東日本大震災を忘れない3.11のつどい(新宿にて)

 2015年3月11日(水)。
130311_1_convert_20150312235443.png 東日本大震災から丸4年のこの日、新宿区立新宿文化センター小ホールで「東日本大震災を忘れない3.11のつどい」が開催されました。
 被災地の現状を学ぶとともに首都直下型地震等への備えを確認しようというもの。
 実行委員会の代表は、福島・いわき出身の根本二郎さん(新宿区議)です。
 開会に5分ほど遅れて会場に入ると、吉住新宿区長が挨拶されている途中でした。
 会場は200名以上で満席。後で主催者の皆さんに伺うと、当日の参加が予想以上に多かったそうです。 
 最初のプログラムは『みんな生きている』の上映。
 震災から3年後のいわき市薄磯地区を舞台に、母親を津波で失った幼い兄妹と、2人が多くの人に見守られている様子を描いた短編映画です(予告編はこちら)。
130311_2_convert_20150312235517.png 上映後、秀嶋賢人監督からのお話がありました。
 「映画の舞台となった薄磯地区でも100名以上が犠牲となった。それから4年、ハード面の復興は進みつつあるものの被災地は一色(ひといろ)ではない。
 置いてけぼりにされがちなのが、子どもと高齢者。多くの震災孤児がうまれ、多くは里親が育てている。仮設に引き取られ暮らす子ども達も。高齢者の中には、住んではいけない半壊した自宅から離れない人も。記憶が止まっている」
 「阪神淡路大震災の時もそうだったが、3~4年がたつと、それまで耐えてきた心の葛藤が表面に出てくる。ハード面だけではなく、今こそ心のケア、メンタル面のサポートが重要。
 今回の映画のラストシーンは、母親が亡くなったことを認めたくない兄妹が幻の母親と「きちんとバイバイ」する場面を描いた。次作では、新しい日常を取り戻すためにさらに1歩を進んでいく姿を描きたい」とのお話を頂きました。
 (下の画像は予告編から)
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 続いて、アマチュアバンド「The Long Day」による追悼の演奏。ボーカルの男性は福島・飯舘村のご出身だそうです。
 1曲目は『予定~福島に帰ったら~』(YouTube)。故郷に帰った時にしたいこと(郷土料理を食べたり名所を訪ねたり)が歌詞に綴られています。
 2曲目は1960年代のザ・フォーク・クルセイダースの名曲『悲しくてやりきれない』。
 最後のジョン・デンバー『故郷に帰りたい~カントリーロード』では、会場から自然に手拍子も。
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 後半は根本さんの進行により、大震災の記憶等について当事者の皆さんからのお話を伺います。
 最初は、岩手・陸前高田市出身の鷹股誠吾さん。
 「高校を卒業後に上京。3.11の日は東京の自宅で大きな揺れ。テレビをつけると三陸沖が震源と報じられており、母親に何度も電話するが通じず。しばらくしてネットが回復し『まだ揺れが続いている』など母親から3通のメールがまとめて入ってきて安心した。ところが、テレビには『陸前高田は壊滅』とのテロップ。翌朝、映像をみて愕然とした」
 「15日深夜に東京を発ち、何とか16日中に現地に。変わり果てた故郷の姿に言葉を失った。
 避難所等に支援物資を配る活動を手伝いながら、母親の消息を聞いて回った。同じ町内の人がまとまって避難している公民館があると聞いてほっとして、翌17日に訪ねた。ところが、途中まで一緒に避難していた母親は、山を登った時にはいなくなっていたと聞き、膝が崩れ落ちた。この日はお袋の65歳の誕生日だった」 
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 「その後の半月は、1日置きに支援物資配りと遺体安置所回り。初めて安置所に入った時の、線香と消毒液と、腐敗が始まった遺体の臭いが混じった異臭は忘れられない。背筋が凍り、怖かったが、一人ひとり確認して回った。しかし結局、見つけられなかった」
  仕事もあり東京に戻ったが、安置所の様子が夢に出てきて眠れない日が続いた。その後、遺体が見からないまま死亡届を出し、葬儀を営んだ」
 そして最後に、「このような経験をしたのは自分だけではない。今も多くの人が心の中に悲しみを抱えていることを忘れないでほしい。
 そして東京の人たちも、地震や津波への備えを怠らないでほしい」と訴えられました。
 続いての報告は、中央大学ボランティアセンター「チーム女川」の学生さん達から。
 法学部2年生の女性は、2013年5月に初めて宮城・女川町(おながわまち)に入り、更地になっている景色にショックを受けたとのこと。以来、11回ほど現地に入っているそうです。
 一番印象に残っていることは、小学生に勉強を教えるボランティアに行ったとき、明るく抱っこやおんぶをせがむ子ども達が、津波で親が亡くなったことを普通のようにな口調で話していたこと。
 「かさ上げ工事が進むなど復興は順調に進んでいる面がある一方、仮設に入ったままの人たちもいる。東京に住む自分たちだからこそ、『風化』を防いでいけると思って活動している」と、力強く語られました。
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 また、男子学生からは
 「東日本大震災は他人事ではない。首都直下型や南海トラフ地震の可能性も言われている。避難場所など、家族で話し合っておく必要がある」との発言がありました。
 続いては、福島・いわき出身で新宿に避難されている山田栄子さん。車いすです。
 「3.11の揺れは大きかったが、内陸部の自宅には被害はなかった。ところが原発が爆発し、毎日通院していた病院も閉鎖されることとなって14日にいわき市を出た。それ以来、一度も帰っていない。
  4月から百人町の都営住宅に住んでいる。避難者のグループ『青空会』で月1回、交流会を実施している。避難している人も、それぞれ状況や事情が違う」
 「東京の人たちには本当にお世話になっている。今日も、このように集まって頂き支援して下さっていることを改めて感じた」と話されました。
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 最後に一般社団法人 防災安全協会の斎藤実代表から、
 「首都直下型地震が起こると800か所で火災が発生するとの予想もある。新宿区内にもある木材住宅密集地域が特に危険。ところが、はしご車は都内に500台しかない。
 気をつけなければならないのが通電火災。阪神淡路大震災の時も停電が復旧した時に多くの火災が起こった。感震ブレーカーや『スイッチ断ボール』を設置するなど、火災を予防する措置が有効」と話されました。 
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 締めくくりには、再び「The Long Day」の皆さんが登壇し、みんなで『ふるさと』を合唱。
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 会場外のロビーに出ても、まだまだ熱気が冷めません。
 根本さんや報告者の皆さんは、多くの参加者に取り囲まれていました。福島産の「えごま」や関連する書籍等も並べられています。
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 会場を片づけた後は、主催者、スタッフの皆さんの「打ち上げ」に参加させて頂きました。
 場所は「小料理・結(ゆい)」(富久町16-10)。根本さんが、被災地支援の拠点として開設・運営されているスペースです。
 さほど広くない店内は先客もおられて満員。扉の外でビールを一杯呑んでからようやく店内に入れました。
 ここでは、いつも東北の美味しいお酒と料理が頂けるのですが、この日は、太平桜酒造(いわき市)の純米酒「絆」を堪能しました。
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 東日本大震災からの復興は、5年目に入りました。
 この日のイベントに参加して、被災地の方や避難されている方には厳しい状況が続いていること、また、多くの方が今も心に深い悲しみを抱かれていることを理解することができました。
 一方、若い学生さん達の心強いスピーチは、心励まされるものでした。
 復興には、まだまだ長い時間を要します。廃炉には40年がかかるとも言われています。
 息の長い取組が必要です。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
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