも見えられていました。
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 地元食材をふんだんに使った心づくしの料理の数々。
 このホテルは以前から地産地消に取り組んでおられ、「フード・アクション・ニッポン アワード2010」では「食べて応援しよう!賞」を受賞されています。
 ちなみに使用食材の放射能測定結果が、会議資料とともに配布されていました。
 この日、多くの方達の話を伺い、被災は全く終わっていないことを改めて実感することができました。そして同時に、被災地の農業や暮らしの現状を想像していたつもりでいても、まだまだ理解できていないことが多いことを思い知らされました。
 さて、翌日は2グループに分かれての被災の現場の見学、私は飯舘村と南相馬氏を訪ねるコースに参加しました。
 この模様は、追って掲載します。