福島県沿岸の有機農業生産者を訪ねる旅(前編)

2016年11月5日(土)から6日(日)にかけ、NPO法人コミュニティスクール(CS) まちデザイン主催「福島県沿岸の有機農業生産者を訪ねる旅~原発事故を乗り越えて農の復興へ」が開催されました。

私は昨年7月の喜多方市山都、本年1月の仁井田本家(郡山市)に続いての参加です。
今回は、日本における農業体験農園の嚆矢である「大泉風のがっこう」(東京・練馬、白石農園)と共催とのこと。

バスは朝7時に西武池袋線・練馬駅前を出発。
白石農園と東武東上線・和光市駅前で順次、参加者を拾い、総勢30名ほどで外環、常磐道経由で福島・浜通りに向かいます。
バスの中で、CSまちデザインの近藤理事長、大泉風のがっこうの農園主・白石好孝さんからの挨拶。
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続いて大江正章さんコモンズ代表、CSまちデザイン理事)から、福島の現状等についての説明がありました(睡眠や風呂の時間を 削っても学習に当てるという、毎回のことながら真面目なCSツアーなのです)。

161105_2_convert_20161113100743.jpgもともと有機農業が盛んな地だった福島ですが、原発事故が起こると、年配者を含めて消費者は「さっさと足早く離れた」とのこと。

「本来は生産者が苦しい時こそ生産者を支えるはずの消費者は、実は自分と家族の安全しか考えていなかった。ここに農業生産現場との断絶、想像力の欠如がある」

また、福島の有機農家の販売状況は事故前の水準には戻っていないなかでも、 多くの新規就農者を受け入れているゆうきの里東和ふるさとづくり協議会いわきおてんとSUNプロジェクト福島県有機農業ネットワーク等の注目される取組みを紹介されました。
やがてバスは福島県内へ。

広野ICから先の常磐道は昨年7月以来です。車窓からの光景は大きく変わっていま した。
随所にメガソーラー施設が建設され、農地は除染・客土されて白っぽくみえます。 被災地の状況は常に変化しているのです。
この日、常磐道の各所に設置されている線量計は、最大3.8μSVを示していました。依然として汚染度の高い地域は残っています。
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12時過ぎに南相馬ICで降り、南相馬市中心部にある銘醸館へ。酒蔵だった日本家屋を改装した建物とのこと。

昼食の後は、参加者一人ひとりから自己紹介。CSと大泉の関係者が半々位。CS関係は顔見知りの方も多いのですが、大泉関係の方(農業体験農園の参加者等)は、若い女性からシニアの男性まで多彩です。
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食事を終え、蔵など見学(野馬追いの甲胃等が展示されていました。)した後は、最初の見学先である市民放射能測定センタ ー・南相馬 「とどけ鳥」へ。

震災前は南相馬市小高区で旅館業を営んでおられたという小林岳紀さんが説明して下さ いました(小高区は今年7月に避難指示が解除され、旅館も再開されているとのこと)。
このセンターは2011年10月、「自分たちでできることから始めよう」との思いでスタートした市民団体による測定所で、住民が持参した食品や水の測定、南相馬市及び浪江町のほぼ全域を対象に線量マップの作成等を行っているそうです。壁には2011年6月以降のマップが貼られており、原発事故から5年を過ぎて全体に線量は大きく低下していることが分かります。

一方、自生している山菜やキノコの汚染はまだ高いとのことです。
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ここに、杉内清繁さん(一社・南相馬農地再生協議会代表、福島県有機農業ネットワーク理事)も見えられていました。

米や野菜を有機栽培されていた杉内さんは、原発事故により一時栃木県に避難。チェルノブイリ救援・中部の河田昌東先生の取組み等を参考に、油にはセシウムが移行しない菜種の栽培による農地再生に取り組まれています。

最初に油ができた時は、その締麗な色をみて「天からの贈り物」だと感懐深かったとのこと。
商品化された「油菜(ゆな)ちゃん」のラベルは地元高校生がデザインしたそうです。また、英国に本社がある化粧品会社から依頼があって原料を提供し限定販売された石けんは、すぐに売り切れたとのこと。
震災から5年が過ぎ、菜種の栽培と商品化はようやく軌道に乗ってきたそうです。
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ほ場も見学させて頂きました。
高齢化と農業離れが加速するなか、受け手となる法人を仲間とともに設立されたそうです。今年は秋の台風と長雨で播種作業は遅れているとのこと。畑のすぐ近くには除染廃棄物の広大な仮置き場があり、ここが原発事故の被災地であるという現実を思い起こされます。
杉内さんは「長い時間がかかることは覚悟しているが、若い人も戻ってこられるような新しい社会環境をつくるため、負けないよう、折れないよう進んでいきたい。南相馬で農業をやりた いという人がいたら双手を上げて受け入れたい」等と語っておられました。
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国道6号線を北上。道の駅南相馬に立ち寄り土産等を調達。すぐ向かい似は仮設住宅の姿。
松川浦に着く頃には、入江の向こうに日が沈んでいきました。17時頃に宿泊するなぎさの奏・タ鶴に到着。CSには似合わないような(失礼)、豪華な観光旅館です。
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風呂とタ食(交流会)に先立ち、石井秀樹先生(福島大うつくしまふくしま未来支援センター特任准助教)をお招きしての学習会(ホント真面目なツアーです)。
放射能対策や農業再生の現状について、非常に分かりやすく解説して下さいました。また、希望を感じさせてもらえる内容でした。
放射能は目に見えず臭いも無いが、幽霊やお化けではなく実体がある。調べれば汚染の実態は客観的に把握できる。セシウムの吸収メカニズムも分かってきた。農業は生産段階からの対策ができ、検査対策と併せて、農作物の放射性物質は低減できる、とのこと。
また、飼料用トウモロコシの栽培や畜産糞尿を用いたバイオガス発電により、南相馬型の資源循環を構築したいと述べられていました。
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漁港の灯りを見下ろしながらの展望風呂に入り、タ食を摂りながらの交流会。
石井先生に加え、明日見学に同う予定の畠利男さん(新地町)、根本洸一さん(南相馬市)も参加して下さいました。
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お開きになってからも、有志(?)数名は白石さんの部屋での2次会を24時近くまで。これで1日目が終了。