稲刈り&バーベーキュー @ 福島・広野町箒平

 2015年10月4日(日)は、この上ない秋晴れに恵まれました。
 朝7時にJR四ツ谷駅前へ。ここからマイクロバスで福島・広野町に向かうのです。
 広野町にはJKSK主催「オーガニックコットンプロジェクト・ボラバス」等で何度もお邪魔しているのですが、今回は「社会からの喧騒と離れて 稲刈り&バーベーキュー」という、ちょっとユルいタイトルのイベントです。
 バスの中で、事務局の宮永僚明さん(一般社団法人 国際マンガ協会理事)から説明を頂きました。
 若手漫画家の支援等に取り組む国際マンガ協会と、廃炉と浜通りの復興を目指す(一社)AFW(アプリシエイト・フクシマ・ワーカーズ)が主催する 「どろんこマンガ村プロジェクト」の第2弾とのこと(第1回は5月に田植え体験を実施。私は今回が初参加です)。
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 国際マンガ協会は、マンガをキーワードに子ども達を対象に何かできないかというコンセプトで活動されているとのこと。
 特定非営利活動法人 田園社会プロジェクト(名古屋市)が作成した教材マンガ『おいしい島のウーさま』(鳥山明作)にあるような循環型の村、それを体験できる場が広野町でもできないかと考えておられるそうです。
 『ウーさま』は車内で回覧して下さいました。
 鳥山氏独特の奇想天外なキャラとストーリーで、地域にある自然資源の重要さについて理解を深められる内容です。
 常磐道は渋滞もなく順調。
 途中、休憩した四倉PA(いわき市)には常磐道の放射線量情報のモニターが設置されていました。ほとんどは低い値ですが、福島第一原発に近い常磐富岡~浪江間では4.7マイクロシーベルト/時という値も。
 広野ICを降りたのが10時15分頃。
 いつもとは逆に浅見川沿いの道を山間部に向かいます。道路は細く、バスはカーブの度にクラクションを鳴らしながら登っていきます。浅見川は次第に渓流の趣を呈するようになってきました。
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 ICを降りてから20分ほど、視界が開けたところが箒平(ほうきだいら)地区です。
 かつては27世帯が住み小学校もあったそうですが、現在は4戸に減少。外形的には、いわゆる「限界集落」に当たります(この言葉、好きになれません)。
 建築関係の仕事をされているOさん宅に荷物を置かせて頂きます。AFW代表の吉川彰浩さんが出迎えて下さいました。
 木の橋が架かる渓流沿いの道を歩いて田んぼへ。電気柵をまたいで入ります。
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 ここで、もうお1人のOさん(田んぼを使わせて頂いている農家の方)、Kさん始め、地元の方達が迎えて下さいました。
 何と、広野町の遠藤町長さんも来ておられました。ジャージ姿です。先日、ご自宅に泊めて頂いたことについて改めてお礼申し上げました。
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 東京から自家用車で来られた子ども連れの方も含め、総勢40名ほどで作業に取りかかります。
 東京組には稲刈りは初めてという人も多数。地元の方から鎌の持ち方から教えて頂きます。町長さんも、すごいスピードで刈っていかれます。
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 刈った稲はワラで束ねていくのですが、やはり、これが難しい。
 先日、伺った大賀地区(新潟・上越市)で教わったやり方とも、少し異なります。
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 東ねた稲を、次々と稲架(はさ)に掛けていきます。この地域では「ながばせ」と呼ぶそうです。
 子ども達も大活躍。
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 もう一本、稲架を組み立て、全ての稲架がけが12時半前には終了。もともとそれほど広い面積ではなく、人数も多かったために短時間で作業は終わりました。
 快晴の秋の陽射しの下で、稲穂が輝いています。
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 田んぼの隣で、地元のお母さん達が中心になって昼食の準備をして下さっています。
 汁ものは、豚汁ときのこ汁の2種類。それに炊き込みご飯。デザートのリンゴも。
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 秋刀魚(岩手産)は串に刺して、炭火で焼いています。
 地元・広野で作られた海水塩(吉田鉄工所製)を振ります。ちなみにこの商品名は、経営者のお孫さんの名前から一文字づつとられたのだそうです。
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 田んぼに面した作業所のようなスペースにブルーシートを敷き、地元の方達と話しながら昼食。美味しく頂きました。
 東北大、東北学院大(仙台市)等の学生さん4名参加もされていました。
 学外のゼミで広野町を訪れるうち、広野町のまちづくりに関わるようになったそうです。偶然、隣り合わせた女子学生は、卒論のテーマにもして週の半分くらいは広野に滞在しているそうです。休学して移住を予定している学生さんもいるとのこと。
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 食後は、東京組も一緒に後片付け。
 その後、農家のOさんが「お陰で稲刈りも終わりました」と頭を下げられ、かえって恐縮しました。
 吉川さんは、この日のイベントのために食器一式(自前で揃えられたそうです。)を車に積んで、いわき市の自宅から運んでこられたそうです。その吉川さんによると、地元の方達は田んぼ回りの草刈り等の準備や当日の対応に、さらに手間をおかけしているとのこと。
 吉川さんと地元の方達は協働して、さらに都会の人とも交流しつつ、次の世代に「ふるさと」をバトンタッチしていくために献身的に取り組んでおられる様子を垣間見ることができました。
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 帰り際にはカボチャをお土産に頂きました。
 大きいのは「冬越し」というそうです(冬を越すと甘みが増すそうです)。
 納屋に積まれている米袋には、1袋ずつ「放射性物質検査済」のシールが貼られています。福島産の米は全て放射性物質の検査が義務付けられ、基準値以下であることが確認されたものしか出荷されません。なお、27年産米は基準値を超えたものはありません。
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 最初のOさん宅に戻ります。
 改めてみると立派な木造建築です。少し内部も見せて頂きました。大い梁です。
 数年前までお母様が住んでおられたそうですが、今は普段は空き家にな っており、建築関係の仕事をされているOさんが週末等に戻って来られているとのこと。
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 15時半過ぎ、まだまだ秋の日が降り注いでいる現地を早めに出発。
 改めて田んぼをみると、稲架にかけられた稲穂が秋の日射しを受けて、輝いているようでした。
 ちなみに今日作業した「ながばせ」の隣には、古代米が「ぼうはせ」に架けられていました。
 その風景を見ながら、先日参加した開沼博先生(福島大)の勉強会で、先生が強調されていたことを思い出していました。
 すなわち、人口減や高齢化の進行は福島に固有の問題でなく、原発被災地においてはそれが早く進行しているに過ぎない、とのこと。
 であれば、交流を通じたふるさと再生に取り組んでいるこの箒平地区は、外形的には「限界集落」かも知れませんが、むしろ新しい地域づくりのモデルとなる「フロンティア集落」と呼ぶべきかも知れません。
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  事故渋滞があって少々時間がかかり、それでも19時過ぎには東京・飯田橋に到着。解散。
 ところでこの日の稲刈りの後、気がつくとおびただしい数のトンボが舞っていました。
151004_16_convert_20151010023316.jpg 広野町の内科医・額賀誠志は、戦後間もなく箒平地区に往診に行った際、子ども達がトンボと遊んでいるのをみて童謡を作詞しました。
 後に曲がつけられ、ラジオで全国放送されて有名になったのが「とんぼのめがね」です(右の写真は広野町ホームページより)。
 とんぼのめがねの色は、みず色、ぴかぴか、赤色と変化します。
 私もこの地域の変化(復興と再生)の様子を、しっかりと目に焼き付けていきたいと思います(私のメガネは、すでに遠近両用てすが)。
 【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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