【ブログ】ベルトコンベアを探して(埼玉・高麗郷)

2021年5月11 日 (月)の午後は、 思い立って埼玉・日高市へ。
 緊急事態宣言下ですが、住んでいる市に隣接する埼玉県への越境は許されるかと(東京都心の方がよほど遠い)。

西武池袋線・高麗(こま)駅に到着したのは14時20分頃。
 地名の通り、ここは約1300年前に旧高句麗から渡来してきた人達が集まって居住した地。疫病や悪霊を追い払うというチャンスン(将軍標)が出迎えてくれました。

少し歩くと、 さらに時代をさかのぼる石器時代の住居跡(国指定史跡)がありました。土器なども出土しているそうです。
 すぐ目の前には、日和田山の優美な姿。

なるべく高麗川に沿うようにして北東の方向に歩きますが、なかなか目当てのものは見つかりません。
 2019年の東日本台風に伴う大雨の影響で橋が流され、工事中の場所も。

立派な鳥居と参道が見えてきました。渡来人である高麗王若光を主祭神とする高麗神社です。
 境内のあちらこちらにはマスク着用等の注意書き。神様も簡単には悪疫退散という訳にはいかないようです。
 高麗神社の神職を努めてきた高麗家の住宅も保存されています(国指定史跡)。

目当てのものは見つけられないまま。断念して太平洋セメント(株)埼玉工場の方向へ。
 晴れ間が出てきました。高麗郷の美しい風景が一望できます。

去る4月26日 (月)の夜、 太平洋セメント埼玉工場の発電用ボイラーが爆発する事故がありました。市内で発生する可燃ごみや木質バイオマスをリサイクル処理していたそうです。

関連記事を見ていて、かつて鉄道輸送されていたセメントの主原料である石灰石は、現在は20km以上離れた武甲山麓から長距離ベルトコンベアで運ばれていることを知りました。
 ほとんどの区間は地下にあるベルトコンベアが、高麗では地上に出て川を渡っているというので、その橋梁を見たいと思ってきたのですが、結局、見つけることができなかったのです。

遠くからも見えるセメント工場が、近づくにつれて次第に巨大になってきます。
 輸送されてきた石灰石が、 大きな山と積まれていました。日本の高度経済成長を支えた現場の一つです。

JR高麗川駅の方向へ。
 かつての石灰石輸送専用線の廃線跡は「ぽっぽ道」と名付けられた歩行者専用道になっ ていました。踏切や一部の線路が残されているのは、鉄道ファンには嬉しいところ。

道沿いには花壇などが整備され、色とりどりの草花が咲き誇っていました。市民農園で作業する人の姿も。
 「この間の爆発事故は大きな音だったね」といった会話も聞こえてきました。

 鉄道は廃止されましたが、その跡は今も地域の方達に愛されているようです。

高麗川駅から一駅で東飯能、接続に30 分以上あるので飯能駅まで10分ほど歩き、17時過ぎの西武池袋線でまっすぐに帰宅。

帰宅してから調べてみると、ベルトコンベアの橋梁は高麗神社からさらに北東にあることが判明。子どもの頃の遠足と同じで、前日の準備と下調べの大切さを痛感した次第。

(以下、追記。)
 ということで、5月18日(火)にはリベンジへ。
 今回はJR八高線の高麗川駅を11時30分頃にスタート。あいにくの雨模様です。
 北に向かって10分ほど歩いたところにあったのは、四本木の板石塔婆(しほんぎのいたいしとうば)。正和三年(1314年)の銘がある市指定文化財です。

さらに10分ほど歩くと、「コンベア道」(仮称)に東端部近くを発見。
 地中に埋められたベルトコンベアの地上部は簡易舗装されています。
 「私有地につき農耕車以外は通行禁止」の標識があり、白い杭も立てられていますが、普通車サイズなら通れる幅です(現に、地元の方でしょうが農耕車には見えないワゴン車がそろそろと通っていきました)。

 振り返ると、雨に煙るセメント工場の威容が望めます。

農地や住宅の間を、コンベア道は真ーっ直ぐに北西に続いています。不思議な景色です。
 奥武蔵の山々も雨に煙っています。

やがて高麗川にぶつかり、コンクリートで覆われているベルトコンベアが地上に姿を現しました。そのまま、橋梁で川を横断しています。
 すぐ下流の普通の(人や車が通る)橋からは、その不思議な形の橋の姿が望めました。

高麗川の対岸では市道(通称「カワセミ街道」)を高架でまたぎ、その先は、山裾に消えていました。
 ここから20km以上先の武甲山麓まで、ベルトコンベアはほとんど地中を通っているのです。

無事にリベンジを果たすことができました。
 高麗川駅への帰途、造り酒屋を見つけました。長澤酒造さんです。高麗神社(ジンジャ)エールの幟も。2016年に高麗郡が建郡1300年を迎えるのを記念に発売されたものだそうです。

 直売店で「高麗王」生元酒ともに求めさせて頂きました。

2時間ほどのウォーキング、細かな雨が止むことはありませんでした。
 コロナ禍を終息させて下さるよう、神様を応援したい(神社エールを送りたい)と思いました。