太郎さん、ご結婚おめでとうございます。
これからパンちゃんと2人で歩んで行かれる未来が、幸多いものになることをお祈りしています。
実は、太郎さんに謝らなければならないことがあります。
確か7年ほど前、今は無き三田の家(東京・港区)での共奏キッチン♪の場だったかと思います。
当時、まだ20代だった目の前の貴方は、仕事を辞めて、山梨・上野原市西原(さいはら)に移住することにしたと、熱く語っておられました。
しごと塾さいはらのメンバーとして、何度か一緒に訪ねていた西原。
たまに訪れるには素晴らしい場所ですが、当然ながら移住するとなると話は別です。
実はこの時、私の頭に浮かんでいたのは「若気の至り」という言葉でした。安定した生活を捨てて、条件不利な山間部で農業をするとは、何と無謀で非現実的なことかと。
しかし第三者の勝手な不安はよそに、2013年、貴方は本当に西原への移住を実現されたのでしたね。
それから6年が過ぎた2019年6月9日(日)、新しい門出の日は、生憎の雨模様でした。
上野原駅はJR中央線で高尾駅から3駅、20分ほどと東京から至近ながら、ここから西原方面に向かうバスは平日は1日2本、ハイキング客が見込まれる休日でも1日5本しかありません。
13時29 分発のバスは、市街地を抜ける頃にはガラガラに。山は雨で煙り、道路は次第に狭くなってきます。
1時間ほど山道を揺られて、ようやく「学校前」バス停に到着。もっとも、ここの中学校は10年以上前に廃校になっています。
小雨が落ちる中、びりゅう館へ。水車が水しぶきを立てて盛大に回っていました。
ふだんは直売所や食堂、蕎麦打ち教室など観光客で賑わう施設が、この日はお2人の「人前」結婚式と披露パーティーの会場に、見事に変身していました。
企画や運営も、看板やパンフレットも、すべて地元の方達の手作り。しごと塾のメンバーも飾り付けなどを手伝ったそうですね。
15 時前に開場、着席。
100名以上もの方が、お2人の門出を祝うために集まりました。私もこれまでお世話になってきた多くの方々にお目に掛かることができました。
やがて司会の方から「新郎新婦の登場です。窓の外に注目して下さい」との言葉。
待っていると、雨の落ちる中、軽トラに乗って現れるという演出にびっくり。
タキシードの貴方は、ウェディングドレスで盛装した新婦に傘を差し掛けていましたね。
そして、赤絨毯の上を拍手に包まれて入場。
2人の前後を歩くのは「天使」と真っ赤な ボディコンドレスの「女性」。どちらもリタイアされた位の年齢の男性で、西原の多様性を象徴する演出だったのでしょうか(?).
天使様の進行により、参列者の前で誓いの言葉を述べ、竹細工の指輪を交換。
厳粛な中にも、新郎新婦も会場も、笑いが絶えませんでしたね。
そして、西原におけるお2人の親代わりでもあるNさんからの祝辞。
太郎さんは、この方に雑穀栽培や炭焼きの技を教えてもらい、次代に繋げていきたいと思って移住されたのでしたね。時には厳しく指導されることもあるそうですが、声を詰まらせながらのNさんの言葉に、胸が熱くなりました。
ケーキと、たまじ(小ぶりのジャガイモを甘辛く煮付けた郷土料理)タワーに入刀。
テーブルに並べられた料理は、いずれも地元の方の手作りのもの。
無添加ソーセージなどオードブル、手作りピザ、菜の花のサラダ、高キビおこわ、手打ち蕎麦など。どれも美味しかったです。
地元で作った焼酎も。
宴半ばに披露されたOさんご夫妻による「麦畑」の歌には、会場は大爆笑でしたね。
Oさんの奥様は12 年ほど前に西原に移住し、地元の大工さんと結婚された方。移住者の先駆者のお1人として色々とご苦労もあったと伺っています。
その方からの最高のエールでしたね。
お2人も一緒に機を握られた三頭太鼓の演奏は、素晴らしい迫力でした。
研修生受け入れの窓口であるJICA の担当者の方からの挨拶もありました。
自分たちの農業等だけではなく、森林組合、消防団、神楽舞保存会など、地域の様々な活動に積極的に関わっておられるお2人の様子を窺うことができました。
太郎さんのお父様からの、心配だったとの率直な挨拶も印象的でした。
そして最後のお2人からの挨拶。
太郎さん
「愛する西原において、ともに時間を過ごし、自分たちの手で作ったまっとう なものを食べるなど、しっかりと大地に根を下ろしていきたい」
パンちゃん
「太郎さんだけではなく、西原の一人ひとりに恋をしているような気持ち。 お世話になっている方々に恩返しをしていきたい」
率直で真摯な言葉に、心打たれました。
笑いあり涙ありの手作りパーティーは、17 時頃にお開きになりました。
もっとも、記念写真の撮影等からなかなか解放されませんでしたね。お疲れさまでした。
しごと塾メンバーも後片付けを手伝い、それぞれ東京への帰途につきました。
東京も冷たい雨が落ちていましたが、心はぽかぽかでした。
日本の一次産業や農山村地域の将来は、残念ながら明るいとは言えません。
自給率・ 自給力は低迷し、膨大な食品ロスに象徴されるように一般市民の食べ物を大切にする意識も十分ではありません。東京圏への一極集中もとどまりません。
お2人のご苦労は、小さくはないと拝察します。
しかし一次産業も農山村地域も、GDPなどという欠陥だらけの指標では捉えきれない大きな価値を有しています。
それを守り、育て、次代に繋げていくことの大切さを思うと、 西原という大地に根を下ろされたお2人のこれからの活躍に、大いに期待したい思いを禁じることができません。
びりゅう館に飾られていた様々な雑穀や、テーブルに飾られていた花束(太郎さんの麦穂も入っていましたね)を思い出しながら、最後は一方的な思いを押しつけてしまったようです。
迷惑に感じられたらお詫び申し上げます。
末筆ながら、改めてお2人のご多幸と、西原の皆様のご健勝をお祈り申し上げて筆をおかせて頂きます。
令和元年6月13日(和暦 皐月十一日)
中田哲也