【ほんのさわり】寮 美千子(文)『ぼくが子どものころ戦争があった』

−田中幹夫(原作)、寮美千子(文)、真野正美(絵)『ぼくが子どものころ戦争があった−「いくさの少年期」より』(2024/7、ロクリン社)−
 https://www.ehonnavi.net/ehon00.asp?no=258550

【ポイント】
 実話を基にした絵本。淡々とした文と絵が、79年目の8月に、改めて平和や食べものの大切さを教えてくれます。

1933年福井県生まれの原作者(弁護士)の体験を基にした絵本。帯には「戦争体験を語れる最後の世代から、これからの日本をつくる世代へどうしても伝えたいこと」とあります。
 太平洋戦争が始まったのは、田中少年が8歳、国民学校初等科三年生の時でした。登校すると全校生徒を前に校長先生が「1億火の玉になって戦いましょう」と訓示。シンガポール陥落を祝う提灯行列で、日の丸を掲げて先頭を歩いた時は、大いに誇らしく思ったそうです。
 ところが暮らしはどんどん悪くなっていきます。食べものは「配給制」になり、おやつがなくなり、ご飯もろくに食べられなくなりました。学校の花壇はつぶされてイモが植えられ、やがて校庭もぜんぶ耕して畑になりました。
 そして空襲、終戦。福井市でも2万6千世帯のうち2万2千の家が焼け、1576人もの人が亡くなりました。そのなかには親戚や友達も。焼け野原で、田中少年はいつもお腹を空かせていたそうです。
 1945年12月の終業式の日に行われた、召集されて戦死した先生たちの慰霊祭。
 校門の向こうに確かに見えた亡き恩師の姿に、田中少年は「ぼくたちは、戦争のない国をきっときっと、作ります」と誓います。淡々とした文章と絵が、心に響きます。

間もなく79年目のヒロシマ・ナガサキの日、終戦記念日を迎えます。食べものの大切さも、忘れてはならない教訓の一つです。

出典:
 F.M.Letter-フード・マイレージ資料室 通信-pray for peace.
  No.297、2024年8月4日(日)[和暦 文月朔日]
  https://www.mag2.com/m/0001579997.html
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