2018年9月12日(水)の終業後は、東京・湯島の市民科学研究室(市民研)へ。リビングサイエンス(生活者にとってよりよい科学技術)の研究・提言を行っているNPOです。
昨年11月に移転した新しい事務所に来るのは初めてだったのですが、途中、寄り道して神田明神に参拝などしているうちに道に迷ってしまい、19時を数分回って到着。
市民科学談話会「原発事故が飯舘村にもたらしたもの-事故から7年の記録」が既にに始まっていました。
講師の伊藤延由さんは1943年新潟県の生まれ(75歳)。
配布頂いたレジュメに沿って説明して下さっています(文責・中田)。
「鉄工会社に勤務されていた時は福島原発の非常発電用デーゼルエンジンの製造等に携わり、2010年に縁あって福島・飯館村(いいたてむら)の研修施設の管理人となる傍ら『百姓見習い』に。
その翌年に東日本大震災。飯舘村で倒壊した家は一軒もなかったにもかかわらず、全くの偶然(風向き、雨)が全村避難という災難をもたらした。私も原発事故の当事者に。その後の国・東電の対応は理不尽・不条理の連続」
「飯舘村では3100億円をかけて除染を行い、昨年3月には一部地域を除いて避難指示も解除されたが、すでに放射性物質は自然循環のサイクルに取り込まれてしまっている。自然減衰を待つしかなく、事故前の水準に戻るまでには330年かかる」
「事故前は6500人いた人口は、今(9/1現在)は893人。福島県全体では今も3万人以上が県外避難しているなか、『原発事故は終わった、さあ、五輪へまっしぐら』という国の態度は、到底看過できない」
「村は今年4月に認定子ども園と小中一貫校の開設を強行。教育費は(制服代も給食費も)完全無償。しかし、放射線リスクについての村からの説明は一切ない」
引き続き、スライドを映写しながら話が続きます。
「飯舘村は緑も多く、豊かなところ。マツタケなどキノコや山菜にも恵まれている。私も事故前はたくさん頂いた。
そのような地が原発事故により全村避難を強いられた。データは開示されず、事故の影響は矮小化され、避難完了の7月まで子ども達も村内に住み続けていた。
2012年4月に地元経済紙と共催で村民アンケートを実施、この時点で7割は戻らないと回答している」
「国や村は、除染して帰村を進めるという方針一本槍。しかし中間貯蔵施設の建設は進まず、仮置き場の除染廃棄物の多くもそのまま」
「そのようななか、個人で放射能を測定する活動を続けている。
杉は芯部まで汚染されていることが明らかになった。山菜やキノコは1本ごとに全く違う数値が出る。基準値を超過していても平気で食べている人も」
「自分も常に線量計を身に付けているが、ホールボティカウカンター(WBC)で検査すると、確かにニューヨークに飛行機で行くのと比べてもそれほど高い数値ではない。しかし、飛行機に乗ることには大きなメリットはあるが、飯舘村ではリスクしかない」
「原発は再稼働すべきではない。原発を制御可能と思うのは人間の驕り。避難計画は、今回の北海道地震の被害(液状化で道路が寸断)を見ても机上の空論でしかないことは明らか。
原発や被ばくは福島だけの問題ではない。ぜひ、自分自身の問題と捉えて考えて欲しい」
引き続き、質疑応答と意見交換。
「今日は冷静なお話だったですね」という感想には「事実関係を中心に伝えたが、気持ちは煮えくりかえっている。怒り心頭」との回答。
基準値を超えているキノコを食べている人がいるという話については、
「80歳代の方。WBCで計測すると確かに高い値だが、直ちに健康に影響が出ているわけではなく、そのために村は被ばくのリスクを語ろうとしない」
「私も一度WBCで高い値が出たことがあった。原因は、県内の別の地域で食べた山菜ご飯しか思い当たらなかった。直売所では山形県産と表示されていたが、県でも調査を行い、やはり基準値を超えていたことが判明してプレスリリースまでした。ところが地元マスコミ紙は全く取り上げなかった」
補償については、
「補償の基準は加害者である東電が一方的に決めたもので、承服できない。現在、裁判で争っている」とのこと。
飯舘村を訪ねた時、新設された学校の校長先生から「村の将来のためにも学校が必要」との説明を受けたとの質問には、
「過疎地には学校が必要で、運動会は地区の行事にもなる。しかし飯舘村は人が住むべき場所ではないというのが私の大前提。校舎や敷地は除染されていても周辺の山林の線量は高い。子ども達に山には行くなと言えますか。
「放射線のリスクについての教育が全くなされないまま、帰還を急ぐ村の方針は承服できない。村の予算は震災前より大幅に増加しているのは、村長の作戦勝ちとも言えるが」
市民研の上田代表からは、
「福島県内で放射線リスクに関する授業を行っているが、子ども達に大人から正確な情報が伝えられていない。一方、福島市県以外の中学校では、原発事故があったことさえ知らない生徒もいる。
一方、避難しているお年寄り達を訪ねて聞き書きをするなどの取組みもみられる」等のコメント。
子ども達、若い人たちに正確な情報を伝えていくことの重要性については、参加者全員の意見が一致したようです。
最後に伊藤さんは、
「数名でもいいので、私の話を聴きたいという話があればいつでも出かけて行く。2ヶ月に1回は裁判で上京するので、その際にでも」等と話されました。
日々、肌で感じておられる飯舘村の現状を1人でも多くの人に伝えていきたいという強い熱意が感じられました。