【ブログ】Re:来人 岩手・陸前高田ツアー(2日目)

前回から続く)
 2020年1月12日(日)は、Re:来人 陸前高田市ツアーの2日目。
 7時近くになって、ようやく空が明るくなってきました。

箱根山テラスは、朝食も楽しませてくれます。
 焼きナスのトマト味噌かけ、ヤーコンと人参のきんぴら、煮卵の山椒味噌のせ、鯵の塩焼きなど。
 ご飯は岩手・江刺産ひとめぼれ、ナメコたっぷりの味噌汁は地元・八木澤商店の赤味噌仕立てです。

 明けゆく景観を望める窓際は、一等席です。

9時前にバスは出発。20分ほどで到着したのは、陸前高田グローバルキャンパス

 旧高田中学校の校舎を活用して、2017年4月、地元・岩手大学と東京の立教大学により開設された交流活動拠点とのことです。

展示室には、大きな被災前の市の大きな復元模型も常設されています。

 3階の窓から外を見ると、仮設住宅が並んでいました。今も居住されている方がおられるそうですとのこと。

9時30分から開催されたのは、「関係人口ダイアログin 陸前高田」と題するワークショップ。陸前高田との新しい関わりを見つけるのが目的です。

 まずは2日間の体験から感じたことを隣の人と共有したのち、各自、「陸前高田で出会ったあった人たちと一緒に挑戦したい夢」を書き出し、3~6名位ずつのチームに。

 チームで高田の未来像についてアイディアを出し合い、1つのテーマを決めます。そして、話し合いながら、その実現した未来を報道する2030年の新聞記事を作っていきます。
 記事には、実現に至った経緯についても記します(つまり未来からバックキャストすることで、実現への具体的なして、道のりをイメージしようというもの)。

11時30分過ぎからテーブル毎に成果発表。
 「ピタゴラ公園の完成」「陸前高田消滅宣言(価値観でつながるオープンな町の完成)」「スイーツとフルーツのテーマパークの入場者が100万人達成」「大規模な複合フェス開催」「古民家ゲストハウスの完成」等の見出しが並びました。

 高田暮舎の岡本翔馬理事長も同じチームとなった私たちの未来新聞の見出しは、「移住サブスクが2万人突破」。
 宿泊、食事など定額サービスを利用して定期的に高田を訪れる人数が、居住人口を上回ったという内容です。

最後に、参加者それぞれから、具体的に自分ができそうなことについて発表。

 一緒にワークショップに参加された地元の方からは、
 「本気の人を受け入れて、一緒に事業に取り組みたい」「価値観の交流ができた。自分の思いを話せて良かった」「改めて地元の良さを気付かされてくれた」「被災地であることを強調するのではなく、美味しい食事など楽しいことを発信していきたい」等の感想が出されました。

 最後に岡本理事長代表から、
 「関係人口とは、ある意味、都合のいい言葉。自分がそう思ったら関係人口。8/7には動く七夕もある。高田は多くの地域芸能が残っている町。8月には大規模な七夕祭りもある。ぜひ次は夏に来てもらいたい」との言葉で、ワークショップは終了です。 

13時過ぎ、2017年4月にオープンした複合商業施設・アバッセたかたへ。「あばっせ」とは、「一緒に行きましょう」という意味の方言だそうです。

ここで各自、14時25分まで昼食休憩というので、奇跡の一本松まで歩いてみました。
 昨日の伝承館を経由して片道20分ほど。
 すぐ近くには、震災遺構に指定されているユースホステルの無残な姿も。津波の威力に背筋が寒くなります。

 津波に1本だけ残った「奇跡の一本松」でしたが、2012年5月に枯死が確認され、現在は保存処理されたモニュメントとして保存されています。枝葉はレプリカとのこと。

定刻にバスに戻り、車中でおむすびの昼食。
 予定より早く16時前に一ノ関駅に到着、解散。スタッフ、参加者の皆様、お世話になりました。

 予定が遅れることを想定して遅めの新幹線を予約していて、割引切符なので変更もできず、2時間近くあります。
 暮れなずむ市内を散策(やはり沿岸部より寒いようです)。

 一ノ関八幡神社に参拝。
 旧藩主・田村氏の居館や城があった釣山公園に向かう途中、けたたましい鳥の声に空を見上げると、多くのマガンの群れ。次々と編隊が過ぎていきます。飛行。

駅前に戻り、「一ノ関ホルモン」の看板に惹かれての1人焼肉で、今回のツアーは終了。17時48分発のはやぶさで、帰途につきました。

 東日本大震災の被災地については、福島県以外はほとん行ったことがありませんでしたが、改めて津波被災地の被害の甚大さに驚きました。
 復興事業は進み、道路や大規模商業施設は整備されているものの、かつての中心市街地には更地も多く、とても震災前の賑わいは取り戻せていないようです。

 一方、そのような街で、ユニークで先進的な活動・実践をされている多くの方々から直接伺った話には、大きな感銘を受けました。

 「関係人口」の1人として、これからも陸前高田に注目し続けていきたいと思います。