2024年7月27日(土)。東京地方も猛暑が続きます。
お隣の小平市での「青木美希さんを囲むつどい」の会場に向かうと、何と連日の猛暑と落雷のせいでエアコンがダウンしたとのことで、急きょ変更されたとの張り紙。近くにある団地の集会施設に移動しました。
会場に入るとエアコンが効いていて、ほっとひと息。電気の有難みが身に染みます。70名以上の方で満席、ぎりぎりに来られた方は床に直接坐られていました。
主催は「さよなら原発オール小平をめざす会」。
地元の市民団体の方たちが、月1回、地道に活動を続けておられることを初めて知りました。進行役の方によると、この会のビラを街頭で配っていると、原発がなくなると経済がもたなくなると食って掛かかってきた人もいたそうです。
青木美希さんがマイクを取られました(文責は中田にあります)。
自己紹介によると、北海道新聞記者として道警の裏金疑惑を追及した後、全国紙に移って長期連載企画「プロメテウスの罠」を担当、「手抜き除染」もスクープされました。2023年から(一社)日本ペンクラブ言論表現副委員長も務められているとのこと。
ご新著『なぜ日本は原発を止められないのか?』は版を重ねているそうです。
「原発事故は終わっていない。福島第一原発から300km以上離れた青森県や山梨県では、現在も野生きのこの出荷制限が行われていることが林野庁HPで公表されている」
「現在も2.9万人の方が避難。県外で最も多いのは東京都。帰還困難区域から避難されている方への住宅支援も打ち切られることになるなど、避難者の多くは生活に困窮している」
「福島第一原発が立地している双葉町の事故前の人口は7100人だったのが、帰還した住民は59人だけ。同じく大熊町は11500人のうち271人。一方で移住者がそれぞれ71人、790人いるが、合算した数字しか報道されない。アンケートでは、元住民の半分以上は戻らないと決意している」
このような説明の後に、現在も双葉町から埼玉県に避難されているAさんのお話を伺うことに。
まず、青木さんがAさんを取材された動画(2022年10月撮影)が上映されました。なお、この動画は青木さんのユーチューブチャンネル「あおタイムス」で無料で視聴できます。
新しくなった双葉駅から、青木さんも同乗して自宅に向かうAさんの車。その途中には避難指示区域を示すバリケードがあり、作業員の方に電話して開けてもらわないと自宅には行けません。
自宅周辺の田んぼだったという土地は低木や雑草に覆われています。自宅は被害が大きく、中に位牌もあるそうですが入れないとのこと。そして牛舎内に散らばる牛たちの白い骨。取材の間中、線量計の警告音が途切れません。
青木さんがインタビューするかたちで、Aさんが語り始めます。
「避難の時は毎日、移動があり、18日に埼玉県へ。多くの避難者がそうだと思うが、日時や曜日の記憶が失われている」
「現在も多くの避難者が帰還できずにとどまっている。中間貯蔵施設のために家や土地を提供した(とられた)ため、帰りたくても帰れない人も多い」
ご主人は避難から3年後に食道がんが見つかり、「放射能にやられた」と言いながら亡くなられたそうです。Aさんだけではなく、話を聞き出す青木さんの声も詰まります。
「私たちは国に追い出された。その国は双葉に帰れと言うが、帰っても商店や病院もない。農業もできなくなり、国民年金しかない。国と東京電力はもっと責任を感じてほしい」
一方、このような意見を表明することについては、同じ避難者からも反発もあるそうです。そのような人にAさんは「あなたも声を上げて下さい」と答えられるとのこと。
青木さん
「住宅補助打ち切りの経緯等について福島県に取材したところ、町、国と協議して決めたとの回答だったので、今度は双葉町を取材すると、県からは国と協議した結果として伝えられたとのこと。また、隣接する浪江町等ではすでに打ち切られていると言われたとも」
Aさん
「一番底辺にいて、一番困っている町民の意見を聞いてほしかった。中間貯蔵施設についての説明会等でも同じようなやり方。地権者の意見は聞いてもらっていない」
青木さん
「国による住民説明会でも、住民の意向だからとマスコミはシャットダウンされるケースが多い。仕方なく扉の外に出て耳をそばだてていると、様々な意見が出されている。ところが終了後には『おおむね理解は得られた』とブリーフィング。国はマスコミに聞いてほしくないから密室にすることが多い。原発に限らず、行政が会議等でマスコミをシャットダウンしようとしたら、皆さんも反対の声を上げてほしい」
Aさん
「中間貯蔵施設の廃棄物は30年後に県外に持ち出すというのも、国が一方的に約束したもの。持ち出してもらえるとすっきりはするが、新宿御苑や所沢に持ち込まれることになったら皆さんはどう思いますか。中間貯蔵施設には私たちも町議も反対したが、やむなく受け入れたという経緯がある。どうして自分たちが苦しまなければならないのか」
会場参加者から、Aさんに対して様々な質問。
賠償問題についての東電や町の対応を聞いて、怒りをあらわにする人も。
飼っていた牛はどうなったのかとの質問には、
「多くは折り重なるように死んでいた。幸い生き残った数頭は浪江町の希望の牧場に預けることができ、先日も再会してきた。今も自分のことを覚えていてくれた」との答え。その時のスライドも映写され、この時はAさんの表情も和みました。
最後にAさんから会場の参加者に向けて、
「原発事故があったことを忘れてほしくない。そして私たち避難者が、経済面、メンタル面も含めて大変な状況にあるということも忘れないでほしい」と訴えられました。
終始、穏やかな語り口でしたが、当事者の方の声は、参加者一人ひとりの胸の底に響いたようです。
ここで休憩。
所用があって退席されるAさんにご挨拶すると、2013年9月のドキュメンタリ映画の上映会の際に名刺交換させて頂いた同じ苗字の方は、Aさんのお嬢さんとのこと。
公判は、青木さんと会場の参加者との間で質疑応答、意見交換。
前日に原子力規制委が敦賀2号機を「新基準不適合」と判断したことについては、この日の主要全国紙の全てに社説が掲載されていることを紹介し、「原発推進派の考えがよく分かる」等のコメント。
原発のコストが安いという主張は見せかけ。立地も除染も、多額の国の税金が投入されているとも。浅田次郎・日本ペンクラブ元会長は「日本は公共事業だけで生きてきた不思議な国」と指摘しているそうです。
また、連携線が貧弱で電力会社間の融通が十分にできず、出力制御により原発数基分の再エネ電力が無駄になっている実態、要件が厳しいためソーラーシェアリングが普及していない状況、太陽光パネルとEV自動車2台で電気を自給している家庭の事例等も紹介して下さいました。
この日、会場に来られていた大熊町出身の「30年中間貯蔵施設地権者会」の方からは「だんだん声を上げる人は少なくなった」との発言も。
一方、市内在住の福島県人会の女性からは「東京の人しか言えないことも山ほどあるのでは」と発言。
青木さんからは「原発に限らず人権やジェンダーなど、新聞記者も自分の考えを書きにくくなっている。いい記事を読んだら、ぜひフォームから意見や感想を寄せて力添えを頂きたい」との発言。
さらに青木さんは「気候危機問題と連携するなど、若い人も巻き込んでいきたい」、「原発推進派の人にも、被災者、避難者など当事者の声を届けていきたい」等と力強く語られました。
この日の参加者は原発問題に詳しい人ばかりではなかったのですが、青木さんは後日のFBで「原子力に詳しくない方も複数いらして、とてもいい交流になりました」と記されています。
ともすれば、専門家に任せっきりになりがちな原発問題。この日も「新たな安全神話が作られ始めているのではないか」との発言もありました。
青木さんのような、専門知識のない人にも分かりやすく説明して下さる方は貴重です。これからも様々な大切なことを伝えてもらいたいと思います。
なお、この日の参加者のお一人からは、映画「わが青春つきるとも-伊藤千代子の生涯」の上映会(9月1日)のチラシを頂きました。
これも興味深い内容です。
(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、無料)
https://www.mag2.com/m/0001579997