ふくしまオーガニックコットン・ボラバス2014(最終回)

 この春、自宅近くに借りている市民農園の一画に、福島・いわきの吉田恵美子さんから頂いた綿の種を植えてみました。
 育ったのは3株だけだったのですが、今、薄茶色のコットンが収穫できています。
 そのコットンを、いわきに里帰りさせることができました。
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 2014年11月8日(土)。
 ふくしまオーガニックコットン・ボランティアバスツアー2014(主催はJKSK(NPO女性の活力を社会の活力に)主催)最終回の日です。崩れる予報だったのですが、雨は落ちていません。
 天ぷらバスは、いつも通り午前7時に新宿駅西口を出発。
 参加者は34名。初参加の方も10名ほどいらっしゃいます。
 
 担当理事の伊藤さん、大和田順子理事長から挨拶と、ツアーの趣旨等について説明。伊藤さんがデザインされた「潮目手ぬぐい」も紹介して下さいました。
 参加者から1人ずつ自己紹介。お母さんに連れられた小学生の女の子も。JKSKの木全ミツ会長も参加されています。
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 11時頃に、いつもの広野町のコットン畑に到着。東京とは違って青空です。 
 いわきおてんとSUN企業組合代表(オーガニックコットン担当)の吉田恵美子さん、農作業を指導して下さっている松本公一さん達が出迎えて下さいました。
 広野町の遠藤町長も来て下さり、「首都圏の皆さんの力も借りながら、双葉地方の復興に取り組んでいきたい」等と挨拶を頂きました。
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 今日の作業はコットンの収穫です。
141108_3.jpg 今年、これまで3回のツアーで土づくりをし、苗を植え、草取り等の作業をしてきたコットン畑。あちらこちらにたくさんのコットンが弾けているのが見えて、嬉しくなりました。豊作のようです。
 もちろん、無事に収穫までこぎ着けたのは、管理して下さった松本さん始め地元の皆さんのお陰です。
 畑に入り、吉田さんが収穫方法を教えてくれました。
 はじけたコットンボールから指先でコットンをつまんでゆっくりと引っ張ると、すーっと殻から外れます。その様子に、参加者一同「お~」との感嘆の声が自然に上がりました。
 簡単に外れないものは未熟なのでまだ収穫しないこと、ゴミが混ざらないように気をつけるように、等の注意を受けて、思い思いに畑に入っていきます。
 弾けているコットンがあちらこちらにあり、多くの目で見ても、ついつい見逃してしまいます。腰をかがめての手作業は、それなりに大変です。
 ちなみにアメリカ等における通常のコットン栽培では、効率を上げるために枯葉剤を用いるとのこと。
 ここでは自然に枯れかかっている株も多いのですが、まだ多くの固いコットンボールが重そうに垂れ下がっています。花も残っていて、まだまだ収穫できそうです。
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 テントの下では、収穫してきたコットンを広げてゴミを取る作業。
 気をつけても、どうしても細かなゴミが交じってしまいます。これを手で取っていく地道な作業です。
 やがて、2つのビニール袋が一杯になりました。手を入れた参加者から、ふわふわ、もこもこの感触に歓声が上がります。
 コットンを外した殻の部分も、枯れた葉などを綺麗に除いてコットンベイブの材料に使います。
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 13時前に予定の収穫作業は終了、バスに戻ります。
 いわきおてんとSUN企業組合の島村守彦さん(コミュニティ電力担当)が、バスに同乗して説明して下さいました。
 この日から始まる紅葉の国宝・白水阿弥陀堂をライトアップするイベントにも参加されているそうです。
 県道沿いにある太陽光発電設備の設置予定地も、車中から見学させて頂きました。市民ファンドを立ち上げ出資を募る予定があるそうです。
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 続いてバスは、役場裏手の高台の「ひろの秋まつり」の会場へ。
 フットサル大会が開催されており、多くの子ども達の歓声が響いています。
 広野町にはJビレッジ(サッカー日本代表ナショナルトレーニングセンター。現在は廃炉作業の拠点に一時転用中)もあり、スポーツが盛んな地のようです。
 様々な団体が出展しています。
 ひろのオリーブ村のブースでは、リース作りが行われていました。ここで偶然、原発作業員を支援する活動をされている吉川彰浩さん(アプリシエイト フクシマ ワーカーズ)に、お会いしました。オリーブ村の活動にも関わっておられるそうです。
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 昼食は屋外で。
 熱々の豚汁は、日が陰って肌寒くなってきたこともあり、美味しさも格別です。
 ブルーシートの上には、おむすび、色々な郷土料理など。
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 農家の根本さんが、おむすびのお米について説明して下さいました。
 福島県が15年の歳月をかけて開発した「天のつぶ」という品種だそうで、今年度の皇室の新嘗祭(にいなめさい)にも献上されたとのこと。
 豚汁を準備して下さったのは、元県職員・町議で保健師をされている門馬さん。
 帰町を進めるためには高齢者介護が重要と取り組んでおられます。広野町に来ることができる管理栄養士の方がいれば紹介してほしいとのことでした。
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 地元の方達の心のこもった昼食を頂いた後、14時過ぎに再びバスへ。
 実施中(2012~15年度)の防災緑地事業の工事現場を見学させて頂きました。
 案内・説明して下さったのは、福島県富岡土木事務所の桶田次長さん。ちなみにこの事務所も(名前の通り)富岡町にあったのですが、原発事故により避難を余儀なくされ、現在は広野町のプレハブ庁舎で業務を行っているそうです。
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 多くのダンプや重機が行き交う中に、一部、盛り土が終わった箇所があります。ヘルメットを借りて登らせてもらいました。
 高さ12メートル。思ったより高く、遠くまで望むことができます。町長さんも顔を出して下さいました。
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 すぐ足の下には太平洋。少し風が出てきて消波ブロックに白波が立っていますが、総じて穏やかです。
141108_12.jpg 3年8か月半前、この海から10メートル近い津波が押し寄せてきたとは、どうしても信じられません。
 帰りの東京に向かうバスの中で、ある男性の方(映像メディア関係の方のようです。)が、しばらく海から目を離すことができず感無量だったと話されていました。
 なお、富岡土木事務所では「ひろの防災緑地サポーターズクラブ」を設け、地域住民の意向やアイディアを活用しつつ事業を進めているとの説明もありました。
 15時前に、一行は近くの集会所へ。
 4つのグループに分かれ、地元の方を交えての意見交換会です。
 私が参加したグループに、地元の小学校の先生(女性)がおられました。
 「子どもの数は震災前に比べて3割弱。除染が進み、外遊びもプールも制限されていないものの、森の中でのドングリ拾いは大丈夫かなと不安になることがある。
 また、復興のために多くの作業員が町外、県外から来てくれていて、感謝の気持ちはあるものの、正直、夜の一人歩きなど怖いと思うことがある。本当に安心して暮らしているとは言い難い」とのこと。
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 別の女性の方は、孫が小学校に上がるのに合わせて帰町されたそうです。ところが、一緒に遊ぶ友達がいないとのこと。
 子どもの数が減っているだけではなく、被ばくを少なくするためにスクールバスで通学するようになったため、昼休み時間や放課後の時間が削られ、道草もできないとのこと。
 子どもたちが集まって遊べる公園等を整備してもらいたい、と話しておられました。
 一方、高校2年生の女子生徒は、高校生が気兼ねなく集える場所を自分達で作っていきたいと話されました。行政に訴えようと作成したプレゼン資料を、タブレットで見せてくれました。なかなかよくできています。
 各グループから話し合った内容について報告し、全員でシェアします。
 私の参加したグループは、JKSKの伊藤理事が、地元の方から伺った話をうまくまとめて発表してくれました。
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 最後に、JKSK・大和田理事長からは、
 「もし、押しつけがましくならないのであれば、都会に住む自分たちが何ができるか、これからも地元の方たちとの意見交換を続けていきたい。
 JKSKでは、これまで各復興地で膝を突き合わせて1泊2日で行う『車座交流会』を開催してきたが、広野町でも開催したい」との話がありました。
 これに対して地元農家の根本さんからは「ぜひ、今後もこういった関わりを持ち続けていきたい」、との話を頂きました。
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 地元の方達の見送りを受けて、バスは最後の訪問地・道の駅よつくら港に向かいます。16時を回り、暗くなってきました。
 吉田恵美子さんが同乗し、浜通りの現状等について説明して下さいました。
141108_16.png 「復興公営住宅等の建設が進んでいる。先日、郡山で 富岡町からの避難者に鍵の受け渡し式が行われたというニュースがあったが、まだまだ数万人が避難中」
 「いわき市に住み続けることを希望する人も多い。元からの住民と避難者を誰がつなぐか、コミュニティづくりを誰が担うかが大きな課題になっている。 避難者同士、市民と避難者との交流活動等を支援する『コミュニィ交流員』を配置する事業を、自分が副代表を務めるNPOが受けることとなった。 行政の枠を飛び越えて民間でないとできないことも多い。色々な人の強い思いを受けて、活動を始めている」
 さらに、「前回のツアーに参加された金沢の小学校の先生のご縁で、先日、金沢の小学校を訪ねて3年生約100人を対象にコットンベイブ教室を開催してきた。
 たまたま合唱大会の日で、3年生は被災地を元気づけたい歌ってくれて涙した。コットンの栽培を通して、全国各地の皆さんと繋がりができているのは嬉しい」との報告もありました。
 道の駅よつくら港で吉田さんともお別れ。参加者の間で今日の感想の交換などしながら、バスは一路、東京へ。事故渋滞で予定より少々遅れ、21時を回って新宿着。
 ところで、この日のお土産は、根本さんに紹介して頂いた「天のつぶ」。2袋、購入させて頂きました。
 松本さんからは水菜を頂きました。茎が鮮やかな紫色です。後日、鍋と餃子の具として美味しく頂きました。
 広野町の遠藤町長に頂いたボールペンには、新キャラクター「ひろぼー」が描かれています。ゆかりの童謡「とんぼのめがね」がモチーフとのこと。
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 このボラバスに初めて参加したのは昨年5月のこと。
 コットン畑近くの水田跡地(津波被災地)は、一面、消波ブロック置き場になっていたのが、現在は災害公営住宅の建設が進み、町民も参加しての防災緑地の建設が始まっています。
 141108_18_convert_20141112002300.png 道の駅よつくら港も、昨年8月の時点では積み上げられていた被災漁船の残骸に驚きましたが、今はすっり片づけられています。
 JR常磐線や自動車道も、不通だった区間の再開が進むなど、目に見えるかたちで復興が進んでいるのは間違いありません。
 一方で、この日も地元の方が話されていたように、依然として放射能汚染に対する不安は消えていません。
 さらには、元からの住民と避難者との間のあつれきなど、新たに出てきた問題もあります。
 株高やオリンピック景気に沸く東京で(解散風まで吹いてきましたが)、もろもろの事柄に流されながら日々を送っていくなか、自分自身がどのように被災地復興と関わっていくかが、自らに課された大きな宿題です。
 そのように思えるようになったのも、2年間で8回にわたり、ボラバスで同じ現地を訪ねることができたおかげです。
 現地で受け入れて下さった方々はもとより、主催者・事務局であるJKSKの皆様、一緒に参加できた皆さんに、心からお礼申し上げたいと思います。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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