−金子美登・友子『有機農業ひとすじに』(2024年3月、 創森社)−
https://www.soshinsha-pub.com/bookdetail.php?id=437
【ポイント】
故・金子美登さんと妻の友子さんによる取組みは、日本の有機農業の歩みそのものでした。友子さんは「いのちを守る農場」が続いていくことを願っておられます。
日本の有機農業の第一人者である金子美登(よしのり)さんは、1948年埼玉県の生まれ。1971年から先駆的に始められた有機農業の取組み(小川町の霜里農場)は、正に日本における有機農業の歩みそのものでした。しかし残念ながら2022年9月、美登さんは74歳で急逝されました。田んぼの見回り中だったそうです。
本書では、これまでの霜里農場の歩みと今後の有機農業の展望等が、様々なエピソード・ハプニング、研修生など多くの人々との交流の様子とともに紹介されています。
美登さんの取組みの基底には、農業と工業とは本質的に違うという信念がありました。
すなわち、農業は工業とは異なり自然の力を引き出す生命性の生きた生産体系であり、食べ物は生命を維持する他に替え難いもので、単なる商品にはしたくないというものでした。
1971年、20歳代前半の美登氏は、そのような理想を実現するために「消費者とともに築く自給農場」づくりの実験をスタートします。前例もモデルもありませんでした。
米や野菜、鶏卵等を毎月2回届ける会費制の会員を、自転車で行き来できる地元の小川町で探したそうですが、なかなか理解してもらえず、10軒を集めるのに4年もかかったそうです。
農業生産は天候に左右されるため、量が少なくなってしまうこともあります。会員のなかには、届けた野菜の目方を量り、八百屋の値段と比べて会費(月2万7千円)が高いのではないかと言う者も出てきたそうです。
美登氏は「なぜ日本の消費者は毎日の価格で損得を計算するような価値観を持っているのか。株式会社も1年決算ではないか。有機農業で提携する場合は、10年くらいの長い目で損得を考えてもらいたい」と思ったそうですが、なかなか理解されなかったとのこと。
さらには「援農にも来て農家の生活を保障しているのだから、農地や山林も会員で平等に分けるべき」と言う会員まで出てきた時には、びっくり仰天し、信頼関係は失われ、会費制農場の試みは25ヶ月で挫折したそうです。
代わりにスタートしたのが「お礼制」でした。
これは、欲しいという消費者には定期的に農産物を届け、これに対して会費ではなく気持ちとしての「お礼」をいただくというもので、昔からの農村共同体のなかから出てきた考え方だったそうです。これによって、ようやく消費者との間で有機的な人間関係が築くことができたそうです。
このように、「有機農業のカリスマ」とさえ呼ばれた美登さんにも、消費者とのつき合い、価格設定のあり方には、大変な苦労があったことがうかがえます。
また、美登さんは「会費制が挫折し現金収入がほとんどゼロになった時も、農産物を自給している農家は強いと実感した。国も農業さえしっかりしていればびくともしない」「経験上1人当たり必要な農地面積は5アール程度で、有機農業で80〜90%の自給は可能ではないか」とも語っておられます。
実子のなかった金子さんご夫妻ですが、現在は霜里農場は養子ご夫妻に引き継がれています。友子さんは「いのちを守る農場として将来につなげていってほしい」と願っておられます。
出典:
F.M.Letter-フード・マイレージ資料室 通信-pray for peace.
No. 301、2024年10月3日(木)[和暦 長月朔日]
https://www.mag2.com/m/0001579997.html
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