(前回から続く。)
いよいよ福島第一原発の建物群が見えてきました。壁にはゼネコンなど関連事業者の看板がずらり。
バスを降り、5分ほど安全通路を歩いて入退域管理施設に向かいます。
金属探知機など一人ずつセキュリティチェックを受けて、施設の中へ。
(以下、構内の写真は全て吉川彰浩さん(一般社団法人AFW代表)から提供頂いたものです。
また、文章は中田のメモに基づくものであり、文責は全て中田にあります。)
いったん控室のようなところに集められ、注意事項等の説明を受けました。
そして、一人ずつ名前をチェックされながら電子式個人線量計が貸与されました。
累積被ばく量は0.00mSvとの表示。警報レベルは0.1にセットされており、さらに滞在上限の9時間からのカウントダウンが始まっています。
これを、首から下げた一時立入許可証のリングにつなぎ、センサーが表側になるように胸ポケットに入れるよう指示されます。
さらに、ビニールの靴カバーと綿の手袋が渡され、これらを装着して準備は完了。装備はこれだけです。
福島第一原発というと(漫画・竜田一人『いちえふ』等で)全面マスクのイメージがあったのですが、バスの中からの見学は簡単なマスクも不要とのことで、いささか拍子抜けするほどです。
来た時とは別の構内専用のマイクロバスに乗車し、いよいよ構内の見学へ。東京電力の方も、説明等のために数名、同乗されます。
見学ルートは、先ほどのJヴィレッジでの説明の際に資料を頂いています。
入退域管理施設周辺では、作業員の方もマスクを着けていません。線量はかなり低いようです。
構内には以前は1000本ほどの桜並木があったそうですが、タンク増設等のために伐採して300本ほどに減ったとのこと。
汚染水の貯蔵タンクが林立しているのが見えます。
多核種除去設備(ALPS)は、外見はのっぺりとした建屋。ここで汚染水の浄化が行われています。現在は3基が設置されているとのこと。
旧型のフランジ型タンクもありますが、これらは順次、溶接型に切り替えられており、解体されているそうです。
各所に線量計モニタが設置されています。
作業員の方が作業環境を自ら確認できるだけではなく、免震重要棟等の大型モニタにもリアルタイムで表示されるようになっているとのこと。
道路を海側に下っていきます。敷地内でも山側と海側とでは30mほどの標高差があるとのこと。
敷地内は、道路の法面を含めてコンクリートやモルタルで舗装(フェーシング)されています。地下水の浸透を抑えるためですが、人工的でちょっとSFの別世界のような光景です。
やがて、4機の原子炉建屋が遠望できる場所に来ました。
ニュース映像等で「馴染み」のはずの光景ですが、実際に見ると少々印象が異なります。
1号機(写真左の左)は建屋カバーの撤去作業中。
2号機(写真左の右)は、水素爆発を起こしていないため外観は塗装も含めて以前のままです。
3号機(写真右)は建屋上部のガレキ撤去が完了しているため、他に比べて低くなっています。
バスは4号機に向けて下っていきます。
事故時は定期点検中だった4号機ですが、ここも水素爆発を起こしました。使用済燃料プールからの1553体の核燃料の取り出しは、2014年12月に完了しています。事故で壊れた原発からの核燃料の取出しは、世界にも前例のない作業だったとのこと。
燃料取り出しのために建屋横に設置された構造物には、東京タワーと同程度の量の鋼材が用いられたそうです。また、大型クレーンは遠隔操作のため、運転席がありません。
それにしても、仰ぎ見るような原子炉建屋、排気筒、クレーンなど、その巨大さに感覚が麻痺するようです。
汚染水対策のための設備も各所にあります。
カバーで覆われた塔のような構築物は地下水バイパス。山側で地下水を汲み上げて水位を下げるための設備だそうです。
4号機建屋近くにはサブドレンも。建屋へ流れ込む地下水を汲み上げる井戸です。
陸側遮水壁のための凍結管も間近に見ることができました。本年3月からマイナス30℃の塩化カルシウム水溶液を注入し、凍結が開始されているとのこと。
港湾エリアへ。
地震、津波によって破壊されたタンクが残されています。
溶接型タンクは、現場で作られるもののほか海から移送されてくるものもあるそうです。容量1000トンのタンクの自重は85トン程度。トレーラーに載せてゆっくりと夜間に移動させるとのこと。
撤去された1号機の建屋カバーが置かれている場所は高線量の区域らしく、作業員の方は全面マスクを装着しています。
5、6号機へ。これらは非常用ディーゼル発電機が生き残ったため、冷却することができました。
少し離れたところの草の中には鉄塔の残骸が見えます。地震の時の土砂崩れで倒壊し、外部電源が遮断されてしまったのです。
放射性物質に汚染された大量の廃棄物が保管されている様子もみることができました。
多くの並べられたコンテナは、使用済みの防護服等が入れられたものだそうです。
多核種除去設備で使用されたセシウム吸着塔は、コンクリートで遮蔽されて保管されています。
免震重要棟は、震災のわずか半年前に運用が開始されたばかりだったそうで、これがあって助かったとのこと。
2015年5月には大型休憩棟も運用開始。WBC(ホールボディーカウンター)、シャワー室、食堂、コンビニ、休憩スペース等が完備されているそうです。
新事務棟も建設されています。
1時間ほどのツアーが終了。
バスを降りてもとの控え室に戻ってきました。
ここで線量計を確認すると数値は0.00のまま。つまり被ばく量は0.004mSv(40μSv)以下とのこと。
セキュリティゲートを逆に通って、元の大型バスに乗り込んでJヴィレッジに戻ります。
短い時間でしたが、緊張したせいか疲労感が残っています。
16時過ぎにJヴィレッジに戻ってきました。心なしかほっとします。最初の会議室に入り、簡単な質疑応答。
最後に東電の方から「廃炉作業はまだまだ続く。迷惑をおかけするが、皆さまの協力を頂きたい」との挨拶。
吉川さんからは、ぜひ感想を寄せて頂きたい、SNS等での情報発信もお願いしたいとの話があり、この日のツアーは終了。
Jヴィレッジの敷地内では、シャクナゲが燃えるような花を咲かせていました。
吉川さんへのお礼の挨拶もそこそこに、一路木戸駅へ、今度は坂道を降りて行きました。風が肌寒く感じられます。
吉川さんは、今回のようなスタディツアー(注:吉川さんは、見学ではなく「視察」として伺う気構えを持って頂きたい、と「視察」と称されています。)を企画・運営されている思いについて、ご自身のブログに以下のように書かれています。
「原発事故の影響は県内で収まらず、将来へと続く問題です。私達は将来に渡り『事故が起きた原子力発電所』と共存していかなくてはなりません。
原発事故からの本当の復興を目指していくためには、民間に福島第一原発を知り共存していく場を作っていく必要性があると言えます。」
原発については、再稼働の是非を含め様々な議論があります。結果として過酷事故が起こってしまった要因や事業者等の責任は、強 く追求され続ける必要があります。
しかし、いずれにしても福島第一原発の廃炉作業は避けることのできない目の前の現実です。世界にも前例のない困難な取組であり、しかも、今後30~40年かかるとされる長丁場です。
そして、東京からわずか200kmの距離にあるその「現場」では、今日も、関連会社や作業員を含めとする多くの方々が、廃炉に向けた地道な、かつリスクのある作業に取り組んでおられるのです。
今回のスタディツアーは、様々な困難があるなか、吉川さんの熱意と東京電カの協力の下で実現したものと思われます。貴重な経験をさせて頂いたことに、心から感謝申し上げます。
AFWによる「視察」の取組は、今後も継続される予定と聞いています。
マスコミやネットの情報だけに頼らず、また、いたずらに恐れたり、過度に楽観したりすることのないように、ぜひ多くの方々に自分の目で廃炉の現場を見て頂きたいと思います。
【ご参考】
◆ ウェブサイト:フード・マイレージ資料室
(プロバイダ側の都合で1月12日以降更新できなくなったことから、現在、移行作業中です。)
◆ メルマガ :【F. M. Letter】フード・マイレージ資料室 通信
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