原発の町を追われて-避難民・双葉町の記録

 9月に入ってようやく猛暑が収まったと思うと、名古屋や金沢は豪雨に見舞われ、関東では2日続けて大きな竜巻被害までありました。
 年々、天候が猛々しくなってきているようです。
 2013年9月6日(金)の終業後は、東京・秋葉原で開催されたドキュメンタリの上映会へ。
 上映されたのは「原発の町を追われて-避難民・双葉町の記録」。
 国際人権NGO「ヒューマンライツ・ナウ」の主催、参加者は30名ほどです。
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 福島第一原子力発電所が立地する双葉町は、事故後に全町民が避難、役場機能も埼玉県加須(かぞ)市に移転しました(本年6月には福島・いわき市に再移転)。現在も町域のほとんどは帰還困難区域に指定されており、町民の方々の避難生活は長期に及ぶことが確実になっています。
 映像に先立ち、制作者の堀切さとみさんから挨拶がありました。
 映画(ビデオ)は「趣味」という堀切さん。さいたま県内で小学校の給食の調理員が本職だそうです。
130906_0_convert_20130907012139.png もともと原発はやめてほしいと思っていた堀切さんにとって、原発事故と、自宅に近いさいたまスーパーアリーナに多くの方(双葉町民7000人のうち1400人)が避難されてきたことは、大きなショックでした。
 原発事故で故郷を追われた人たちの思いを聞きたいと思い、スーパーアリーナに通い始めたのが、この映像制作のきっかけだったそうです。
 映像は、そのスーパーアリーナの様子から始まります。見下ろされて屈辱を感じたという避難者の方の言葉。
 そして、役場機能を含めて移転した埼玉・加須市の旧騎西(きさい)高校の様子。
 震災直後は、連日のように多くのボランティアや著名人が訪れてチャリティーイベント等が盛んに開催されました。首都圏では、大規模な脱原発デモが何度も行われていました。
 そのような中で、避難者の方々は、高校で夏祭りを復活させて地域の方と交流したり、補償金の申請について激論を交わしたりしていました。福島県内や近隣の借り上げ住宅等に、多くの人たちが引っ越していきました。
 ある人は、事故当日も、その後も逃げずに原発で働いていた息子を「誇りに思う」と。
 第3者には想像もつかない、マスコミは報じない避難者の方達の生々しい記録は、被災から1年後の2012年3月で終わっています。
130906_2_convert_20130907012208.png 上映後、堀切さんと、映像にも登場している双葉町からの避難者・鵜沼友恵さんから、直接、話を伺うことができました。
 まず、映像の後、現在までの様子については、
堀切さん
 「旧騎西高校の避難者は現在は100名ほどに減った。町長は交代し役場はいわき市に移転した。空洞化、風化が進み「福島はもう大丈夫」と思っている人が多いのではないか。汚染水の問題も海外の方が敏感。現在も多くの人が避難を強いられているのが現実で、問題はさらに深刻化しているという人もいる。続編も作成した。」
鵜沼さん
 「今は加須市内の借上住宅に住んでいる。今の借上住宅にいつまで住めるか保証は無い。住み替えはできず、災害公営住宅(復興住宅)も福島県外では認められていない。避難者が県外でも安心して生活できるように、請願署名への協力をお願いしたい。」
 避難者の方の生活や仕事の状況に関しては、
堀切さん
 「高齢者福祉の問題はどこでも重要だが、特に双葉町の場合は元々大家族で、多くの孫達と一緒に暮らしていたお年寄りの方が多い。都会とは環境が違う面がある。」
鵜沼さん
 「借上住宅に引っ越す人も不運を抱えている。避難者の多くは支援や介護が必要な高齢者で、丸ごとグループホームに移転できれば望ましいのだが。
 支援団体の力を借りて旧騎西高校内に交流カフェ(Fカフェ珠寿)をオープンした。避難者たちの拠点になればいいと思っているが、借上に移った人たちは引っ越し先を言いたがらないし、個人情報保護の観点から連絡網も作れない。
 若い人たちはドライだが、ふるさと愛が強く「仮の町」ができれば早く移転したいという人もいる。一方、子どもが高校を出るまでは引っ越したくないという人もいる。事情は様々。
 仕事については、避難者はいつまでいるか分からないと、正社員への採用を断られたという話もある。」
 福島県内での上映会について。
堀切さん
 「福島県内では、唯一、いわき市の仮設住宅で上映会を開催したことがある。ところが、正直言って全く不評だった。後でその理由を自治会長さんに聞くと、県内の避難者のことが描かれていないこと。それに、放射能の問題は(いわきは比較的線量は低いものの)タブーとなっている。小さな子どもがいるお母さんに話を聞いたが、避難したくても仕事の関係で離れられない。放射能のことは考えないようにしている、とのことだった。外からは測り知れない複雑な感情がある。」
130906_3_convert_20130907012237.png 神奈川県内で避難者見守りのボランティアに登録したという方からは、どうすれば「お仕着せ」にならない支援になるか、と切実な質問。
鵜沼さん
 「年数がたつに連れて個別の事情も変わってしまう。ただ、阪神淡路大震災の時も3年目に入ってから孤独死が激増しており、嫌がる人もいるかもしれないが、忘れられていないと安心してもらえるように、声掛けが大事だと思う。信頼関係を築いていくためには時間も必要」との回答。
 最後に、堀切さんからは
 「事故から2年半。事故を起こした当事者の一人として、自分の問題として捉える事が大事。避難者の人たちは、あまりにも諦めなければならないことが多い。何とか手を取り合い、少しでもいい解決法を手繰り寄せていきたい。」
 鵜沼さん
 「悔しい、悲しい。でも多くの人に支えられている。東京でも電車が止まって帰宅に苦労したことを思い出してほしい。何とか次の世代に、少しずつでもいい状況をつなげていきたい。」
 映像の中で印象に残った一シーンは、つらい胸の内を語る鵜沼さんに、「いじいじ考えていても仕方ないじゃん」と話しかける小学生(当時)の娘さんの姿でした。ユーモラスで、同時に切ないものでした。
 続編も含め、上映会は各地で随時開催されるようです(スケジュールはウェブサイトに掲載されています)。
 多くの方に観て頂きたい貴重な記録です。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
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