2014年7月12日(土)は、ふくしまオーガニックコットン・ボランティアバス2014の第2回目の日です。
ようやく台風8号が通過したと思ったら、当日未明には福島で震度4の地震があり、津波注意報も発令されているという状況でしたが、天ぷら油で走る中型バスは、予定通り7時に新宿西口を出発。
最初に、主催者である認定NPO法人JKSK(女性の活力を地域の活力に)の理事・伊藤陽子さんから、現地と連絡を取り予定通り開催できること確認していること(津波注意報は既に解除)、現地では万が一の地震や津波の時の避難先も確保されていること等について説明がありました。
伊藤さん、担当理事として誰よりも気を揉んでおられたようです。
続いて、JKSKの大和田順子理事長からのご挨拶。
「結結プロジェクト」から始まったオーガニックコットン栽培は、今年度はいわき市、広野町など22か所、2.5haに広がっており、本日は、この農作業を行うとともに、午後には防災緑地等の見学も行う予定とのこと。
また、東京新聞に連載されている「東北復興日記」の紹介もありました。この日は、その担当記者の方も同行取材されています。
続いて20名の参加者一人ひとりから自己紹介。
デザイナー関係、マスコミ関係、アメリカ人の方、保育園勤務の方など多彩です。保育園勤務の方は、被災地の現状、今日の体験をいかに子供達に伝えていけるかが課題、と話しておられました。
この日は、JKSKの木全(きまた)ミツ会長も同行して下さいました。
「ボランティアの数が減っている中、小さなNPOではあるけれども復興が完成するまで活動を絶やしてはならない」と決意を語っておられました。
また、車中ではふくしま潮目-SIOME-手ぬぐいとタオルハンカチの紹介もありました。
手ぬぐいは一口100枚、ハンカチタオルは500枚からオリジナルデザインのものも作ってもらえるそうです。
常磐自動道は渋滞もなく、途中、友部SAでの休憩を経て10時30分頃に現地に到着。
青空の下、遠くに東電広野火力発電所の煙突が望まれ、水田の稲が風にそよいでいます。陽射しは強いのですが(途中、常磐道脇の温度計は32℃を示していました)、海に近いせいか、吹き抜ける風は爽やかに感じられます。
その夏の日差しにも負けない位の明るさで、いわきおてんとSUN企業組合の吉田恵美子代表が出迎えて下さいました。
スタッフの藤田さんと矢口さん、農作業を指導して下さる松本公一さん(楢葉町からの避難者の方)も一緒です。
また、この日は広野町の遠藤町長、福島県富岡土木事務所の相澤所長、地元の女性3名も、一緒に作業するために駆けつけて下さいました。
その遠藤町長からは、「震災前は人口5000人だった広野町には、まだ1600人しか戻っていない。双葉郡8町村の復興のためにも、町民はもとより首都圏の方達とも連携しつつ、“幸せな帰町・復興” に向けた町づくりを進めていきたい」との挨拶を頂きました。
さて、前回(6月1日)に除草、耕起、施肥、畝立てし、マルチを敷いて種を播いたコットン畑の様子をみると、30cm近く成長している株もあれば、全く芽が出ていないものもあります。株元や畝の間は、雑草で覆われています。
スタッフの方から、この日の作業内容の説明。
まず、芽が出ていないところへの苗の補植。根を傷つけないようにと手本を見せて下さいます。一方、2本以上伸びている株は1本を残してハサミで間引き。そして草取りです。
熱中症に気をつけて十分水分を取って下さいとの注意を受けて、分担して作業に取りかかりました。
畝の間の除草には、耕うん機も使います。
松本さんの指導の下、ふだん触る機会のない参加者には興味深い体験になったようです。
ご高齢(失礼)の木全会長は、国連公使も務められた方ですが、日傘をさして一心に草取りをされています。
4歳の上原2世も草取りや間引きに活躍。カエルやカマキリなど未知の生物との遭遇に驚き喜んでいました。住んでいる都会ではダンゴムシ位しかいないそうです。
前回、種まきした畑は2時間ほどで終了。まだ少々時間があったので、隣の畑に移動して間引きと除草作業を続けます。こちらは種まきが早かったのか、紡錘型の花芽をつけている株芽もありました。
防災緑地工事のダンプが頻繁に通ります。
13時頃に作業は終了。
バスに戻り、昼食会場でもある近くの広野町体育館に移動しました。涼しい風が通ります。
今回のお弁当も「いわきいきいき食彩館スカイストア」のもの。
代表の松崎さんから、ともすれば後ろ向きになる生産者を励まし、地域に対する安心感を高めるためにも、地元の食材をふんだんに使っていること等について説明がありました。説明を聞きながらの食事は、美味しさも格別です。
地元の方たちも何人か同席して下さり、話を聞かせて下さいました。
地元の農家・根本さんは、ミカンを植える活動をされています。温暖な広野町は温州ミカンの北限とされ、かつて町から全戸に蜜柑の苗木が配られたこともあったそうで、津波で流された根本さんのご自宅にもあったとのこと。常磐線の車窓からも見える建造中の防災緑地にも、ミカンを植えたいと話しておられました。
現在は町議の門間さんからは、県職員で保健師をされていた発災当時の状況等について話して下さいました。
木田さんは、新しい町のシンボルとしてオリーブを植える活動をされているひろのオリーブ村の取組について紹介して下さいました(帰り際には立派なズッキーニを頂きました)。
引き続き、福島県富岡土木事務所の相澤所長、担当の大野さんから、防災緑地の整備事業について、模型をみながら説明がありました(多くの資料も準備して下さいました)。
これまで、根本さん達の協力も得て4回のワークショップを開催するなど、町民や高校生の意見を反映した計画づくり(季節を感じられる里山の景観づくり、散策路や展望広場の整備等)に取り組んでおられるそうです。
ちなみに、その名の通り富岡町にあった土木事務所自体、原発事故で三春、いわき等への避難・移転を続けた後、現在は広野町に所在しているとのこと。
会場では、いわきおてんとSUN企業組合の皆さんによるオーガニックコットンTシャツの即売会も。アーティストやアニメとコラボした商品など、ラインナップは多彩です。
あれ、上原親子の姿が見えないと思ったら、息子さんは体育館脇の広い芝生を駆け回っていました。
バスに戻り、車中、根本さんから「みかんの丘」の説明を頂きました。昨年12月には3年ぶりにミカン狩りも再開され、中学生達により補植もされているそうです。
続いて、「ひろのオリーブ村」の馬上(もうえ)事務局長から、オリーブを植栽している二ツ沼総合公園を案内して下さいました。パークゴルフを楽しんでおられる方々もおられましたが、ここは隣接するJビレッジとともに、原発事故収束作業の拠点となっています。
ここで偶然、作業員を支援する活動をされている吉川彰浩さんにお会いしました。昨年9月の講演(東京・日本橋)をお聞きして以来です。
さらに、車中から防災緑地事情の整備現場を見学。
工事そのものは2015年度の完成を目指しておられるそうですが、植えられたミカン等が生長し景観が形成されるまでには、長い時間がかかります。息の長い取組です。
バスは国道6号線(陸前浜街道)南下します。吉田さんから、いわきや広野町の現状について説明がありました。
「広野町には作業員の方は増えているが、住民の帰町は住んでいない。先日、初めて街中でお母さんが小さな子どもを連れて歩いているのを見て驚いたが、このようなことに驚くこと自体、普通な状況ではない。
いわき市内には、津波被災者が入居している仮設住宅に隣接して原発事故避難者向けの復興公営住宅の建設が進んでいる地区もある。被災地でありながら多数の避難者を受け入れているという特殊な事情があり、コミュニティをどう再生していくかが大きな課題となっている」など。
震災から4年目に入り、新しい課題も明らかになりつつあるようです。
道の駅よつくら港へ。
隣には、子ども向けの屋内遊び場「キッズランド」があります。屋内で安心して遊ばせたいというお母さんたちのニーズが高いことも、普通な状況とは言えないと吉田さんはおっしゃっられました。
お土産などを買った後は、かんぽの宿いわきの温泉で気持ちよく汗を流しました。
そしてバスは、一路東京へ。再び参加者にマイクが回され、今日の感想など。
自然の中で身体を動かして気持ちが良かった、地元食材のお弁当も美味しかった、女性リーダーの方たちと会えて刺激になった、現地の人たちとの顔の見える関係づくりを続けていきたい、等々。
また、東京に住んでいるとつい忘れがちになるが被災は決して終わっていないことが分かった、それでも前向きに頑張っておられる現地の方たちから勇気を頂いた、見聞きし体験したことを回りの人たちに伝えていきたい、等の感想もありました。
と、その時、車内の照明が突然落とされ、マイクを持った大和田理事長が「皆さん、左側の空を見て下さい」と。
薄い雲を透かして満月が輝いています。しかも月と地球が最接近する「スーパームーン」とのこと。
「このような特別な日に2回目のバスツアーが開催され、皆さんとご一緒できたのも、何か運命的なことを感じます。記憶に残る一日となりました」と、大和田さんは話しておられました。
その満月に見守られつつ、21時前にバスは新宿西口に到着。再会を期して、雑踏の中、帰途に就きました。
このバスツアー、次回は9月13日(土)に予定されています。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信