【ブログ】福島第一原発の今と福島の人びとの思い

2024年6月8日(土)は、東京・御茶ノ水にある東京YWCA会館カフマンホールへ。
 コロナ禍でイベントの数が減少し、あるいはオンライン中心となっていましたが、この日は久しぶりに対面のみのイベントです(オンライン、録画はなし)。

13時30分から開催されたのは、「福島第一原子力発電所の今と福島の人びとの思い(東日本大震災の風化を防ぐプログラム2024『福島の声を聞く ①』」です。

JR御茶ノ水駅から会場までは10分足らず。梅雨入りが遅れ日差しは強く、日陰を選んで歩きます。
 開会20分ほど前に到着しましたが、多くの参加者が続々と集まっています。福島への移住を考えておられる顔見知りの方も。
 当日のプログラムとともに、原子力市民委員会の分厚い冊子『原発ゼロ社会の道-市民がつくる脱原子力政策大綱』も配って下さいました。会場の参加者は100名強です。

 定刻の13時30分に開会。主催の(公財)東京YWCA 紛争・災害対応委員会の方から、
 「日々新たな紛争・災害のニュースもあり、東日本大震災も福島第一原発事故も記憶が薄れつつある。今日は福島第一原発の現状についての専門家の話と、福島から避難されている方の現在の思いをお聞きし、ともに考えたい」等の挨拶。

 最初は、菅波 完(すげなみたもつ)さん(高木仁三郎市民科学基金 事務局長、原子力市民委員会)による「いま福島第一原子力発電所で何が起きているか」と題する講演です(文責は全て中田にあります)。

「私自身は原子力の専門家ではなく、銀行勤務を経て高木基金の事務局へ。
 2000年に亡くなった高木仁三郎は、核・原子力は民主主義と相容れないと主張し続けてきた在野の市民科学者。その遺志を継いで設立した基金は、市民による調査研究活動に助成を行っている。
 2011年3月の事故により原発の安全神話が崩壊し、政府は事故の責任を認めないなか、高木基金は放射線測定等の活動にも積極的に助成を行ってきた。2013年4月には、政策提案を行うために原子力市民委員会(CCNE)を立ち上げた。
 現在、福島第一原発は視察を受け入れているが、私自身は行く気にはならない。」

中央はCCNEのHPから

「ALPS処理汚染水の海洋放出は30年以上継続するという計画。国際社会からの批判も大きい。トリチウムは25年保管すれば1/4に減衰するのだから、海洋放出は直ちに中止し、陸上で管理・減衰させるのが責任ある対処」

 「東京電力・政府の『中長期ロードマップ』は、30~40年でデブリを取り出し更地にすることとなっているが、これは見直すべき。技術的にデブリをすべて取り出すことができるのか。膨大な放射性廃棄物をどこでどのように処分するのか等、難しい問題は先送りしたまま」

 「原子力市民委員会は、デブリを含めて原発敷地内で100年以上隔離保管すること、処理汚染水は大型タンクに保管又はモルタル固化して陸上保管すること等を提言している」

 膨大な資料を準備して下さっていたのですが(参加者にはQRコードで共有して下さいました)、説明の時間が十分ではなく、残念でした。

続いて登壇されたのは、TCF共同代表・市村高志さんです。
 TCF(Tomioka. Connection. Fellowship)とは、東日本大震災と原発事故で避難を余儀なくされた富岡町の繋がりのために「NPOとみおか子ども未来ネットワーク」のメンバーで結成された任意団体だそうです。
 震災直後の写真等を映写しながら語って下さいました。

左はTCFのFBページより

「私は横浜出身で、1993年に母の故郷の隣で、比較的、都市機能がある富岡町へ移住(私的にはIターン)した。そして2011年の震災と原発事故で避難してきてから13年になる。3月11日、地域の幹線道路である国道6号線は地震と津波で大きく破損した。雨が降ってきてやがて雪に変わった。その夜の星空の美しさを憶えている。
 翌日になって初めて、防災無線で原発が危険な状況にあることを知らされ、避難を指示された。隣の川内村に向かう県道は避難者の車で大渋滞で、ふだんは1時間ほどで行けるのが4時間もかかった」

 「現在の富岡町の居住者は2300人ほど。多くは元の住民ではなく、作業員など原発関連の人たち。いったい、今の状態を誰が求めたというのか」
 言葉の端々から無念さが伝わってきます。ご新著(共著)『被災者発の復興論』も紹介して下さいました。

後半は、会場からの質問も受けてのパネルディスカッションです。
 原子力市民委員会の提言は、福島・浜通りの人たちに負担を押し付け続けることになるのではとの質問には、菅波さんは
 「少なくとも100年間は原発の敷地内で隔離管理する必要がある。労働者の被ばくリスクの低減にもつながる。処理汚染水を保管できる仕組みのタンクもある。保管場所がないから海に棄てるというのは、理屈になっていない」等の回答。
 
市村さんからは
 「浜通りの住民としては、とっとと片づけてもらいたいというのが率直な気持ち。東電・国の間との信頼関係は完全に失われている。怒りは収まらない」

 「放射性廃棄物は移動させない方がいいというのは、理屈としては分かる。しかし、30年後に県外に持ち出して最終処分するという約束も、私たちが求めたものではない。最終処分場の選定もいつの間にか『手上げ方式』になった。東電・国は、言ったことはきちんと責任をもってやり遂げてほしい。このようなことを言うと、逆に『風評加害』と非難されるのもやるせない」

 最後に、主催者の方によるまとめ。このイベントは秋に第2回目を開催する予定とのことです。

私は「連続オンライントーク『原発ゼロ社会への道』2024」を何度も視聴するなど、原子力市民委員会には色々と勉強させて頂いています(HPには資料や動画も掲載されています)。
 一方で、現地での長期保管という提言にはかねて違和感を覚えていたところ、この日は実際の避難者の方の切実な声をお聞きして、ますますモヤモヤが大きくなりました。
 さらに、菅波さんの指摘通り中長期ロードマップが現実的に破綻する中、この国はGX(グリーントランスフォーメーション)の旗印の下で原発の活用・再稼働に前のめりになっています。
 311から13年が経過しましたが、福島第一原発の事故は現在進行中です。

(ご参考)
 ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
  https://food-mileage.jp/
 メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、登録無料)
  https://www.mag2.com/m/0001579997