JKSK 車座交流会 in 福島・広野町(1)

2015年7月10日(金)午前7時。一台のバスが、福島・広野町に向けて新宿を出発しました。
認定NPO法人 女性の活力を社会の活力に(JKSK)主催の車座交流会が開かれるのです。
ずっと雨模様が続いていましたが、この日は久しぶりに晴天。
事務局の柏木智帆さんからの日程等の紹介に続き、JKSK理事長の大和田順子さんから、車座交流会の趣旨や経緯等について説明がありました。
JKSKは、2011年3月の東日本大震災直後の5月に被災地支援のための「結結(ゆいゆい)プロジェクト」を立ち上げ、その具体的な取組の一つが車座交流会。
首都圏在住の復興支援への高い志を持つ女性エキスパート達が被災地を訪ね、そこで復興に取り組む女性リーダー達との間で意見交換と対話を行い、具体的な行動開始に向けて検討するという内容で、2011年7月の第1回(宮城・亘理町)からスタートし、今回が8回目となるとのこと。
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予定より30分ほど早く、10時半頃に広野町の中央体育館に到着。夏の陽射しに溢れています。
地元の方たちと顔合わせ。
まず、広野サステナブルコミュニティ推進協議会の代表世話人である根本賢仁さんから、ご挨拶を頂きました。
今年度、広野町では復興庁「新しい東北先導モデル事業」として「双葉八町村に春を呼ぶ!広野わいわいプロジェクト」が実施されるとのこと。今回の車座交流会は、このキックオフ・フォーラムとしての位置です。
なお、根本さんのご自宅も津波で被災されたとのこと。
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おなじく、プロジェクト世話人の磯辺吉彦さん(ドールハウスを製作されているそうです。)、オリーブを植える活動をされている馬上(もうえ)義幸さん。
隣接するいわき市からは、いわきおてんとSUN企業組合の吉田美恵子さん(代表、オーガニックコットン担当)と島村守彦さん(事務局長、コミュニティ電力担当)達が参加。
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引き続き役場の方から、広野町の復興の現状と今後の取組の概要について説明を頂きました。
原発事故後、一時、5千人強の全町民がいわき市等に避難し、現在も帰還されている方は4割程度にとどまっているとのこと。一方、原発事故の収束や除染に携わる約3千人の作業員の方が町内に宿泊されているそうです。
ふる里“幸せな帰町・復興”への道のり」と題した冊子も頂きました。
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昼食のお弁当を頂いてバスへ。
体育館の玄関脇には、吉田さんが理事長をされているNPO ザ・ピープルによる古着回収ボックスが設置されていました。
体育館の背後の山(みかんの丘)には、みかんが植えられています。広野町は温暖で、「東北に春を告げるまち」とも呼ばれています。

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この日の午後は、双葉郡の復興の現状等についての見学ツアーです。
最初の目的地はJヴィレッジ
1997年に開設されたサッカーのナショナルトレーニングセンターで、2002FIFAワールドカップ日韓大会の時にはアルゼンチン代表のキャンプ地にもなった場所ですが、現在は原発事故対応の前線基地になっています。
駐車場に停めたバスに東京電力・福島復興本社の石崎代表が乗り込んでこられ、廃炉作業や賠償の現状、復興推進活動(自治体と協働して屋内清掃、大型家具搬出、除草等を実施)の状況等について説明を受けました。
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バスを降りて建物に入ると、広野町の遠藤智 町長が出迎えて下さいました。
オーガニクコットン・ボラバスの時も、公務でご多忙な合間を縫って毎回顔を出して下さり、一緒に作業されたこともありました。
「賠償、作業員宿舎の増加、給水問題等の難題に直面する中、双葉郡全体の将来像を描くため、首都圏の皆さまからの支援の真心にも応えるべく、新しい時代の地域創造に邁進していきたい」等の挨拶を頂きました。
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4階に上がってテラスから見下ろすと、10面以上あったという天然芝のピッチは、全て作業員の方の駐車場(ここでバスに乗り換えて福島第一原発向かうそうです。)や資材置き場となっていました。
話には聞いていましたが、実際に自分の目で見ると言葉を失います。
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建物の中には「蹴球神社」。
全国から作業員の方たちに宛てたメッセージや寄せ書き等も、多数展示されていました。
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Jヴィレッジを後にして、バスは広野ICから常磐道を北上。
楢葉町に入ると車窓からの光景が一変します。広野町では水稲の作付も再開されていますが、避難指示区域内の農地は夏草が生い茂り、あちらこちらに除染作業により出た放射性廃棄物等が詰められたフレコンバッグが並べられています。
先日、9月には楢葉町の避難指示が解除されるとの報道もありましたが、この光景を見ると、住民の方々の円滑な帰還と復興は簡単なことではないことが実感されます。
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常磐富岡ICで降りて、さらに北上。
重機を使って作業員の方々が除染作業を行っています。農地の表土を剥がし、他からもってきた土を入れているようです。
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大熊町に入りました。福島第一原発が立地している町です。
到着したのは、大熊町の現地連絡事務所。プレハブの建物に入ると、岡田さんと杉内さんが迎えて下さり、町の模型(ジオラマ)を指し示しながら、復興の現状等について説明して下さいました。
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大熊町は、現在も全ての町民が町外避難を余儀なくされています(町民の96%が居住していた地域は帰還困難区域に指定されています)。
役場機能も会津若松市に移転したままですが、町役場を定年退職された6名の方(自称「じじい部隊」)が交代で現地連絡事務所に駐在し、防火・防犯パトロールや一時立入者の支援等を行っているとのこと。
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ジオラマの北端、赤く塗られているのが福島第一原子力発電所。
そこから国道6号線、熊川との間の赤い線で区切られている区域が、中間貯蔵施設の建設予定地とのこと。多くの町民が住んでいた地域です。
色で空間線量を表す多くのピンが刺されていました。
岡田さんと杉内さんは、「多くの人に、ぜひ、現地に足を運んで自分の目で現地の実態を見てもらいたい」と、強く訴えておられました。
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バスは南下して富岡町へ。車窓からは、もう見慣れてしまったような除染の光景が続きます。
JR夜ノ森駅近くの住宅街で下車。桜の名所として有名だった地です。
道路を挟んで右側は帰還困難区域に指定されており、ゲートと監視カメラが設けられています。線量計は、3.1マイクロシーベルトという高い値を示していました。
区域内の住宅をみると、瓦が落ちたり洗濯ものが干したままだったり。駐車したままの自動車はパンクしています。

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道路の左側は居住制限区域で、日中の立入は自由です。「除染完了」という表示が置かれていました。
境界の道路を少し歩いていくと、そこにもゲート。そこから先は立入できません。その奥も、静かな光景が拡がっています。
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明るい夏の陽射しの下ですが、地元の人は誰も通りません。参加者も言葉少なく、耳がツンとするような不思議な静寂に包まれています。
生け垣のアベリアが、たくさんの花を咲かせていました。
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バスはさらに南下し、JR富岡駅前へ。
2013年9月に来た時は、ねじ曲がった駅舎や架線柱の姿にショックを受けたものですが、駅のがれきは綺麗に片づけられていました。
海側には、巨大な津波廃棄物等の減容化処理施設が設置され、無数のフレコンバッグが並べられています。
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駅前に目を転じると、津波で全壊した商店や食堂、ひっくり返った自動車など。4年4か月前と同じ姿のままです。
しかし時は止まっている訳ではなく、人の手が入らない建物等は確実に朽ちていっているのです。
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近くの駐車場には慰霊碑が設けられていました。合掌。
はるか水平線には、洋上風力発電施設の台座部分がかすかに望めました。
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バスは広野町に向かってさらに南下し、楢葉町の天神岬スポーツ公園へ。
展望台からは、空気が澄んでいると洋上風力発電施設が見えるそうですが、生憎とこの日は見ることができませんでした。
青い空と青い海、打ち寄せる白い波。4年前に大津波が襲ってきたとは、想像もできない平和な光景です。遠くには、広野火力発発電所の排気筒。
目を転じると、農地の真ん中に、積み上げられた夥しい数のフレコンパッグが見えます。
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そのフレコンバッグを車窓に見ながら、バスは広野町に向かいます。17時近くの国道6号線は、福島第一原発や除染の現場から戻る自動車で渋滞気味。
やがてバスは広野町に入り、何となくほっとした空気が流れました。
電柱には、ふたば未来学園の開校(本年4月)を祝うタペストリーが飾られています。
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二ツ沼総合公園へ。ここも原発対応の拠点として使われていましたが、今年5月に公園として再開されたそうです。
公園内にあるレストラン「アルパインローズ」に到着。
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歓迎交流会では、福島県富岡工事事務所長の挨拶に続き、町内外で復興地域づくりをされている方たちからの報告。
広野わいわいプロジェクト、広野町がんばっ会、ひろのオリーブ村、ふくしま浜街道・桜プロジェクト等。
特産のみかんをジャム加工されている方、アヒル農法で米作りをされている新妻有機農園の方など。
いわき市からはいわきおてんとSUN企業組合、南相馬からはベテランママの会の方からの報告も。
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引き続いて交流会。美味しい料理が並びました。
地元の方は車の方が多いので、東京組もアルコールは控えめです。
150711_25_convert_20150716015449.jpg 途中、シェフの西 芳照さんからもご挨拶を頂きました。
Jヴィレッジの元総料理長で、現在もサッカー日本代表に帯同し、食の面から選手を支えている方です。
21時過ぎにお開き。
東京からの参加者は、数名ずつに分かれて地元の方のお宅に泊めて頂くことになっています。
私は男性4名で町長さん宅にお世話になることに。奥さまに車で送って頂き、間もなく町長さんも県内出張からご帰宅。大和田理事長達も顔を出されて、しばし懇談会。
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翌日(土曜日)も早朝から県内出張という町長さんからは、遅くまで、色々と貴重な話を伺うことができました。厳しい現実の中、地域の復興と再生にかける被災地の首長さんの熱意に、心揺さぶらる思いでした。
町長さん、奥さま、奥さまのお母さま、大変お世話になりました。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信