世界中がコロナに目を奪われていますが、紛争や暴力が続いている地域があることを忘れてはなりません。
フォト・ジャーナリストの高橋美香さんは、何度もパレスチナを訪ね、現地の方のお宅に長期滞在するなどして、紛争地に暮らす人々の様子を写真と文章で紹介してこられました。
知人、友人の中には、理不尽に命を奪われた方もおられるそうです。
4月15日付けのハアレツ紙には、イスラエル軍に銃撃され、36歳の誕生日を前に死亡したパレスチナ人男性の記事が掲載されていました。
残された妻と5人の幼い子ども達の写真に、胸が詰まります。

4月30日(金)の夕刻は、その高橋さんを含め、少人数で東京・十条にあるパレスチナ料理店・ビサン(Bisan)を訪ねました。
ちょうど3年前、ここで開催された高橋さんのトークショーに参加して以来です。
ホンムス(ひよこ豆のペースト)、キッパ(小麦と牛肉の揚げ物)、ケバブ、ムサカ(牛肉のミンチ、ナス、じゃがいも等をトマトソースで煮込んだもの)等を頂きました。
アルコール代わりのザクロジュースも、なかなか美味。
パレスチナ出身のオーナーシェフ・スドゥキさんの明るい様子に、心癒される思いでした。

玄関先のプランターのスダチも、あつという間に満開。
今年は季節の移り変わりのスピードが早いようです。
5月2日(日)は夏野菜の苗を求めに、自転車で隣町にあるいつもの園芸店へ。
ところが途中、にわかにかき曇り、何とばらばらとヒョウが落ちてきました。慌てて近くのチェーンのラーメン屋さんに避難、早めの昼食。家族連れ等で賑わっています。

食事を終えて(すっかり青空が戻っています)斜め向かいのI園芸店に向かおうとしてビックリ。何と工事中。ドラッグストアができるそうです。街の景色もどんどん変わります(後日、廃業する訳ではなく縮小して継続されることを知りました)。
仕方なく近くのホームセンターへ。無事に苗は揃いましたが、ここもレジは大混雑でした。
夕方、自宅近くに借りている市民農園の一画に、買ってきたトマト、キュウリ、ナス、ピーマンなどを植え付け。
毎年、旬の時期には食べ切れないほどできるので、今年は数は控えめです。

5月5日は端午の節句にして、二十四節季の立夏。
夕刻は、本木・早稲谷 堰と里山を守る会主催の「本木上堰オンライン交流会」に参加。
本木上堰(もときうわぜき)とは、福島・喜多方市の山都地区にある農業用用水路で、江戸時代から数百年にわたり、地域の棚田等に水を供給してきました。
例年、この時期に行われている「堰さらい」ボランティア活動が、昨年に続きコロナ禍の影響で中止された代わりに、オンラインでの交流会が開催されたのです。
私は「堰さらい」には参加したことはなく(相当しんどいそうです)、山都にも一度しか伺ったことはないのですが、中心となって活動されている浅見彰宏さんには福島県有機農業ネットワーク主催のスタディツアー等で何度もお世話になっています。
前日にクール便で届いていたグリーンアスパラガス、ニシンの山椒漬け、木綿豆腐(とうふ屋おはら)、それに上堰米のお酒をモニターの前に並べました。

まずは乾杯(スタディツアーの際に求めた相馬焼です)。
浅見さんの進行により、まずは日本農業賞(食の架け橋の部・奨励賞)受賞の様子を伝える地元のニュース番組が放映されました。
美しい景色やボランティア活動の映像が流れます(メンバーのお一人が記録されていたものを活用されたとのこと)。
引き続き、美味しい食事とお酒を頂きながらの歓談。
何度も堰さらいに参加された方たちがオンラインで再会を果たされるなど、近況報告等で盛り上がりました。
今年の堰さらいは、地元の方たちにより何とか終了されたそうですが、高齢化と過疎化はさらに進んでいる様子です。

楽しい話題ばかりではありませんでした。
東電・福島第一原発の処理水の海洋放出の方針が決定されるなど、まだまだ福島の復興は途上、新しい問題も出てきています。
福島にお住まいの方、食の安心に取り組んで来られた参加者の方の意見も伺うことができ、有意義な会となりました。
早く世の中が落ち着き、現地を訪れたいという気持ちが、いっそう募る会でもありました。
翌6日は久々の出勤。
帰途、東京・神田の47都道府県レストラン・箕と環(MINO TO WA)に立ち寄り。
地域を応援しようというコンセプトのこのお店も、緊急事態宣言下という厳しい状況の中、ランチとテイクアウト中心の営業を続けておられます。

この日は自宅用のオードブル・セットを準備して頂きました。お得な食事券もゲット!
あか牛と里芋のコロッケ(熊本市)、竹崎のかにしゅうまい(佐賀・鹿島市)、タコの唐揚げ(岡山・瀬戸内)、びわサーモンの刺身(滋賀)、寒天寄せ(長野・諏訪市)など。
生産者と、川野元基店長さんの思いがこもった料理ばかり。
ご馳走様でした。
遠出できなった2021年のGWでしたが、メディアやネット、食材などを通して多くの方とつながることができました。
とはいえ、直接顔を合わせてのコミュニケ―ションや、身体的な体験ができないことの物足らなさ、寂しさ、虚しさは、胸の底から消えることはありません。