【ほんのさわり】宮本常一『忘れられた日本人』

-宮本常一『忘れられた日本人』(1984年5月、岩波文庫)-
 https://www.iwanami.co.jp/book/b246167.html

【ポイント】
 宮本常一は全国をくまなく歩き、古老たちから技や知恵、みんなで助け合って暮らしてきた様子などを丹念に聴き取り、記録してきました。忘れてはならないものがたくさんあります。

宮本常一は、1907年、山口・周防大島の海岸に近い農家に生まれました。大阪で小学校の教員をしていましたが病を得て帰郷、「百姓」として過ごし、戦後は大阪府農地部の嘱託として農地解放や農業協同組合創設等の指導に当たりました。個性豊かな宮本民俗学は、農業指導、農村調査から始まったとも言えます。
 宮本は、辺境と言われる地域を中心に全国をくまなく歩き(地球4周分とのこと)、各地の古老たちが語るライフストーリーを、写真とともに丹念に収集・記録しました。その密度の高い結晶(網野善彦の解説)に当たるのが、本書です。

村で取り決めを行う場合には、全員が納得するまで何日でも話し合ったこと(「対馬にて」)。
 農地解放で紛糾した寄り合いでは、ある古老の「一人暗夜に胸に手をおいて、私の家の土地は三代にわたって少しの不正もなく手に入れたものだ、と断言できる人があれば申し出て下さい」との言葉に、それまで強く主張していた人も口をつぐんでしまったというエピソード(「村の寄り合い」)。
 夜遅くまで田仕事をしている隣人のために座敷の灯りをつけたままにしておくといった助け合いの様子、稗や菜飯等の食生活の変化、機械導入により農業労働が劇的に変わったこと(「耕うん機なんど、くわえ煙草で田がすける」)等も記録されています(「名倉談義」)。
 「メシモライ」(船に預けられた孤児)として対馬に移住し、入江の大石を除去して船着き場を拓いた古老は「やっぱり世の中で一ばんえらいのが人間のようでごいす」と語ります(「梶田富五郎翁」)。
 一方、島根県で農業振興に尽力した古老は「自然の美に親しみつつ自分の土地を耕しつつ、国民の大切な食料を作る、こんな面白く愉快な仕事がほかに何があるか」と記しています(「文字をもつ伝承者(1)」)

宮本は1981年、74歳で没しました。
 本書には「忘れてはならない」先人の技や知恵、助け合って生きていた暮らしの様子などが記録されています。

出典:
 F.M.Letter-フード・マイレージ資料室 通信-pray for peace.
  No.302、2024年10月16日(木)[和暦 長月十五日]
  https://www.mag2.com/m/0001579997.html
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