東京地方は10月に入ってようやく秋めいてきましたが、まだ真夏日を記録する日も。
2024年10月5日(土)は、細かな雨が落ちるなか朝7時過ぎに東京駅丸ビル前へ。
この日は「ふくしまオーガニックコットンボランティアツアー2024<収穫編>」の開催日。「さよなら天ぷらバス」という副題が付されています。
私は昨年春の「種まき」以来、久しぶりの参加です。
早めに参加者43名全員が集合、予定の7時30分より少し前にバスは出発。体調不良で当日キャンセルになった方を除いて満席です。
主催者の壹岐健一郎さん((有)リボーン代表)がマイクを取られました。
この日のスケジュール、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトの概要とコットン畑の現状、BDF燃料の高騰等により天ぷらバスの運行断念に至った経緯等について、丁寧に説明して下さいました。エコツーリズムに対する壱岐代表の熱い思いが伝わってきます。

常磐自動車道・友部SAでの休憩の後、参加者一人ひとりから自己紹介。過去のツアーでご一緒した方もいらっしゃる一方、今回が初参加という方も。
渋滞もなく、10時過ぎにはいわき湯本ICで降りて老舗饅頭屋の柏屋さんへ。今回も名物の薄皮饅頭を試食用に配って下さいました。
ここで吉田恵美子代表はじめ、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトの皆さんが出迎えて下さいました。大病をされた後の吉田さんとお会いするのは初めてです。風貌も変わり、杖をついておられます。
バスに同乗して下さった吉田さんが、コットン畑の現状等について説明して下さいました(以前と全く変わらない、明るくて力強い声に安心しました)。
例年にない高温多湿のためコットンの弾ける時期が遅れ、収穫できる状態のものが少ない一方、枝葉は例年以上に繁茂しているそうです。今回は、今後の収穫作業を進めやすくするための作業をお願いしたい、とのことです。
車窓からは、田んぼの畔の満開の彼岸花も。これもかなり遅れていたそうです。

今回の受け入れ先である永山 進さん宅に到着したのは11時前。
全員で挨拶の後、さっそく徒歩でコットン畑に向かいます。
永山さんの「みいこ畑」(由来は奥様の名前とのこと)には、2面のコットン畑があるそうです。
上の畑ではアカラという品種の白い洋綿の栽培にチャレンジしており、下の畑では従来の茶色い和綿を栽培しているとのこと。
私は「上の畑」での作業に参加。
ジャングル状態の畑を前に、どこから手をつければいいのか、しばし呆然。

スタッフの方に教えて頂き、上部を摘芯したり、風通しを良くするために根元の枝葉を除去したり、大きく傾いた支柱を立て直したり。
作業している人の姿は、ほとんど隠れてしまいます。
私たちはついつい、花や花芽がついていると切るのをためらってしまうのですが、スタッフの方はどんどんと刈っていきます。この時期の花や花芽を残しても、コットンの収穫にはつながらないそうです。

数は少ないながら、弾けているコットンもありました。洋綿を目近にみるのは初めてです。上を向いて白いコットンが弾けています。花も上向きに咲いており、和綿とはだいぶ姿が異なります。
ぎょっとするような丸々と太ったコガネグモも。

「下の畑」の様子も見に行ってみました。こちらは見慣れた黄色い花です。
こちらもやはりジャングル状態です。

12時過ぎに午前中の作業は終了。
ようやく何とか、畝の間を人が通れるようになったかな、といった状態です。
永山さん宅に戻る途中の道沿いには、キンモクセイが芳香を放っていました。
コットン製品の販売も行われており、友人へのプレゼント用にフェイスタオルを2枚購入させて頂きました。

母屋の前の広い庭にテーブルと椅子を並べて、昼食です。時折り思い出したように細かな雨粒が落ちますが、気になるほどではありません。
永山さんの奥様が中心になって準備して下さったのは、ささげ豆の入ったお赤飯、おからの煮物、ポテトサラダ、キュウリの1本漬け。それにミョウガたっぷりのお味噌汁。
色鮮やかな芋がらの甘酢漬けは、吉田さんのお手製です。福島産の梨も頂きました。
空の下、多くの方々と交流しながら頂くお料理は、まことに美味。ご馳走様でした。

午後のプログラムは、4つのグループに分かれて実施。
午前中に引き続いて畑での作業、コットンベイブ(マスコット人形)づくりのワークショップ、吉田さんのお話会、周辺のお散歩の4つです。
私は、吉田さんのお話を伺うグループに参加。吉田さんは以下のようなお話を、力強く語って下さいました(文責・中田)。
「2011年3月の東電福島第一原発の事故後、農業の先行きに不安を持ち耕作されない農地が増えていた。原発被災地でコットンを栽培することで、循環型社会、環境に配慮した生活の構築に向けてのモデルとしてのメッセージを、世界に向けて発信し続けてきた。
小中学校でコットン栽培を指導することを通じて、思いは子どもたちにも伝承してしてきた。今後も取組みを続け、若い人たちとともに被災地の復興を支援していきたい」
「11月には、県内の原発被災者の方たちを浜通りに案内するツアーを企画している。避難が長期化し、小学生などは今住んでいるところが故郷になっている。原発事故が起こった時には、避難するか否か等について地域でも家庭内でも意見が対立し、分断が生じた。色んな意見を尊重できるような社会を創っていきたい」
「1990年からザ・ピープルで続けてきた『古着をゴミとして燃やさない社会』に向けての活動は、震災後、被災者支援のための市民ネットワークをつくる時にも役立った。私自身大病をして寿命というものも考えるようにもなり、私たちの取組みを将来の世代につないでいくための新しいクラウドファンディングを構想している。12月に刊行予定の著書も返礼品に含める予定」
参加者との間で質疑応答、意見交換しながら、時にはユーモアも交えつつ、「夢」と「具体的な構想」と「覚悟」を語る吉田さんの口調は、以前と変わらず明るく、力強く、聴いている人を魅了するものでした。
幸い病状は改善しているとのこと。吉田さんとお仲間の皆さんの、これからの活動の発展に目が離せません。

壱岐さんが厳格に管理するスケジュールに従って、13時45分頃にプログラムは終了しバスに向かいます。幸い、雨には降られずに済みました。
いわき湯本温泉の老舗・古滝屋さんへ。ここも何度もお世話になっています。
気持ちのいい掛け流しの温泉に入浴した後、9階にある原子力災害考証館を見学。半世紀にわたり反原発運動を続け、昨年12月に83歳で逝去された早川篤雄住職に関する展示も追加されていました。

古滝屋さんまで同行して下さった吉田さんは、みんなが入浴が終わるのを待ち、最後は東京に向かうバスに(いつも通り)見えなくなるまで手を振って見送って下さいました。
充実した一日のスタディツアーでした。
ジャングルのようなコットン畑は、まさに気候危機が現実のものとなっていることを教えています。一方で、BDF燃料の高騰により天ぷらバスのような取組みが継続できなくなっているという現実。植物油の消費量自体が減っている訳ではなく、回収してリサイクルし、国内で利用するシステムが、私たちの社会には欠けているということしょう。
そして13年前(もう13年も前!)の東日本大震災と東電原発事故。
現在も多くの避難されている方がいらっしゃいます。その記憶と現状を未来に伝承していくために、活動されている多くの方も、現地におられます。
様々なことを考える機会になりました。
吉田さん始め現地の皆さま、主催者の壱岐さん、同じ体験を共有できた参加者の皆さまに感謝申し上げます。
(ご参考)
ウェブサイト「フード・マイレージ資料室」
https://food-mileage.jp/
メルマガ「F.M.Letter-フード・マイレージ資料室通信」(月2回、無料)
https://www.mag2.com/m/0001579997