福島訪問の2日目、10月31日(日)は7時頃までベッドでだらだらしていると、鈴木 亮さん(ふたすけ・ふたば地域サポートセンター)からメッセージが入りました。
施設内のキッチンスペースにいるので一緒にお茶でもどうですかとの、有難いお誘いです。
顔を洗って顔を出すと、奥様と2歳になるお嬢さんの姿も。
結婚前からそれぞれ東京のNGOで被災地支援等に活躍されていたお二人ですが、子どもさんができてすぐの頃の2019年に福島・浜通りの富岡町に移住され、現在は子育てをしながら様々な地域活動に取り組んでおられます。
お元気そうなお姿に、嬉しくなりました。
9時前に宿泊地・ほっと大熊を出発。大熊町内をしばらく車で回ることに。
坂下ダムの湖面は、静かに森の緑と空の青を映していました。湖畔をジョギングする男性も2人ほど。
モニタリングポストの表示は0.087μSV。帰還困難区域に近い山間部にもかかわらず、空間線量の値は東京とも大きくは変わりません。
大規模ソーラー発電施設の展望台、町出資によるイチゴ工場。
先端的な大規模植物工場は、自然循環型のもーもーガーデンとは対極にあります。被災地復興に向けての道行きには、様々なスタイルがあります。
綺麗に整備されたJR大野駅を見てから大熊町を離れ、国道6号線を北上。
車中から双葉駅前のアート作品を観て、3月に訪れた東日本大震災・原子力災害伝承館の脇を通り、浪江に向かいます。
甚大な津波被害を受けたこの辺りは一面の平原。各所で道路付け替えが行われており、ナビも対応できていません。
やがて、平原の向こうに請戸小学校の建物が見えてきました。
10月24日、福島県内初の震災遺構として一般公開されたばかりで、駐車場には関東ナンバーなど多くの車が並んでいます。
入館料を払って校舎のなかへ。
津波が直撃した1階部分の教室や調理室、体育館は、できるだけ当時のままの状態で保存されているそうで、津波の猛烈なパワーが想像され、生々しい被害の痕跡に声を失います。
2階の教室の黒板には、震災後に支援に入られた自衛隊員や土木業者の方たちによる激励の言葉等が残されていました。
被害と避難の状況を説明するパネル展示も。
震災・原発事故前から現在までの、小学校と町の様子を紹介する動画は、小学生用の小さな木の椅子に座って鑑賞しました。入れ替えのたびに椅子を消毒するなど、係の人も大変です。
東電・福島第一原発の事故による避難指示が出されたのは、震災・津波被災の翌日のことだったそうです。
行方不明者の捜索さえできなかった様子は、浪江まち物語つたえ隊による紙芝居『無念 浪江町消防団物語』にも描かれています。
生き残った住民の方々も、県内外で長い避難生活を送ることとなりました。この地を含む浪江町沿岸部の避難指示が解除されたのは、6年後の2017年3月のことです(山間部など浪江町の大部分は現在も帰還困難区域です)。
2階教室の窓からは南方を望むと、5kmほど先にある東電・福島第一原発の排気塔がかすんで見えました。
震災当時、校内にいた児童93人は、教職員の判断により2kmほど離れた高台に避難して全員無事でした。しかし請戸地区では、154人が犠牲となったそうです。
生徒たちが着の身着のままで避難した大平山には、慰霊碑が建立されています。殉職された警察官のお名前も刻まれています。
なお、ここに無事にたどり着いた子ども達も、そのまま原発事故による避難を強いられ、家に帰れたのは(家が残っていたとして)何年も後のこととなったのです。
高台からは、請戸小学校を含め、地区一帯を望むことができました。ここでも復興に向けての道路工事などが盛んに行われていました。
ちょうどお昼近くになったので、道の駅なみえへ。
復興のシンボルとして2020年8月にオープンした施設は、フードコート、直売所、伝統工芸館等も併設されており、日曜日ということもあるのか、幼い子どもを連れた家族など多くの人で賑わっていました。
なみえ焼きそばと、ミニ海鮮丼のセットを頂きました。
2013年にB-1グランプリを受賞したなみえ焼きそばは、もちもちの太麺に、具材は豚肉とモヤシだけというシンプルさです。皿には「馬九行久」(うまくいく)の文字。
2017年に再開通した国道114号線を、二本松市東和に向かいます。
紅葉も美しい請戸川に沿った道路はカーブも多く、しかもあちらこちらが工事中で片側交互通行の信号に引っかかります。それにしても地元の車の早いこと。路側に寄せて何台もやり過ごしました。
浪江町津島地区(現在も避難指示)、川俣町山木屋地区(2016年に避難指示解除)を通過して東和に入り、太田布沢地区に向かいます。
15時過ぎ、脇道に入って少し進んだところの田んぼ脇には車が停められ、多くの人々の姿があります。ここが今年初開催という「布沢・棚田の芸術祭」の会場です。
田んぼの周りには、コンクールに出品されたユニークな案山子たち。時節柄か、大賞のたすきをかけているのはアマビエでした。
テントの内外では、子どもたちが(大人たちも)粘土のワークショップに熱中しています。東京から指導に来られた方、サポートする福島大学の大学生たちの姿も。
田んぼに展示された野良アート「大地の循環」からは、籾殻を燻炭する煙がたなびていていました。
主催者である菅野正寿さん(福島県有機農業ネットワーク 前理事長)のお姿を見つけてご挨拶。かねて東京でのシンポジウムや現地でのスタディツアー等で何度もお世話になっている方で、この日の夜は菅野さんの農家民宿「遊雲(ゆう)の里」に泊めて頂く予定です。
夕方まで少し時間があるので、車で10分ほどの木幡山隠津島(こはたやま・おきつしま)神社へ。12月には有名な旗祭りが開催されます。
手水鉢には美しい菊とマム(洋菊)の花が並べられていました。二本松の菊人形がコロナ禍で中止されるなか「菊手水」という取組みが行われているそうです。
清冽な空気のなかを急な石段と山道を登っていきます。見頃にはやや早いかも知れませんが、紅葉が見事です。
展望台からは、二本松盆地の向こうに安達太良山の雄姿を望むことができました。
本殿の近くに「天明為民の碑」があります。
説明板によると、天明三年(1783)は各地で大飢饉に見舞われこの地方でも800人近い餓死者が出たとのこと。名主の紺野武左衛門という方は、常に非常のときに備えよとの警鐘を石碑に刻んで、民のために遺したのだそうです。
防災や食料供給の面からも、この碑のことはもっと注目されて良いと思うのですが。
道の駅ふくしま東和、小手森城址に立ち寄って、17時前に菅野さんの農家民宿・遊雲(ゆう)の里へ。「おかえりなさい」の看板が出迎えて下さいました。
粘土ワークショップの指導に来られていた方たちは、これから車で東京まで帰られるとのこと。
お風呂を頂いてから、菅野さんご夫妻、おばあちゃんも一緒に晩ご飯。
いずれも美味、特に手作りの青大豆の豆腐は絶品でした。棚田のお米で作られた「布沢純米酒」もご馳走になりました。すっきりとした味わいです。話も弾みます。
イベント当日の夜というお忙しい、お疲れの時ながら、遅くまでお付き合い下さり有難うございました。
21時前に部屋へ。気持ちのいい広い和室です。
衆院選の開票速報のラジオを聴いているうちに、うとうと。2日目が終了です。