脱原発をめざす女たちの会、そして桜。

shukai+p_convert_20120409215402.png 東京の桜も満開となった4月7日(土)、東京・一ツ橋の日本教育会館では、脱原発をめざす女たちの会4.7集会「~もう原発は動かさない! 女たちの力でネットワーク~」が開催されました。
 13時の開場直後に着くと受付等はすごい混雑、始まる前からすごい熱気です。
念のため、事前に事務局に男性も参加可能かと問い合わせたら大丈夫と言われてきたのですが、やはりほとんどが女性。
 最初は、落合恵子さんから「いのちの感受性&論理性」と題した講演。
 ユーモアを交え、間にCDの曲(「空より高く」)を挟んでのお話は、さすが言葉のプロ(作家兼ラジオパーソナリティー)、ぐいぐいと引き付けられます。
 「さようなら原発1000万人アクション」の呼びかけ人でもある落合さんは、静かに訴えられました。
 「本当は穏やかに生きていきたいけれど、命を守るためには闘わなければならない。そのためには、無理はせずに繋がっていくこと。そして、健康で長生きすることが大事。」
 続いて、Rap-Man+ さんのパフォーマンス。
 福島の公園で遊ぶ小学生?のつるこちゃん(お母さんからは、線量が高いから家に入れと怒られています)に、狐や蛙などの動物たちが、元の自然を返せと迫ります。私は何も悪いことはしていないよ、と反論しながら、何もしなかったことが悪かったのかな、と自問するという寸劇でした。
 飛び入りで参加したらしい事務局の皆さんも熱演。
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 後半のパネルディスカッションは、映画監督の鎌仲ひとみさんをコーディネータに、東北の3人の女性による討論です。
 まず、青森県大間の小笠原厚子さん。
 原発建設に反対し続けた母親の遺志を継いで「あさこはうす」を運営されています。福島原発事故以来、大間原発の建設工事は38%進んだところで中断。しかし、地元には建設再開を希望する声も強く、何としても55基目の原発は作らせたくないと訴えられました。
 青森県六ケ所村からは菊川慶子さん。
 「花とハーブの里」ではルバーブのジャム等を作っておられます。再処理施設が集中する六ヶ所村は、一方で再生可能エネルギーの資源が豊富な地域(永続地帯)でもあるとのこと。
 分かりやすく伝えることの難しさ、重要性を強調されていたのが印象的でした。
 福島からはハイロアクション・武藤類子さん。
 武藤さんは三春町で里山を切り開いてコテージを作り、ドングリ食や自然エネルギーによる自給的生活を実践して来られました。しかし、昨年の事故後は、山菜も薪も使えなくなったとのこと。農業も止められたそうです。
 かつての山の暮らし、豊かだった世界のスライドが映し出されます。そして現在、不安の中で福島の人達が分断されているという現実。胸がえぐられるような感覚を覚えました。
  
 会場からは、上関原発反対活動をされている山口県の方、福島の子ども達を受け入れる活動をされているオーストラリアの方、経産省前テント広場の方たちからの発言がありました。
 最後には、参議院議員の福島みずほ氏から、福井県・大飯原発の再稼働に向けて動き始めた政権と対峙しているとの国会活動報告。
 再稼働や今後の原発に関する各種アンケート結果を見ても、女性と男性では明らかに差があります。いのちを産み、はぐくむ女性達のネットワークの力に、期待したいと思います。
 熱気に満ちた会場を出ると、季節が戻ったような冷たい風に驚かされました。
 九段下まで歩いていくと、すごい人で歩道が埋め尽くされています。お目当てはむろん、靖国神社や千鳥ヶ淵の桜。
 「さくらさくらさくらさくら万の死者」。
 昨年4月の日経俳壇に掲載された、岩手県大船渡市の方の作です。
 東京でも昨年は、原発事故の不安や計画停電もあり、花見という気分ではなかったことを思い出すと、平和な日常が戻ってきたことがしみじみと実感されます。豪華なお弁当等の売れ行きもいいそうです。
 それはそれで、喜ばしいことです。
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 それでも、落合さんも講演で触れられていたように、今年もなお、故郷の桜を観ることができない多くの方達がおられることを、忘れるわけにはいきません。
 ところでこの日、福島競馬が1年5カ月ぶりに再開(ビデオにリンク)されました(写真とリンクはJRA)。
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 大きな被害を受ける一方、震災直後には避難場所としても利用された福島競馬場。除染のために芝を張り替え、ダートコースの砂も交換した上で、復興競馬の開催にこぎ着けたものです。
 花見山特別、吾妻小富士オープンなど、懐かしいレース名が並びます。
 そして最初のファンファーレ後の1R、南相馬出身のベテラン・木幡初広騎手が、人気薄を2着に持ってきました。