ボランティアの始め方-寝占理絵さんの体験談から

 2015年2月11日(水・祝)。
 東京・渋谷区文化センター大和田のホールで19時30分に開演したのは、「バレンタインスペシャル・ジャズライブ」と題したコンサート。
 出演されたのは寝占友梨絵さん(ボーカル)、若井優也さん(ピアノ)、佐藤ハチ恭彦さん(ベース)、棚木雄斗さん(ドラム)。
 寝占友梨絵さんは、音大でクラシックピアノを学ばれたのちジャズに目覚め、山下洋輔氏とも共演するなど活躍中で、2014年12月には浅草ジャズコンテストでグランプリを受賞された方。
 
 アップテンポな曲、スキャットからバラードまで10数曲を熱演。
 アンコールを含め、300人以上入る大きなホールは熱気に包まれました。
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 2015年2月21日(土)は快晴。春が近づいていることを実感できるような一日です。
 午後から渋谷へ。いつも混雑している渋谷駅から徒歩5分ほど、マンションの2回に「ソルビアンカ(太陽の舟)」というコミュニティスペースがあります。
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 ここで14時から開催されたのは、「ボランティアの始め方-誰かのためにあなたが出来ること!」と題するセミナー。
 案内文には、お茶をしながら、被災地支援に取り組む寝占理絵(ねじめ・りえ)さんの体験談を聞き、参加者間で交流しようという気軽な会とあります。
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 ドアを開けると40平米ほどの明るいスペース。壁際には、先日のコンサートの時のものと思われる花束が置かれています。
 寝占理絵さんは、ジャズボーカリスト・友梨絵さんのお母さま。
 NPO法人マザーリンクの代表で、ここソルビアンカの共同運営者でもあります。
 寝占さんとお会いしたのは、2013年7月21日(日)、東京・下北沢のふくしまオルガン堂で開催された「夏の利き酒会」。
 偶然、同じテーブルになり、被災地支援に取り組んでおられるお話をお聞きしました。献身的に個人で手弁当で取り組んでおられる様子に驚くとともに、大いに感じ入り、ずっと気になっていたのですが、ようやく、じっくりとお話を伺う機会ができたのです。
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 その寝占さんのお話の内容は、およそ「気軽な会」ではなく、想像以上に深刻で生々しいものでした。
 以下、その概要を紹介します。
 「東京の人は比較的ボランティアに対する意識は高いものの、実際に1歩を踏み出せない人が多い。そこで、今日は自分の体験談をお伝えしたい」
 「自分のボランティア体験の原点は、小学生時代のガールスカウト活動。ゴミを拾ったりユニセフ募金を手伝ったりしたことが、公共心や、世界の貧困問題に対する関心を、自然に持つことができた。
 娘が小さい頃に離婚、母子家庭となり、社会的弱者と言われる人たちへの思いが強くなった。
 勤めていたインターネット関係の会社を退職、独立してウェブ制作会社を設立し、障がいのある方等がパソコンを使えるように支援するとともに積極的に雇用していた」
 「もっと日本が良くなることをしたいとずっと思っていた時に、3.11の震災。何かに突き動かされるようにNPOを立ち上げ、身一つで岩手・陸前高田市に移住し支援活動を始めた」
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 「NPO法人マザーリンクとして、原発事故から避難している親子に支援物資を届ける『赤ちゃん救おうプロジェクト』、津波被災者に入学式のためのフォーマルウェアを届ける『入学式衣類支援プロジェクト』、遺族を悼む葬儀のための『喪服支援プロジェクト』等を実施してきた。
 未だ行方不明者の捜索が続いている時にフォーマルウェア等は贅沢ではないか、との批判もあった。あるいは、途中から無償配布をやめてバザー形式としたことに、被災者からお金を取るとは何ごとか、といった批判が東京からもあった。しかし、現地の被災者の皆さんは、無償でもらうよりお金を使うこと方が楽しいと言ってくれた。自立を助けることが本当の支援ではないか」
150221_5_convert_20150222103829.png  「仮設住宅を回ると、自治会長さん達は孤独死を出したくない等と必死で、本当に疲弊されていた。そこで50人以上の会長さん達に声掛けし、お互いに情報・意見交換できる「仮設住宅連絡会」の発足をお手伝いした。
 また、行政と交渉し、緊急雇用対策事業を活用した支援員の配置を実現した。陸前高田市も職員の3分の1を亡くしており、何か手伝いができないかという思いだったが、よそ者が来て余計なことを、という批判もあった」
 「さらに、仮設住宅内の『うつ』、孤独死、家族内での虐待等を防ぐための『いっしょにごはんプロジェクト』を実施。週1回、日時を決めて自分が食べるご飯を持ち寄って一緒に食べようというもの。1人暮らしの人にも声をかけるなど、被災者の皆さんが自分達で取り組める内容を心がけた」
150221_7.png 「仮設住宅で交流イベント等を実施しても、『母子家庭』『父子家庭』『里親家庭』の親子はなかなか参加してこない。そこで、2012年から母子家庭等を個別訪問し調査したところ、その厳しい状況が明らかとなった。
 3つのパートを掛け持ちしても月収が10万円に届かなかったり、子どもに靴や服を買ってやれなかったり、一日一食で過ごしていたり、等々」
 「震災で親を失った遺児家庭には支給される義捐金等が、震災前からの母子家庭には支給されない。『私が津波で死ねば息子を進学させられたのに』と言うお母さんもおられた。支援を手伝ってくれる人の中にも、離婚は自己責任と言う人もいた。
 震災遺児以外の母子家庭等のために、フードバンクなど他の団体と連携して支援を行うこととした」
 「月収10万円以上か否かは、パソコンが使えるかどうかにあることも分かった。インターネット等で情報にアクセスできることで、転職や転居の機会が大きくなり経済的な自立にもつながる。
 そのため、母子家庭等に中古のパソコンを支給し、併せて講習を実施するという活動も始めている」
 「2014年の春に東京に戻ってきた。自分も被災地での生活に疲弊し、東京が恋しい、娘が恋しいとずっと思っていた。
 東京に戻ってきたからこそ、他団体との連携が可能となり、マスコミの取材を通じた情報発信もできるようになった」
 「OECDの統計によると、日本の子どもの貧困率は先進国中でも最悪。被災地だけの問題ではない」
 生々しい話の最後に、寝占さんからは、
 「寄付して頂くとか、サポート会員になって頂くとか、あるいは時間がある時に事務作業を少し手伝ってくれるだけでも有難い。また、今日の模様などもSNSで情報発信して頂きたい。ぜひ、できるところから参加して頂きたい」と話をまとめられました。 
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 この日の参加者は、寝占さんを含めて5名と少なかったのですが、それぞれ、意識を持って活動されている方ばかりでした。
 飲食店と連携しつつ若い演奏家を支援する会社を経営されている方。
 パン関係のライターで、陸前高田市で「希望のりんご」プロジェクトを立ち上げられ活動されている方。
 それに、寝占さんの活動をお手伝いされたことのあるという薬剤師の女性。
 大震災からの復興という大きな課題の中で、特に母子家庭等の貧困の問題の深刻さには、正直、圧倒される思いでした。寝占さんご自身も限界を感じながらも、少しでも力になれればと活動されています。
 現地の人たちと個人的に交流されてきたからこその寝占さんの体験談は、間違いなく貴重で、もっと世の中に発信していって頂きたいと思いました。
 また、寝占さんのように、自ら被災地に飛び込んで先頭に立って活動するには大きな覚悟と様々なスキルが必要です。しかし、そのそのような方をサポートするための活動は、ささやかかもしれませんが、誰でもできます。
 間もなく、東日本大震災から丸4年を迎えます。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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