とうに二十四節気の立秋も過ぎましたが、東京地方もしばらく暑い日が続きそうです。昨夜は強くて遅い台風7号が関東~東北の東方海上をかすめていきました(まだ近くにいます)。
先日、自宅近くに一画を借りている市民農園に数日ぶりに足を運んでみると、正にジャングル状態です。
メヒシバ、カヤツリグサ、スベリヒユなど様々な「雑草」が、地面だけでは飽き足らず、地表から数十センチの空間までを覆い尽くしています。凶暴そうな穂を出し、大量の種子をまき散らしつつあるものも。
毎年この季節、無心で草むしりをしながら(暑い〜)、「日本農業は雑草との戦い」とは言い得て妙であると実感しつつ、日本における植物生産力の高さに感動さえ覚えます。
ちなみにスイートコーン、キュウリ、トマトはほぼ終了。ゴマとコットンはこれからです。
下の図は、世界の自然植生の純一次生産力の分布を示したものです(農研機構)。
第一次生産力とは、植物が1年間に太陽エネルギーと水と二酸化炭素を使って光合成を行った有機物量総生産量(バイオマス)から、植物自身の呼吸によって失われる有機物量を差し引いた値を表しています。つまり、自らは「生産」できない人間や家畜が利用可能な植物の生産量です。
この図によると、日本の植物生産力は、北アメリカや西欧、あるいはオセアニアに比べて相対的に高いことが見て取れます。
植物生産力の大きさは、基本的にはその土地の気温と降水量に規定されます。
以下のグラフは、日本、韓国、イギリス、ドイツ、オランダ、フランス、イタリア及びアメリカの「風土資源」の大きさを概念的に図示したものです。
横の長さが年平均気温及び年降水量、縦の長さが及び国土の南北の長さ(植物生産の多様性と関連)を示しています。なお、国土面積は考慮していません。
このグラフによると、温帯モンスーン地帯に属する日本の風土資源の大きさは、大輸出国であるアメリカや西欧諸国と比べても遜色ないことが分かります。日本は相対的に植物(農業)生産には恵まれた環境下にあるのです。
一方、日本農業については、長年にわたって(そして現在も)その生産性の低さが欠陥とされています。それが弱い国際競争力につながり、大量の輸入食料に依存せざるを得ないため、自給率も低くなってしまっているというものです。
「食料安全保障」を基本理念に位置付けた改正 食料・農業・農村基本法(2024年6月施行)においては、国内生産の増大を基本として食料の安定的な供給を図る旨を規定していますが、この場合も「農業の生産性の向上」が要件とされているのです(第2条第3項)。
先ほどの高い「生産力」と、この低い「生産性」との間には、なぜこれほど大きなギャップがあるのでしょうか。
それは、ここで言う(一般的に言われる)生産性とは労働生産性のことを指しているためです。すなわち、労働力投入1単位(例えば従事者1人)当たりのアウトプットを、しかも生産額(金額ベース)を示しているためです。
もともと土地条件に恵まれない(林野面積が多く農地面積が狭小な)日本においては、限られた農地に多くの労働を投入することによって、少しでも生産量を増やしてきました。「稲は人の足音を聞いて育つ」とは、何度も田んぼを見回ったり、畦の草を刈ったりという手間をかける日本の農民の勤勉さを表した言葉です。
ちなみに歴史人口学者の速水融は、この状況を西欧の資本集約的な「産業革命 (Industrial Revolution)」に対置して、労働集約的な「勤労革命 (Industrious Revolution) 」と呼んでいます。
当然ながら日本農業も資本主義体制・市場経済の下にある訳ですから、労働生産性の向上という視点が不可欠であることは言うまでもありません。
しかしながら、金銭ベースの労働生産性を唯一の指標であるかのように取り上げて議論することは、恵まれた風土資源下にある日本農業の高い生産力やポテンシャルを見落とすことになりかねません。
汗にまみれて草むしりをしつつ、こんなことを考えました。
(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
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https://www.mag2.com/m/0001579997